ナイスネイチャ|歴代最強馬|有馬3年連続銅の蹄跡|名馬たちの記憶⑩

名馬たちの記憶
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ナイスネイチャ
有馬3年連続銅の蹄跡

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有馬3年連続銅の蹄跡 ナイスネイチャ

オールド競馬ファンにとって、ブロンズコレクターといえば、真っ先に思い出すのはナイスネイチャではないだろうか。

複勝率50%を超える元祖複勝男は4歳時にグランプリ有馬記念(G1)に初出走。
このレースの1番人気は当時現役最強馬であり最強のステイヤーだったメジロマックイーン。しかし、レースでは伏兵馬ダイユウサクが勝利し大本命のメジロマックイーンは2着。ナイスネイチャはその後ろ3着・・に入線した。

翌年2度目となる有馬記念では4番人気の支持を得るも勝ったのは超伏兵馬メジロパーマー。ナイスネイチャは2着のレガシーワールドに続き2年連続となる3着・・に入線。

さらに翌年、3度目となる有馬記念では14頭中10番人気。ここでは1年振りのレースで勝利したトウカイテイオーのドラマティックな勝ち方に皆が涙した。

そんな感動的なゴール前をビワハヤヒデに続いて、しれっと3番手で通過。なんと3年連続3着という珍記録を残した名馬である。

G1未勝利ながら、G1馬並みにファンから愛されたナイスネイチャ。
今回は、そんな彼の記憶を振り返りたい。

期待の良血馬も……

父はカナダのG1を2勝(重賞は6勝)したナイスダンサー
母は桜花賞トライアル・チューリップ賞(G3)他中央競馬で3勝を挙げたウラカワミユキ。その両親の間にナイスネイチャは1988年4月に北海道浦河町で生を受けた。
生前から良血馬として期待され、生誕後も生産者からは、これは良い馬だと言われながら幼少期を順調に育った。
そして3歳の夏頃、栗東トレーニングセンターの松永厩舎に入厩。
しかし期待の良血馬は、とにかく気性が穏やかではなく他馬を噛みつこうとしたり、厩務員を怪我させたりと栗東内では気性の荒い馬としてデビュー前から有名になった。
ところが、少し痛めた脚のケアを兼ねて短期放牧に出され帰厩後、不思議と気性が一変して穏やかになったという。

クラシックに縁がなく

ナイスネイチャの1歳上の半姉ロードエスパーも管理していた松永調教師はロードエスパーがデビュー初戦で脚の筋を痛め志半ば早期引退を余儀なくされたことから半弟のナイスネイチャを慎重に管理。そのためデビューが12月と遅くなった。
そして、京都のデビュー戦では最後の直線で不利を受けながらも2着に食い込む好走。良血馬の片鱗を見せた。
その2週間後には早くも2戦目で勝ち上がりをみせたナイスネイチャは3歳の年を2戦1勝。決して無理をさせない調教師が思い描く、脚をケアしながらの出走で翌年を迎えることになった。
4歳となり目指すは牡馬クラシック。
まずは目先の条件戦で2勝目を狙ったものの1月の福寿草特別(1勝クラス)では、のちにこの年の桜花賞馬に輝くシスタートウショウの6着に敗れ、1月末には格上挑戦となる4歳オープンクラス若駒ステークスに出走するもトウカイテイオーの3着に敗れた。

年明け早々から少し脚に負担をかけてしまったのか、ここで骨膜炎を発症してしまいナイスネイチャは休養に入ることとなった。そのため、目標としていた春の牡馬クラシック戦線には残念ながら縁がなくなってしまったのである。

短命の最強時代

若駒S(OP)で快勝したトウカイテイオーが春のクラシック皐月賞(G1)、日本ダービー(G1)と無敗で制し二冠馬となった頃、ナイスネイチャは1勝クラスの条件馬として7月に復帰を果たした。
5戦目となった復帰初戦は2着に敗れるも小倉競馬にて6戦目となった500万下クラス(現1勝クラス)と900万下(現2勝クラス)を連勝。

8月末には重賞初挑戦となった小倉記念(G3)で古馬を抑えて優勝。見事、重賞初挑戦で初勝利を飾った。
その勢いのまま続く菊花賞トライアル京都新聞杯(G2)に出走。ここでは前年の関西3歳王者イブキマイカグラなど強豪馬が揃った。それでもナイスネイチャがもっとも輝き熟成期を迎えたのか、ここも1番人気イブキマイカグラをあっさりと交わす形で勝利し4連勝を達成。

夏の上がり馬として一気に菊花賞の最有力候補に名乗りを上げた。

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そして、迎えた菊花賞(G1)では、その勢いを買われたのか2番人気で出走。しかし、レースでは勝った3番人気のレオダーバンから0.3秒遅れての4着。長距離が苦しかったのか連勝記録はストップ。ちなみに1番人気だったイブキマイカグラは2着に敗れている。
なお、彼の現役生活を振り返れば、京都新聞杯を制した時期が彼にとっての最強時代だった。
しかし、短命過ぎた彼の最強時代は、ここから先、急降下となるのであった。

伝説の幕開け

それから菊花賞の疲労も見られなかったため、12月初旬に行われた鳴尾記念(G2)に出走。
ここでも難なく勝利を挙げて重賞3勝目。これで11戦6勝2着2回という好成績。幼駒時代に良い馬と見定められた通り、ここまで輝かしい成績を残したナイスネイチャ。

伝説の第一歩となった有馬記念に2番人気で出走も結果は前述したように14番人気の伏兵ダイユウサクに脚元を掬われた形で大本命のメジロマックイーンが2着に敗れる大波乱の中、ナイスネイチャは3着に入った。

