タイキシャトル|歴代最強馬|最強マイル王|名馬たちの記憶⑱

名馬たちの記憶
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タイキシャトル
最強マイル王

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最強マイル王 タイキシャトル

三冠馬ナリタブライアンスペシャルウィークフジキセキといったサンデーサイレンス産駒の台頭など日本競馬史上もっとも熱かった時代だと言われる1990年代。
その中で
未だマイル最強馬と言われる栗毛の名馬もこの90年代に活躍した競走馬である。日本調教馬として海外マイルG1を制覇し、日本競馬ここにありと世界にその名を知らしめたタイキシャトル
今回は、国内外でG1・5勝をマークした日本最強マイル王の記憶を辿りたい。

米国産の良血馬

デヴィルズバッグは日本で大種牡馬となったサンデーサイレンスと同じヘイローを父に持ち、米国競馬にて9戦8勝という輝かしい戦績を収めた。
母は世界的大種牡馬カーリアンの直仔ウェルシュマフィン。現役時代は15戦して5勝という成績を残し繁殖生活に入った。

タイキシャトルは、その2番仔として1994年3月23日、米国ケンタッキー州ビッグシンクファームで生を受けた。
世界的名馬の血を受け継ぐタイキシャトルは当歳を米国で暮らし、2歳になると育成のためアイルランドの地に飛んだ。幾多の名馬たちが誕生したアイルランドの厳しい環境下で英才教育を受けたタイキシャトル。

そして、3歳となったタイキシャトルは美浦の藤沢和雄厩舎に入厩。日本が誇るトップトレーナーの持論である『馬優先主義』を元に早いデビューには拘らず、鋭い牙をゆっくりと研ぐようじっくりと育成されるのである。

その非凡な才能とは裏腹にソエの悪化を始めとする脚部不安を発症させたタイキシャトル。
そのため、なかなかデビューまで辿り着くことができずにいた。それでも馬優先主義を掲げるトップトレーナーは焦らず、じっくりとタイキシャトルを育成した。

そして、ようやく戦う態勢が整ったのは、同世代のライバルたちが春のクラシックを争い始める4月に入ってからだった。

怪物の片鱗

デビュー戦は脚元に少しでも負担がかからないよう配慮され、東京競馬場ダート1600mの4歳未勝利戦。血統的にダートでも芝でも適正能力を持っていると判断されたタイキシャトル。
結果的には2着に4馬身差を付けての圧勝劇を見せた。続く2戦目のダート条件戦も危なげなく勝利し、3戦目は初の芝レースとなったが、ここでも陣営の不安をよそに圧勝。3戦無敗とした。

しかし、4戦目となった阪神競馬場で行われた菩提樹ステークスでは高速決着となったためか、逃げるテンザンストームを捕らえることが出来ず僅差の2着。4戦目にして初黒星を喫してしまう。
ただ、レース後に藤沢調教師は「ノーマークの馬に単騎で行かれて、捕えきれなかっただけ。強い馬が負ける時の典型的なパターン」とコメント。
ここまで重賞未出走ながらも、この時トップトレーナーはタイキシャトルに対して怪物の片鱗を感じていたのである。

日本のマイル王へ

3カ月の休養を経て、陣営が次走に選択したのは世代限定のダート重賞戦ユニコーンS(G3)である。
藤沢調教師は「芝ダート問わず、とにかくマイルのレースで使いたかった。しかも4歳馬限定戦が好ましい。そ
の2つの条件を満たすのがユニコーンステークスだった」とダート戦に出走させる理由を語った。
そして、藤沢調教師の期待に応えるようにタイキシャトルは、2着のワシントンカラーに2馬身差をつける圧勝劇をみせ、重賞初挑戦初勝利を手にする。

その後もトップトレーナーの元で厳しくも体調をケアされながら調教を受けたタイキシャトルは、じっくりと育成され季節は初夏から秋に差し掛かり、次走を秋のマイル王決定戦の前哨戦に当たるスワンS(G2)とした。

