アグネスフライト|歴代最強馬|夢への飛翔|名馬たちの記憶⑰

名馬たちの記憶
jra-van

アグネスフライト
夢への飛翔

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アグネスフライト 夢への飛翔

その戦いに勝ったことで、燃え尽きてしまった馬もいる――。
まさにこの言葉とおり、昭和を代表する名手河内洋にダービージョッキーという称号をプレゼントするために生まれてきたと言っても過言ではない1頭の競走馬がいた。
その競走馬はアグネスフライト
大きなレースを幾度となく勝ってきた名手であっても日本ダービーの勲章だけはなかなか手に届かなかった。
しかし、競馬の見どころである血のドラマが名手とアグネスフライトの夢を乗せて一世一代の日本ダービーに羽ばたくのである。
昨日、老衰のため26歳で亡くなったアグネスフライトの追悼の意も込め、彼らの夢の記憶を振り返りたい。

孫との出会い

河内洋騎手(現調教師)は、騎手時代2140勝(うちG1・22勝)を上げた昭和を代表する名騎手である。

「牝馬の河内」と称され、とにかく牝馬に乗せれば強かったイメージが今もなお、オールド競馬ファンの中には鮮明に残っているではないだろうか。

しかし、騎手生活26年、45歳となった名手河内にも未だ手にしていないタイトルがあった。
それが日本ダービー(G1)である。

昭和を代表する名騎手 柴田政人も苦労に苦労を重ね、1993年の日本ダービーを19回目の挑戦にて、相棒のウイニングチケットとやっと手に入れた称号である。
当然、河内もこれまで数々の名馬に跨り日本ダービーを疾走したが、1度も先頭でゴールすることはなかった。
40歳を半ば過ぎにして、騎手人生の引退という2文字が見えかけていた頃、1頭の競走馬と出会う。その競走馬こそ後に河内をダービージョッキーに導いたアグネスフライト(父サンデーサイレンス、母アグネスフローラ、母の父ロイヤルスキー、母の母アグネスレディー)である。
そのアグネスフライトは河内にとってただの競走馬ではない。切っても切れない由縁ある馬だったのだ。

人馬が導き出した頂点

「牝馬の河内」と言われるだけあって、数々の名牝でG1タイトルを手にした河内騎手。
中でもアグネスフライトの母アグネスフローラにて桜花賞(G1)を制し、アグネスフローラの母、
アグネスレディーでオークス(G1)を制している。
言わば祖母・母と自身が騎乗しG1を勝利しているだけあってアグネスフライトは、ただの競走馬ではない。いわば身内みたいなものである。

河内が他の競走馬よりも人一倍に思い入れが強い、孫のアグネスフライトに騎乗する。それだけでも競馬ファンとしては、血のドラマとして感動的な話である。
そんな孫が河内の悲願であるダービーを勝ってしまうのだから、競馬というブラッドスポーツにはいつも感動させられ、感謝しかない。

血のジレンマ

1997年3月2日にアグネスフローラの4番仔として誕生したアグネスフライトは、けっして馬体は大きくないが、走るサンデーの牡馬らしく無駄のない雰囲気を持っているという印象だった。また、顔や雰囲気が母馬に似ていてデビュー前から期待された。
しかし、全兄アグネスタカオーや姉はいずれも脚元が悪く大成できなかった。この血に宿る脚部不安の遺伝子が馬主たちを脅かすかに思えたが、アグネスフライトは順調に育成されていった。

ところが、3歳(現2歳)の夏に入厩するも脚部不安という母や兄姉同様にアグネスフライトも悩まされることになる。そのため、慎重に慎重を重ねるようプール調教を中心に調教されたのである。

夢の切符

3歳のうちにデビューすることができなかったアグネスフライトは、4歳となった2月に京都競馬場でデビュー戦を迎えた。
スタートから後方を追走し直線に入ると先行する外国産馬サザンスズカを捉え、突き放し最後は4馬身差の圧勝にて見事デビュー戦を勝利で飾った。
強い勝ち方を見た陣営は早くも春のクラシックを意識し、次走を皐月賞トライアル若葉S(OP)とした。2着までに優先出走権を与えられるが結果は12着と大敗。
これで皐月賞(G1)への道は断たれてしまったが、陣営はすぐさま気持ちを切り替え、次の目標を日本ダービーに照準を合わせた。
皐月賞前日に行われる若草S(OP)に臨んだアグネスフライト。
レースでは単勝7.4倍と3番人気に支持。スタートはいつもの出遅れ癖で後方からの追走となるも第3コーナーでまくって進出。直線では全ての他馬をかわしていた。後方から追い込んだのちのG1馬スターリングローズらに半馬身差をつけて2勝目を挙げた。

