日本歴代最強馬の礎を作った男 フェデリコ・テシオの功績について【競馬コラム】

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日本歴代最強馬の礎を作った男 フェデリコ・テシオの功績について【競馬コラム】

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皆さんはイタリアの馬産家フェデリコ・テシオを知っていますか?
今から70年ほど前にナリタブライアンディープインパクトシンボリルドルフオルフェーブルといった日本歴代最強馬たちの血を遡れば必ず入っている名馬たちを作り上げたイタリアのおじさんのことです。
しかし、これだけでは、このおじさんがどれだけ凄いってことはピンとこないと思いますが、とにかく年間10頭ほどを生産する小さな牧場でイタリアダービーやイタリアオークス、ミラノ大賞典(日本でいえば有馬記念だと思ってください)などの大レースをバンバン勝ちながら生涯無敗といった競走馬を何頭も生産した方なんです。
それも優秀な種牡馬と繁殖牝馬を掛け合わせて作った競走馬ではありません。
誰もが「テシオの馬は売れない」「見栄えが悪く売れても超安価」など批判を受けた仔馬たちが大レースをバンバン勝ったわけです。
結果的にテシオ独自の配合理論が間違っていなかったことが証明されるわけですが冒頭にも述べたとおり、約70年経った今、日本の最強馬と呼ばれる競走馬たちにはテシオが作った名馬たちの血が流れていることが凄いです。
そして、その名馬たちの名は競馬ファンなら聞いたことがある名馬ばかりです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、この記事ではそんなフェデリコテシオの功績と題して、テシオが手塩に手掛け作り上げた・・・・・・・・・・・名馬たちを紹介します。

※文章が長くて文字数も多くなっていますが、競馬好き血統好きなら楽しめる内容だと思います。どうぞお付き合いください。

フェデリコテシオってどんな人?

フェデリコ・テシオ(1869~1954)は幼くして両親と死別します。29歳の時、結婚を機にマジョーレ湖近くのドルメロに小さな牧場を開設しました。
かつては親の遺産で絵描きを目指し、時にはアマチュアの障害レース騎手と活躍したが酒に溺れギャンブルに手を染めてしまい旅に出たこともあったテシオ。
そんな経験を糧に小さな牧場を開設後、安価な牝馬を購入しては自ら配合を考え生産・育成・調教と行いました。
なお、牧場には種牡馬を一切置きませんでした。理由は所有する繁殖牝馬に所有した種牡馬を配合する誘惑を断ち切るためだったそうです。
ちなみにテシオの主な実績は馬産生活約50年でミラノ大賞典(伊G1)とイタリアダービー(伊G1)をそれぞれ22勝、イタリアセントレジャー(伊G1)は18勝、イタリアンオークス(伊G1)を11勝、凱旋門賞は2勝しています。
つらつらと記載しましたが、これはもの凄い数字です。
単純に所有する競走馬が2年に1度、有馬記念を制する計算。リアルダビスタ金子さんも顔負けの数字でしょうか。
とにかく凄いイタリアの馬産家だったってことは分かっていただけたと思います。
このおじさんこそ、ドルメロの魔術師と言われているもの凄い馬産家なのです。