ここで初めて一級の古馬たちと相まみえる形となったが、蓋を開けてみれば着差以上の内容で勝利し重賞連勝を飾った。
いよいよ、最強マイル王を決めるマイルチャンピオンシップ(G1)に挑戦となったタイキシャトル。

このレースには桜花賞馬キョウエイマーチを始めとする名だたるG1馬が出走。実績的には明らかに格下だったがファンは、これまでの強い勝ち方から2番人気に支持した。

レースは最後の直線で逃げ粘るキョウエイマーチを横目に上がり最速の脚で瞬く間に交わすと最後は2馬身半差をつけての勝利。全く底知れない強さを披露したタイキシャトルはデビューから半年足らずでマイル王に輝いたのである。

総合万能型

ここまで7戦6勝、連対率100%の戦績を誇ったタイキシャトル。
マイルチャンピオンシップで騎乗した横山典弘騎手は「性格は素直だったけど、特別に抜けている訳ではない。ただ、総合的な能力は高かった。だから強かったんだよ。それにこんなに乗り易い馬はいない。まっすぐ走らせたら勝てるだけの能力をもっている」とのちに語っている。

最強マイル王タイキシャトルは特別にスピードがあったわけでもなく、フィジカル面も強いとは言えなかった。

しかし、幼少期にアイルランドで鍛え抜かれたためか、全ての能力が平均値以上だったのだ。強い競走馬イコール一点突破型の競走馬が注目される中でタイキシャトルはある意味異質の存在だったのかも知れない。

国内に敵なし

重賞3連勝で一気にマイルの頂点に輝いたタイキシャトルが次走に照準を合わせたのが、暮れの短距離王決定戦スプリンターズS(G1)である。
中山1200mという短距離に不安視もされたが、結果的には2着のスギノハヤカゼに1馬身以上の着差を付けて勝利。
見事にG1連勝を飾った。4歳でマイル・スプリントのG1を制覇したことで藤沢調教師は海外を視野に入れていた。

年が明け古馬となったタイキシャトルは、5カ月の休養明け初戦に京王杯スプリングC(G2)を選択。ここでも危なげない走りを見せ、最後は馬なりの状態で重賞5連勝となる勝利を収めた。
藤沢調教師は「海外のGⅠを狙えるような馬なら、休み明けであろうとなんだろうと国内のG2程度ならあれくらいの競馬が出来てしまうんだなと実感した』とコメント。

しかし、現在とは違って当時は日本調教馬が海外のレースで勝利することなど皆無だった。その負の歴史に終止符を打ち、この先、日本馬が世界の門戸に飛び出すために陣営はタイキシャトルの海外挑戦を決断したのである。

そして、海外への壮行レースとなったのが春のマイル王決定戦である安田記念(G1)であった。
しかし、レース前日から降り注ぐ雨の影響でどろんこ状態の超不良馬場。レース当日も雨が降りしきる最悪のコンディション。

これまでダートの経験はあるものの不良馬場は未経験だったタイキシャトル。不安要素が重なる中、それでもファンはマイル王の強さを疑うことなく単勝1.3倍と圧倒的な支持。
激しい雨が府中に降りしきる中、最後の直線タイキシャトルは泥をかぶりながら馬場の真ん中を激走。明らかに脚元が取られる様子だったが残り200mを切ったところで走りが一変。
最後は香港の名馬オリエンタルエクスプレスに並ぶ間も与えず一気に交わし2馬身半差での勝利でG1・3勝目を挙げた。不良馬場も最強マイル王には関係なく、もう日本に敵はなしと言わしめた一戦となったのである。

海外GⅠ制覇の偉業

もはや国内に敵なし――。
重賞6連勝うちG1を3勝、連対率100%。最強マイル王の名に文句なしの戦績で仏国へと旅立ったタイキシャトル。
藤沢調教師が海外G1に視野を入れたのは仏国のマイルG1で最高峰と呼ばれるジャック・ル・マロワ賞。

