エルコンドルパサー|歴代最強馬|栄光の翼|名馬たちの記憶⑬

名馬たちの記憶
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エルコンドルパサー
栄光の翼

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エルコンドルパサー 栄光の翼

日本のホースマンとして、いや全世界のホースマンが目指す世界一のレース凱旋門賞(仏G1)。
100年以上の歴史を持つこの世界最高峰レースに幾多の日本歴代最強馬が挑み続けた世界の壁。未だその壁を乗り越えた日本馬はいない。

しかし、あと一歩のところまで迫った馬がいた。その競走馬こそエルコンドルパサーである。
1999年の凱旋門賞は、「このレースにはチャンピオンが2頭いる」と現地メディアに言わしめたほどの走りを魅せたエルコンドルパサー。
今回は、日本が誇る世界で魅せた勇者の記憶を振り返っていきたい。

世界を見据えた近親配合の仔馬

1995年3月17日、米国ケンタッキー州で生を受けたエルコンドルパサー。
キングマンボは現役時代に仏国2000ギニー(仏G1)をはじめムーランドロンシャン賞(仏G1)などを制しており、日本でものちにキングカメハメハの父としても有名となった名馬である。そして、母はサドラーズウェルズ産駒のサドラーズギャル
愛国産のサドラーズギャルは、オーナーブリーダーである日本人馬主が彼女の持つ血脈に魅せられ、セリを欠場した後に直接牧場サイドとコンタクトを取り購入するほど血眼になって探し見つけた期待の繁殖牝馬であった。
しかし、エルコンドルパサーの配合背景を見ると、まず母系の母の父の母の母Spesialと母の母の母Lisadellとは全姉妹であり、そのSpecialは大種牡馬ヌレイエフの母である。
次に父系に目を向けると父キングマンボの母である世界的名牝ミエスクの父がヌレイエフのため、その母がSpecialとなる。
まさにダビスタ配合に近い部分もあるが、それでも同血脈の強いクロスを合わせ持ちながらもエルコンドルパサーは丈夫に育っていくのであった。

衝撃のデビュー

3歳(現2歳表記)となり美浦の二ノ宮厩舎に入厩するも馬体の仕上がりが遅かったため、デビュー戦は11月初旬の東京競馬場のダート戦だった。
レースでは出遅れを見せるも最後は持ったまま、のちに京成杯(G3)の勝ち馬となるマンダリンスターに対して、7馬身差を付ける差し切り勝ち。
年が明け、次走も中山競馬場のダート戦。大幅な馬体重増もあったが、ここでも9馬身差を付ける圧勝劇を見せた。
そして、3戦目となった共同通信杯(G3)。初の芝レースとなるはずだったが、降雪のため芝開催が不可となり急遽ダート戦に変更となった。それに伴い、重賞扱いからオープン扱いに変更された。
しかし、これまでのダート戦で無類の強さを見せてきたエルコンドルパサーにとって、その舞台でも難なく制しデビューから3戦3勝という圧倒的強さを見せるのであった。

世代に敵なし

そして、4戦目となった次走は春先に行われるニュージーランドトロフィー4歳S(G2)。3戦無敗で挑む形となったが、ここまで芝経験はゼロ。陣営に不安がないわけではなかった。
しかし、それも杞憂に終わるのである。
2着の重賞馬スギノキューティーとのちにスプリンターズS(G1)を制することになる3着のマイネルラヴを横目に置き去りにし最後は2馬身差の快勝。
当時は、外国産馬にはクラシックに出走権がない時代。
そのため4歳(現3歳表記)世代の外国産馬や中長距離適性がない競走馬が目標とする大レースとして、1996年に新設されたNHKマイルC(G1)。4戦無敗のエルコンドルパサーは、その大舞台に視界が大きく開かれた。
そして、同世代のライバルで前年の朝日杯3歳S(G1)をレコードで勝った3歳王者のグラスワンダーは骨折により戦線を離脱中。結果的には、エルコンドルパサーの独壇場と化した。