※以下、テシオが生産・購入した競走馬は緑太字で表記します。どれだけ凄い名馬たちを生産したのかさらにお分かりいただけるかと思います。

メジロマックイーンやオルフェーブルの祖先リマンド

1920年、テシオは英国で馬体に難点が多々あった1歳牝馬を僅か160ギニー(日本円にして約3万円程度)で購入します。
馬体の難点に加えて血統的にも父は三流種牡馬Bridge of Earnで母は良血ですが未勝利馬でした。その購入された難点だらけの牝馬はドゥッチアディブオニンセーニャと名付けられ、何と伊1000ギニー(日本でいう桜花賞のようなもの)を勝つんですね。
決して競馬は血統だけではないテシオの凄さが明るみに出た瞬間でした。
そして、この牝馬に英2000ギニー(日本でいう皐月賞のようなもの)を制したクラリシマスを配合してデレアナを生産します。
そのデレアナはイタリア2000ギニーにイタリア1000ギニー、イタリア大賞典といった大レースを勝ち名牝となりました。
その後、デレアナは距離万能型種牡馬ブレニムと配合されテシオの代表産駒の1頭といわれていますドナテーロ(生涯戦績9戦8勝)を輩出します。
今度は、そのドナテーロとAuroraの間に名馬アリシドンが誕生し、アリシドンとChenilleとの間にも名馬アルサイドが生まれます。
そして、アルサイドとAdmonishからリマンドが誕生します。
そのリマンドは、日本で種牡馬としてもけい養され日本ダービー馬オペックホースやオークス馬アグネスレディー(アグネスフライトとアグネスタキオン兄弟の祖母)など数々の名馬を輩出しました。
中でもリマンドとメジロアイリスの娘メジロオーロラはオールド競馬ファンならご存じの方も多くいらっしゃるメジロデュレン(父フィディオン 菊花賞・有馬記念を制した)とメジロマックイーン(父メジロティターン 菊花賞・天皇賞春2回・宝塚記念のG1・4勝の名馬)の兄弟を輩出しています。
そして、メジロマックイーンの娘オリエンタルアートが有馬・宝塚とドリームレースを制したドリームジャーニーと史上7頭目の三冠馬オルフェーブルの兄弟を輩出します。これはリマンドから数えて5代目となります。
なお、オルフェーブルと同配合(俗にいうステマ配合)のG1・6勝馬ゴールドシップにもテシオの傑作ドナテーロの血が流れています(下図を参照ください)

1代 2代 3代 4代 5代 6代 7代
ドナテーロ ⇒ アリシドン ⇒ アルサイド ⇒ リマンド ⇒ メジロオーロラ ⇒ メジロマックイーン ⇒ オリエンタルアート ⇒ オルフェーブル
        ドリームジャーニー
          メジロマックイーン ⇒ ポイントフラッグ  ⇒ ゴールドシップ

まず、イタリアの馬産家でありながらテシオの作った名馬たちの血が今の日本の名馬たちに流れていることが凄いですよね。

ナリタブライアンやマヤノトップガンといった最強馬に高い底力を伝えたリボー

次にテシオが手がけた競走馬の中で最高傑作と呼ばれ20世紀最強の競走馬との呼び声高いリボーの生誕についての歴史を振り返ります。
1937年、テシオは1923年の英国ダービー馬で生涯戦績18戦9勝(2着4回)と抜群の戦績を収め鳴り物入りで種牡馬となったパパイラスを父に持つ当歳牝馬を購入しました。
バルバラブリニと名付けられた女の子はそれなりの戦績・・・・・・・を残し繁殖入りしますが、これが世間から評価を受けることになります。
なぜなら英国ダービー馬パパイラスは大失敗の種牡馬と言われ思うような結果を残した産駒とは無縁だったからです。
そこでテシオが購入したバルバラブリニがそれなりに走ったわけですからね。
そして、このバルバラブリニにテシオは自ら生産した栗毛のエルグレコを付けてロマネラという牝馬が誕生します。
ロマネラは2歳チャンピオンに輝くほどの活躍を見せるも気性難と脚部不安のため7戦5勝という好成績を残して引退します。
そして、このロマネラにテラレニが配合されてリボーが誕生します。

テシオの配合理論は天才の勘であり慧眼だったと言えるだろう。

ここで話をリボーの父テレラニから少し遡ります。
世間ではテシオの最高傑作はリボーと言われていますが、実はテシオ自身が生前、自身の最良生産馬はカヴェリエレダルピノと言っています。
このカヴァリエレダルピノは父が仏国産で伊で活躍した一流種牡馬アヴレザックであり、母は英国から輸入した高額の良血馬シュエットという配合です。
カヴァリエレダルピノ自身は、ミラノ大賞典などを制しましたが僅か5戦無敗のキャリアで引退します。そして、繁殖牝馬Bella Minnaとの間にベリーニを輩出します。
ベリーニは伊ダービーや伊セントレジャーなどを制した名馬となり、Tofanellaとの配合で生まれたのがテラレニです。
なお、リボーの父テラレニ自身も伊ダービーに伊セントレジャー、そしてミラノ大賞典とビッグレースを制した名馬です。
リボーの曾祖父から祖父、父とあらゆる名馬を手掛けたテシオ。凄くないですか。
もうダビスタの世界ですよ。
そして、リボー誕生ですね。リボーは20世紀最強馬と言われているだけあって凄い戦績です。
16戦無敗それも全てのレースにおいて楽勝でした。特にキングジョージを5馬身、凱旋門賞においては8馬身とも言われています。
しかし、これだけの活躍を魅せたリボーを残念ながらテシオは見ることができませんでした。なぜならリボーがデビューする2ヵ月前にお亡くなりになったからです。
この頃には誰もが認める最も偉大な生産者テシオが生んだ最も偉大な競走馬リボーの血は日本歴代最強馬ナリタブライアンに受け継がれていくのです。