海外遠征を行う場合、少しでも競走馬に現地での慣れも含め早めに準備する方が良いのかも知れない。しかし、タイキシャトルの場合、レースの約1ヵ月前に現地入りさせた。
これは、日本でやってきた調教のリズムを変えない方が良いと判断した藤沢調教師の意図的な行動だった。

その後、レース前からタイキシャトルの強さは現地で噂になるも所詮は日本馬というイメージが大半だったが、ジャック・ル・マロワ賞の前週に開催されたモーリス・ド・ゲスト賞(仏G1)にて、そのイメージが覆された。
それは、天才・武豊騎手の手綱捌きで日本調教馬のシーキングザパールが勝利したことによる。
さらには、日本調教馬として初の海外G1制覇となった快挙にシーキングザパールを管理していた森調教師が「来週に出走するタイキシャトルはもっと強いですよ」と発言したことが仏国全土に知れ渡りタイキシャトルは単勝1.3倍という圧倒的1番人気に支持されることになった。

舞台は数々の名勝負が繰り広げられてきたドーヴィル競馬場。
8頭立てとなったレースは、ストレートコースとなる全てが直線。そして、ゴール前ケープクロスアマングメンとの3頭による競り合いを制して見事、僅差での勝利。1週前のシーキングザパールに続き、2週連続での日本調教馬による海外G1制覇。
この快挙は、日本競馬が世界の競馬に確固たる歴史を刻んだ瞬間となったのは言うまでもない。

顕彰馬として

海外G1を制し最強マイル王の称号を確固たるものにしたタイキシャトル。
その後は、仏国内に留まり仏国のムーラン・ド・ロンシャン賞(仏G1)や故郷、米国への遠征の話が持ち出された。しかし、検疫問題などもあって帰国することになる。

年内で引退表明をしていたため、国内のG1レースに専念することになったタイキシャトル。
連覇のかかったマイルチャンピオンシップでは、いつもと違い4コーナーから直線に入るとそのまま後続馬を寄せ付けず5馬身差の完勝。マイルチャンピオンシップ連覇という偉業を達成。
引退まで残すはあと1戦。目指すはもちろん暮れのスプリンターズステークス連覇である。

しかし、この時のタイキシャトルは何か様子がおかしかった。明らかに太目の馬体。覇気も全く感じられず、いつもと違う印象だった。

その悪い予感は的中してしまう――

レースでもファルブラヴの3着に敗れてしまい、引退レースで連対率100%という記録が途絶えてしまったのである。
実はこの時点でタイキシャトルの内面は燃え尽きていたと言われている。

後日、藤沢調教師は「明らかに走るのが嫌なそぶりをみせるようになっていたんですよね。耳を絞って反抗していましたから。もしタイキシャトルが人間の言葉を話せたらもう引退させてくれと言っていたかもしれません」と語った。

こうして、最強マイル王は、後人に道を譲るような形でターフに別れを告げた。

そして、タイキシャトルはジャック・ド・マロワ賞を含めた年間G1・3勝が評価されマイル〜短距離馬としては初となる年度代表馬に選ばれた。
さらに翌年には同じくマイル〜短距離馬として初の快挙となるJRA顕彰馬にも選出されたのである。

その後、種牡馬生活に入ったタイキシャトルは生涯に渡り1407頭もの産駒を輩出。
うちメイショウボーラーウインクリューガーといった2頭のG1馬をはじめ、中央・地方と多くの重賞勝ち馬を世に残した今、日本が誇る最強マイル王の血は孫の世代へと受け継がれている。

デヴィルズバッグ Halo Hail to Reason
Cosmah
Ballade Herbager
Miss Swapsco
ウェルシュマフィン カーリアン Nijinsky
Foreseer
Muffitys Thatch
Contrail

生涯戦績 13戦 11勝(11-1-1-0)うち海外1戦1勝
主な勝鞍 ジャック・ル・マロワ賞(仏G1)マイルチャンピオンシップ 2回、安田記念、スプリンターズステークス

※馬齢表記は、当時のまま(現在の+1歳で表記)

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