しかし、この時点で収得賞金は、ダービー登録馬の中で19番目。出走可能頭数の18頭には入っていなかった。そこで陣営は、この年から施行時期が5月に変更された京都新聞杯(G2 なお、この年のみG3で施行された)への参戦を決める。
ただし、同レースは、元々秋開催時は菊花賞(G1)トライアルだったが、時期変更に伴い、日本ダービーのトライアル競走とはされなかったため、確実に出走できる優先出走権の付与はない。
それでもダービー出走馬の当落線にいるアグネスフライトにとっては、ダービー出走を叶える最後の夢切符でもあった。
そんな状況下、アグネスフライトが日本ダービーに出走するためには収得賞金が加算される2着以内が必須であった。
レースでは、お馴染みとなった出遅れからの後方待機。そして、後方のまま迎えた最後の直線では大外から末脚を発揮。
瞬く間に全馬を差し切り最後は3馬身差をつけ優勝。重賞初制覇とともに日本ダービーへの出走を確実なものにした。

河内の夢か豊かの意地か

迎えた運命の日本ダービー。
1番人気は皐月賞馬
エアシャカール(父サンデーサイレンス)で鞍上は天才・武豊騎手。皐月賞2着のダイタクリーヴァ(父フジキセキ)に続いて3番人気がアグネスフライトだった。
レースは、最後の直線でクラシック2冠を目指すエアシャカールが先に抜け出した。鞍上の武豊は前々年のスペシャルウィーク前年のアドマイヤベガに続き前人未到のダービー3連覇が懸かっていた。

一方のアグネスフライト鞍上河内は騎手生活26年で未だ手にしたことがなく、ここまで日本ダービー16戦16敗。
是が非でも手にしたいタイトルであることは十分に承知である。往年の競馬ファンのみならず、全ての競馬ファンが待ち望んでいるのも事実だった。
府中最後の長い直線。残り100mを切ったところでアグネスフライトが祖母から母に続いた河内の思いを知ってか生涯最高の脚を魅せて、後方一気の末脚で猛追する。
このレースを実況した三宅アナの名実況が今でも耳から離れない。

『外からアグネスがきた、河内の夢を運んでくれる!エアシャカールか、エアシャカールか!それともアグネスか、アグネスか!河内の夢か!豊の意地か!どっちだー!』

ほぼ同時にゴール板を通過。日本ダービー史上稀にみる接戦となった。
しかし、ゴール板を過ぎたところで弟弟子の武豊を横目に河内は右腕を高らかに上げていた。
写真判定の結果、河内が魅せた渾身のガッツポーズの通り、僅かの差でアグネスフライトが勝利するのである。

名手を男にした母仔3代の結末

着差は僅か7センチメートル。
これが豊の意地よりも河内の夢が勝った結果である。
見事、アグネスフライトは河内をダービージョッキーにしたと同時に祖母・母から続く母仔3代のクラシック制覇の偉業をも成し得たのだった。

その後、脚部不安がアグネスフライトを襲い屈腱炎を発症。長期離脱も含め5歳の春まで競走馬としてターフを駆け抜けたが、ダービー以降1度も勝つことはなかった。

まさに、その戦いに勝ったことで燃え尽きてしまった馬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・である。

河内洋という昭和を代表する名騎手に日本ダービーの称号をプレゼントするために祖母、母から受け継いだ豪脚を一世一代の晴れ舞台で披露したアグネスフライトは静かにターフを去った。

日本ダービーのために

今日の日本競馬界には、約90頭もの日本ダービー馬が存在する。
実際に走る競走馬は勿論、調教師を始めとする陣営たちも、けっして一筋縄ではいかなかった先に掴んだ栄光にはそれぞれに夢があり浪漫がある。

その夢を掴んだアグネスフライトは残念ながら種牡馬として大成しなかった。
それは、交配初年度に鼠径ヘルニアを患ってしまったことが大きな原因とされている。

しかし、母仔3代と続いたクラシック制覇は全弟のアグネスタキオンが皐月賞を制覇したことで受け継ぎ、種牡馬としてダイワスカーレットを輩出した。それによって母仔4代に続くクラシック制覇という偉業が達成された。当然この先の夢も続いている。

アグネスタキオンの名が大きく偉大になってしまったことで全兄のアグネスフライトは影を潜めてしまう格好となっている。
それでも
河内洋を男にした日本ダービー馬としてアグネスフライトの名は永遠に語り継がれるだろう。

サンデーサイレンス Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
アグネスフローラ ロイヤルスキー Raja Baba
Coz o’Nijinsky
アグネスレディー リマンド
イコマエイカン

生涯戦績 14戦4勝(4-2-0-8)
主な勝鞍 日本ダービー


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