1代 2代 3代 4代 5代 6代 7代
カヴァリエレダルピノ ⇒ ベリーニ ⇒ テラネニ ⇒ リボー ⇒ グロースターク ⇒ ロベルト ⇒ ブライアンズタイム ⇒ ナリタブライアン
マヤノトップガン

上表を見ると不思議に先述のリマンドと同じリボーから数えて5代目にナリタブライアンやマヤノトップガンといった日本歴代最強馬が誕生しています。
何か血統の不思議な縁を感じさせますね。

世界中の血統背景を塗り替えたノーザンダンサーなどの祖先ネアルコ

ドラクエの商人トルネコに見間違える馬名のネアルコについては語るには恐れ多いでしょう。どの競走馬にもネアルコの血が入っているほどネアルコの馬名は血統表に刻まれています。逆にネアルコの血が入っていない競走馬を探す方が大変なくらいです。
1935年に誕生したネアルコは14戦14勝という素晴らしい生涯戦績でイタリアダービーやミラノ・パリ大賞典などを制しました。
しかも破った相手は英国ダービー馬のボアルセルヒンドスタンの父でシンザンの祖父ですね)など強豪馬ばかりです。しかし、長距離血統を好んだテシオはネアルコの距離適性を疑っており種牡馬としても好まなかったそうです。
そんな大種牡馬となるネアルコを語る前にネアルコの母ノガラについて少しお話します。
ノガラは競馬史上最も偉大な牝馬と称されているほどの名牝です。
母はキャットニップといってテシオが英国で75ギニー(日本円で約1万5000円)で購入した痩せ細った牝馬でした。
現役時も僅か1勝で繁殖入り。ところがテシオはキャットニップを競走馬としてではなく繁殖牝馬として先見の目で見ていたんですね。キャットニップは1勝馬でありながらノガラを含む3頭の重賞馬を輩出し繁殖牝馬としても成功を収めます。
先述しましたテシオ自身の最良の馬というカヴェリエレダルピノの父アヴレザックとキャットニップの間に生まれたノガラの現役時代はイタリア1000ギニーやイタリア2000ギニーなどを制し、18戦14勝との輝かしい戦績を残し繁殖入りします。
そして母として9頭の産駒を輩出。うち7頭が重賞勝ちを収めています。
もちろん、中にはネアルコやネアルコの半弟ニッコロデラルカ(イタリアダービーにセントレジャー、ミラノ大賞典などを制した名馬)を輩出するわけですから競馬史上最も偉大な繁殖牝馬と言われても納得です。
ネアルコの血が血統表に記載される=ノガラの名も記載されるわけですからね。

テシオの生産した競走馬の血は今や全世界に拡がっている。

さて、話をネアルコに戻します。
ネアルコの血は世界各国に拡がりを見せます。まず英国ではナスルーラを通じてネヴァーベンドからミルリーフに繋がりミルジョージと受け継がれていきます。
また、短距離部門ではグレイソヴリンから5代を経てトニービン。中距離部門ではプリンスリーギフトレッドゴッドに受け継がれます。
プリンスリーギフトからは日本でもお馴染みのテスコボーイトウショウボーイミスターシービーと繋がっています。レッドゴッドからはブラッシンググルームが出てレインボークエストナシュワンと続いています。
次にカナダではニアークテックから世界的大種牡馬となったノーザンダンサーに受け継がれそこからニジンスキーダンチヒサドラーズウェルズといった現在の系統を形成する世界的大種牡馬に繋がります。
日本ではノーザンテーストがその血を広めましたよね。また、米国ではナスルーラからボールドルーラーと受け継がれセクレタリアトに血が繋がります。
一方ではナスルーラからロイヤルチャージャーと渡りターントゥからヘイルトゥリーズンに受け継がれロベルトを経てブライアンズタイムと繋がります。
ヘイルトゥリーズンからはヘイローにも繋がり日本の血統史を塗り替えたサンデーサイレンスと行き渡ります。まあビックリですよね。
これだけの太字の競走馬をみると全部が超有名な大種牡馬たちです。その元を辿ればネアルコなんですから。
ネアルコを作ったテシオがどれだけ偉大か下図を見ていただけると一目瞭然。凄すぎます😲
そして、テシオの凄さをもう1つ。
これだけ活躍した牡馬は全て売却したテシオはネアルコも例外ではなく売却します。そして、生涯1度もネアルコを配合に選びませんでした。
それでリボーを誕生させるのですからね。もう開いた口が塞がりません。