これで5戦5勝、強いものは強い――。
その後、期待以上の活躍に並々ならぬ手応えを感じ取った陣営は、海外遠征も視野に入れて夏の休養を選択したのである。

永遠に追いつけない影

夏の休養を順調に過ごしたエルコンドルパサーは、秋の目標にジャパンカップ(G1)が設定された。
あの七冠馬シンボリルドルフでさえ、4歳世代で制することができなかった高き壁。これまでの過去、海外馬を除いては日本ダービー馬ウイニングチケットや秋華賞馬ファビラスラフインなどが4歳で挑戦するも高き壁を超えることはできなかったのである。
そんな4歳馬の鬼門に対し、果敢に挑戦を表明したエルコンドルパサー。
そして、その前哨戦として選んだのが、のちに伝説のレースと語り継がれる毎日王冠(G2)だった。
敵は骨折休養明けの怪物、ここまで4戦無敗の3歳王者グラスワンダーと重賞連勝記録を伸ばす古馬最強の逃げ馬サイレンススズカである。
この世紀の一戦を一目見ようと東京競馬場に集まった競馬ファンは約13万人。
まさにG1並みの大盛りあがりを見せた。そして、頂点に向かうエルコンドルパサーが東京競馬場のターフに足を踏み入れる。
そんな3強対決に言葉など必要なかった。
このレースだけは、通常のレース実況に比べてほとんど実況もなかったと言える。それほど凄まじいレースとなった。

『お互いがお互いを知り尽くした一戦。さあ、真っ向勝負――(中略)サイレンススズカ、リード3馬身。久々、グラスワンダー、エルコンドルパサー蛯名。坂を登る。サイレンスまだ逃げる。外に少し寄れながらエルコンドルパサー。グラスワンダーは伸びが苦しい。200を通過、サイレンススズカだ。外からエルコンドルパサーは離れている。グラスワンダーは3番手も苦しい。グランプリホースの貫禄、どこまで行っても逃げてやる!』

結果的には完膚なきまでにされた初の敗北。
1つ年上の最強馬サイレンススズカに追いつけることなく、それでも意地を見せた2着好走。次は必ずあの逃げ馬を仕留める。
しかし、そう誓うもそれは永遠に叶うことのない出来事となった。

世界への切符

毎日王冠の死闘を終え、さらに体調を上げ、いよいよ大一番ジャパンカップへ。
同世代の日本ダービー馬スペシャルウィークが堂々の1番人気に支持され、女帝エアグルーヴが2番人気に支持される中、3番人気と半信半疑が現れたファンの支持に底力の自力発揮で応えることになるエルコンドルパサー。
レースでは、3着スペシャルウィークと2着エアグルーヴ、そして、1着にエルコンドルパサーと日本馬が上位独占となった第18回のジャパンカップ。
同世代の日本ダービー馬はおろか、当時最強牝馬の鼻も軽くへし折る形でG1・2勝目を飾った。合わせて日本調教馬の4歳馬(現3歳表記)として、史上初となるジャパンカップ制覇の偉業も達成した。

そして、この勝利は、日本で唯一土を付けられたあの彼が亡き今この先、日本で走っても意味がない。と言わんばかりに世界への扉を力でぶち破る価値あるものとなったのである。

栄光の翼

年が明けると国内レースには目もくれずエルコンドルパサーは大いなる目標へと走り出した。
それは秋の大舞台で世界のホースマンが目標とする凱旋門賞である。
馬主と陣営は、日本調教馬の成果という実力を試すため、春には敵地フランス入り。これは必勝を期した長期遠征計画であった。

その可能性を占う試金石となったのは、イースパーン賞(仏G1)。ジャパンカップ以来半年ぶりの実践となったレースとなったが、堂々の1番人気に支持された。これは昨年のジャパンカップを制したことが評価されたと言える。

しかし、レースでは残り30mまで先頭を走り勝ったと思われた中、最後はクロコルージュに半馬身差交わされての2着に終わる。

長時間の空輸、そして異国での調整というハンデを跳ね返す意地の2着は上々の滑り出しだった。
そして、次走として現地入厩先の調教師から40日後のサンクルー大賞(仏G1)を薦められる。
しかし、陣営はイースパーン賞の敗戦を考え、仮にここでも負けるようなことになると凱旋門賞などと言ってはいられない状況下に陥ると出走を躊躇った。