そして、このレースがのちにブロンズコレクターとの異名を付けられる由縁となるのであった。

有馬記念3年連続3着の快挙

伝説の第一歩となった有馬記念から年が明け5歳となったナイスネイチャ。
重賞3勝馬として、何とかGⅠを手に入れたい。そう意気込んだ矢先、持病の骨膜炎が悪化し5歳の春は全休となった。

その後、秋は毎日王冠(G2)から復帰するも3着、4着、3着と勝てそうで勝てない日々。そして、迎えた2年連続の出走となったグランプリ有馬記念では2年連続の3着。結局、5歳では1度も勝つことなくシーズンを終えた。

6歳となった翌年は、1月下旬に行われた日経新春杯(G2)に出走も2着、続く阪神大賞典(G2)でも3着、産経大阪杯(G2)でも2着。
その後、骨折が判明し三度の休養。秋の毎日王冠から復帰するもまたしても3着。続く天皇賞・秋(G1)ではデビュー以来初の大敗となる15着。ジャパンC(G1)では世界の強豪馬相手に7着と惨敗。

果敢に挑戦した大レースの連続、その集大成ともいえるべく、迎えた3年連続出走となった有馬記念。
このレースでは何といっても1年ぶりに奇跡の復活を遂げたトウカイテイオーのインパクトが強すぎるが10番人気だったナイスネイチャはしっかりと定位置となった3着を確保した。

有馬記念3年連続の3着――。

これは本当に強い馬でなければできない離れ業だといえる。3年間で歳を重ね当然、老いも生じる。ましてや普通のレースではない。

その年の最強馬を決めるグランプリ有馬記念での3年連続3着である。これは紛れもなく強い競走馬にしかできない前人未到の記録である。

こうして有馬記念3年連続3着はナイスネイチャの代名詞となり、ブロンズコレクターの異名を名付けられる決定的な出来事となった。

最後の勝利から2年7カ月

年が明け7歳となっても7着、2着、4着、4着と勝てない日々は継続されていた。
そして、気が付くと重賞16連敗。実に最後の勝利(彼が見せた最強時代の集大成となった鳴尾記念)から2年7カ月が経っていた。

そして、迎えた夏の高松宮杯(G2)で再びの輝きを取り戻すことになる。
このレースには前年の日本ダービー馬ウイニングチケットや宝塚記念(G1)2着馬のアイルトンシンボリ、のちのジャパンC勝ち馬マーベラスクラウンなど強豪馬が出走。
ところが、このレースで初めてメンコを外し出走したのが吉と出たのか強豪馬を交わす激走を見せ1着となったのである。

これが、忘れかけていた勝利の美酒を久々に味わう形となった。
しかし、悲しいかな現役生活での最後の勝利ともなるのであった。

記録よりも……

その後、9歳となったナイスネイチャ。
前人未到の6年連続となる有馬記念出走を目前に控えた時、担当厩務員が出走を猛反対した。
実は、その時のナイスネイチャには競馬に支障がない程度の軽骨折が見つかっていた。獣医から出走は問題ないと診断を受けていたが、万が一のことがあれば取り返しのつかないことになる。

記録よりも大事なものもある――。

厩務員の涙ながらの訴えに松永調教師はナイスネイチャの1番の理解者が言うならば仕方ない。と引退の道を選択したのだった。
こうして前人未到の有馬記念6年連続出走は夢叶わなかったが、ブロンズコレクターとして多くの競馬ファンから愛され、多くの競馬ファンに複勝という勝馬投票券を提供してきた複勝男は静かにターフを去った。

そして、現役生活最後の日。
栗東トレーニングセンターを去るタイミングで大雨が降った。その中でナイスネイチャと担当厩務員は雨の中、大粒の涙を流したらしい。何とも人智を超えた馬であったに違いない。

厩務員の分まで

その後、種牡馬として生活を送ったナイスネイチャ。
種牡馬1年生として20頭前後に種付をした矢先、元厩務員が交通事故により41歳の若さで亡くなってしまう。なんとも痛々しい現実だろうか。
そして、ナイスネイチャは元厩務員の死去を知ってか、現在34歳となった今も元気に余生を過ごしている。

これは、存命している中央競馬重賞勝ち馬の牡馬最長寿記録を更新中である。おそらく、早世した厩務員の分もまだまだ生き続けると思っているに違いない。きっと、厩務員と過ごした日々の思い出を頭に浮かべながら……。

最後にナイスネイチャといえば、現役時代は41回走り1着7回、2着6回、3着8回と複勝率は実に50%を超える。
馬券貢献度50%の善戦マンとして多くの競馬ファンにとっては、勝てなくても馬券に貢献してくれた部分が愛される1つとなっている。

また、有馬記念3年連続3着の記録は実力がなければ簡単にできるものではない。ましてや、馬齢とともに退化する中で、これを達成したのは紛れもなく名馬だとの声も高い。

サラブレッドの平均寿命を約10年も超えているナイスネイチャ。
今もなお、多くの競馬ファンに愛され続けるナイスネイチャには1日でも多く長生きしてほしいと願うばかりであったが、2023年5月30日、老衰のため、この世を去った。享年35歳。

きっと、今ごろ天国では同期馬のトウカイテイオーやツインターボといった個性派たちと仲良くターフを駆け抜けていることだろう。そして、大好きなあの厩務員さんと涙の再会を果たしているに違いない。

※記事内の馬齢表記は、現表記+1歳で表記している。

ナイスダンサー Northern Dancer Nearctic
Natalma
Nice Princess Le Beau Prince
Happy Night
ウラカワミユキ ハビトニー Habitat
Courteous Lady
ケンマルミドリ ケンマルチカラ
ケンミドリ

生涯戦績 41戦 7勝(7-6-8-20)
主な勝鞍 高松宮杯(G2)

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