1代 2代 3代 4代 5代 6代
ネアルコ ⇒ ナスルーラ ⇒ ネヴァーベンド ⇒ ミルリーフ ⇒ ミルジョージ ⇒ イナリワン
グレイソヴリン ⇒ ゼダーン ⇒ カラムーン ⇒ カンパラ ⇒ トニービン
プリンスリーギフト ⇒ テスコボーイ ⇒ トウショウボーイ ⇒ ミスターシービー
レッドゴッド ⇒ ブラッシンググルーム ⇒ レインボークエスト ⇒ サクラローレル
ナシュワン ⇒ バゴ ⇒ クロノジェネシス
ボールドルーラー ⇒ セクレタリアト ⇒ ヒシマサル
ニアークティック ⇒ ノーザンダンサー ⇒ ダンチヒ ⇒ アグネスワールド
ニジンスキー ⇒ マルゼンスキー
サドラーズウェルズ ⇒ ガリレオ

モンジュー

ノーザンテースト ⇒ アンバーシャダイ

ダイナガリバー

ロイヤルチャージャー ⇒ ターントゥ ⇒ ヘイルトゥリーズン ⇒ ロベルト ⇒ ブライアンズタイム ⇒ ナリタブライアン
ヘイロー ⇒ サンデーサイレンス ⇒ ディープインパクト
スピードシンボリ ⇒ スイートルナ ⇒ シンボリルドルフ ⇒ トウカイテイオー

表の太字に注目ください。
リマンドにもリボーにもあった5代目血統にネアルコの場合は昭和の名馬たちの名があります。トウショウボーイマルゼンスキーそしてシンボリルドルフがネアルコから数えて5代目にあたります。また世界的名馬ガリレオモンジューなども5代目にあたります。
そう考えると、5代目という部分に名馬誕生の秘訣が隠されているのかも知れません。

馬産家テシオの配合理論とは

テシオは競走馬の生産に対して血統だけでレースは勝てない。調教は素質を伸ばすことは可能だが、新たに素質を創り出すことはできない。との信念で競走馬たちを自由に自然の中で育てることを理想としたようです。
また、先述しましたが、テシオはどれだけ活躍した牡馬でも全て売却しています。
仮に種牡馬を所有すれば、所有する繁殖牝馬に対して優先的に配合することになる。その誘惑を断ち切るため自牧場に種牡馬を置かなかったようです。
1頭の繁殖牝馬にどの種牡馬が合うのか限りなく最大限に牝馬の可能性を引き出すため、多様な中から選択する方針でした。
そして、繁殖牝馬にこの種牡馬が合うと判断した場合は遠方でも全て自己負担で高額な輸送費をかけて種付を行いました。
結果的にはテシオ自身が求めた配合理論はテシオしか分からないもので人間と同じく1頭1頭の競走馬も個性があり、性格も違います。
の洞察力を兼ね添えたテシオの慧眼こそが配合理論だったのではいでしょうか。

まとめ

いかがでしたでしょうか?
最も偉大な競走馬リボー。
最も偉大な種牡馬ネアルコ。
そして、最も偉大な生産者テシオ。
リボーやネアルコなど競馬の血統好きなら何度も耳にする大種牡馬を1人の生産者が配合し育て上げたことを知り、武者震いしました。
それがまた、ほとんどの日本歴代最強馬の血に入っていることもビックリしました。テシオって何者?そこから色々と調べ今回の記事となったわけです。
とても長文となり見苦しい点もあったかも知れませんが、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


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