それでも現地で厩舎を提供してくれた調教師の「行けるよ」との後押しに出走を決めた。
ちょうど、その頃、日本ではエルコンドルパサーの主戦騎手である蛯名正義騎手が、オークス(G1)を制し、翌週には同期の武豊騎手がアドマイヤベガで日本ダービー(G1)を連覇した頃だった。

その後、安田記念(G1)をエアジハードで制した蛯名騎手は、すぐさまエルコンドルパサーが待つパリへと飛んだ。

遠征2戦目となったサンクルー大賞。
ここでは前走の惜敗もあってか、2番人気に支持されるも蛯名騎手は確かな手応えを感じていた。
そして、エルコンドルパサーが持つその華麗な翼が前年の凱旋門賞馬サガミックスに前年の欧州年度代表馬ドリームウェルといった超一流馬たちをなぎ倒した。
遠征2戦目で仏国のG1を初勝利。

この価値ある勝利にて、エルコンドルパサーはいよいよ秋の本命レベルに達したと言われた。無論陣営の期待も確かな自信へと変わっていたのである。

世界一に最も近かった日本馬

先のサンクルー大賞を勝利したことで一時帰国させず現地の厩舎にそのまま滞在させられることになったエルコンドルパサー。

ただし、調教師、騎手とは日本と仏国の行ったり来たりとなったのはやむを得ない。
同年9月初旬。凱旋門賞の前哨戦として選んだのは、本番と同じロンシャン競馬場の2400mで行われるフォワ賞(仏G2)。
未経験の3頭立ての競馬となったが、無理に抑えず馬が行くならそのまま行かせれば良いとの指示の下、蛯名騎手は上手く騎乗した。

ただ、厳しい駆け引きを強いられる戦いとなったが、1着でゴール。本番への目処を充分にアピールできた一戦となったのである。

そして、迎えた1999年10月3日、全てはこの日のために重ねてきた栄光と試練。多くの世界的名馬の挑戦を跳ね除けてきた凱旋門賞に2番人気で挑んだエルコンドルパサーと蛯名騎手。
愛国ダービー馬モンジューにキングジョージの勝ち馬デイラミ、そしてエルコンドルパサーを加えた三強と称されるほどの注目度だった。

馬主に陣営、鞍上の蛯名騎手、そしてエルコンドルパサー自身の闘志はピークに達していた。そう、最強に挑む馬たちに国境はないのである。

レースは自然とエルコンドルパサーと蛯名騎手が先頭を走る隊形となった。そのまま先頭をキープしながら最後の直線へと向かう。残り100mを切り、そのまま先頭をキープ。誰もが日本調教馬初の凱旋門賞制覇と思われた瞬間――外からモンジューが半馬身を交わしたところがゴールだった。

この戦いを最後に栄光の翼を畳んだエルコンドルパサー。
あと一歩のところで凱旋門賞馬の称号を逃したが現地のプレスは、その強さを「このレースにはチャンピオンが2頭いる」と称えた。そして、エルコンドルパサーは20世紀の日本競馬の勇者に他ならない。

早すぎる旅立ち

帰国後、そのまま引退となったエルコンドルパサー。
生涯11戦で全て連対は、シンザン(19連対)、ダイワスカーレット(12連対)に続く記録となった。
その後、翌年から期待を集めながらの種牡馬入りとなったが、2年後に腸捻転にてこの世を去る。
まだ7歳という若さだった。
これは、かの日本歴代最強馬ナリタブライアンと同じである。ただ、ブライアンと違い僅か2世代で残した339頭の中からジャパンカップダート(G1)など、地方交流G1を含めたG1・9勝を挙げたヴァーミリアンや菊花賞(G1)を制したソングオブウインドなどを輩出している。
世界最高の檜舞台で堂々の走りを披露したエルコンドルパサー。その血は僅かながら現在もターフを翔る孫たちへと継承されている。

Kingmambo Mr.Prospector Raise a Native
Gold Digger
Miesque Nureyev
Pasadoble
サドラーズギャル Sadler’s Wells Northern Dancer
Fairy Bridge
Glenveagh Seattle Slew
Lisadell

生涯戦績 11戦 8勝(8-3-0-0)
主な勝鞍 NHKマイルC、ジャパンC、サンクルー大賞(仏)

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