キングヘイロー|歴代最強馬|天才2世と超良血馬|名馬たちの記憶⑲

名馬たちの記憶
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キングヘイロー
天才2世と超良血馬

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キングヘイロー 天才2世と超良血馬

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2023年2月末で長きに渡る騎手生活にピリオドを打った福永祐一騎手。
無敗の三冠馬コントレイルを始め、数々の栄光を手にしてきた福永騎手だが、福永騎手といえば真っ先に思い出されるのはキングヘイローではないだろうか。元祖天才騎手を父に持つ福永騎手と良血すぎるほどの良血馬キングヘイロー。
勝つことが当たり前とされた人馬のエリート。

今回は、2つのエリートが苦悩し不屈の魂で挑み続けた記憶を振り返りたい。

世界的超良血馬

ダンシングブレーヴは凱旋門賞などG1を4勝し、1980年代の欧州最強馬と言われた名馬。
引退後は、総額約33億円の大型シンジケートが組まれて種牡馬入りするも競走馬にとって不治の病であり奇病とも言われるマリー病に蝕まれてしまう。

その後も種牡馬生活は続くが、初年度産駒がほとんど走らず体調管理の難しさなどから引退から僅か4年で見切りをつけられた。
マリー病ゆえ購入に対して激しい議論になったものの最終的にJRAが購買を決断。1991年に日本軽種馬協会へ寄贈された。その後、英国に残された産駒からコマンダーインチーフホワイトマズルといった歴史的名馬が続出する。

欧州の関係者は「早すぎた日本への輸出」と嘆き、イギリスの一般紙では『早計な判断から起きた国家的な損失』と報じたほどである。
そして、母はケンタッキーオークスなど米国G1を7勝した名牝グッバイヘイロー
父母とも世界的に超がつくほどの良血を受け継ぎ1995年4月28日、北海道新冠の協和牧場に生を受けたキングヘイロー。幼駒ながらキラキラと光る美しい馬体は見るからに走りそうな雰囲気があったという。

一方、かつては天才騎手と呼ばれた福永洋一元騎手を父にもつ福永祐一騎手は、奇しくもキングヘイローが誕生した1年後の1996年3月2日に阪神競馬場でデビューした。
初騎乗から連勝を飾り、武豊騎手以来の新人騎手50勝も達成。巷では、早くも武豊騎手の座を狙う天才2世と期待されていた。

こうして、2年後には人馬とものエリート同士が不思議な縁で結ばれていくのである。

エリート同士の出会い

1997年10月5日の京都競馬場の芝1600メートルでデビュー戦を迎えることになったキングヘイロー。
当初は武豊騎手に騎乗依頼する予定だったが、同日に東京競馬場で行われる毎日王冠(G2)にジェニュインへの騎乗が決まっていたこともあり騎乗不可となった。

そこで管理する坂口調教師は、偶然にも福永騎手と居合わせたため一言「乗る?」と尋ねたことがキングヘイローと福永騎手との縁を結んだ。
デビュー前から超良血馬のキングヘイローは何かと注目される存在であり、そこに天才2世が騎乗するとなれば話題になるのは当然だった。

そして、デビューは2番人気ながら2着に半馬身差の辛勝。
2戦目となった条件戦の黄菊賞も3番人気で勝利。続く東京スポーツ3歳S(G3)では、後にスプリンターズS(G1)を勝利することになるマイネルラヴに2馬身差を付けて快勝。
見事デビューから負けなしの3連勝で超良血馬は早くも重賞勝ち馬となる。また、デビュー2年目の福永騎手にとっても嬉しいJRA重賞初勝利となった。

勝つことが約束されたエリート――ここまで順調に約束されたことを有言実行をした。しかし、競馬の世界はそんなに甘くないことがエリートコンビに試練として訪れるのである。

最強世代

キングヘイローが生まれた1998年世代は「黄金世代」とも呼ばれ、後に競馬史上最強世代の1つにも数えられている。

それは、この世代の競走馬が当時存在したJRAの平地G1・21レースを完全制覇したこと。
そして、3〜4歳時における重賞勝ちの多さ、高勝率のトップホースの多さ、記録したレコードタイムの多さに加えて海外での活躍などが挙げられ、まさに個性豊かなライバルたちが互いにしのぎを削った華やかな世代だったと言えよう。

主な代表的な競走馬とG1勝鞍は以下となる。※古馬G1(12)のみ、世代G1(9)は除く
エルコンドルパサー(ジャパンカップ)
グラスワンダー(有馬記念、宝塚記念)
スペシャルウィーク(天皇賞・春、秋)
エアジハード(安田記念、マイルCS)
・アグネスワールド(海外G1 2勝)
・ウイングアロー(フェブラリーS、ジャパンカップダート)
・ファレノプシス(エリザベス女王杯)
・マイネルラヴ(スプリンターズS)

上記に加えて牡馬クラシック二冠馬のセイウンスカイや重賞戦線で活躍した皇帝産駒ツルマルツヨシ、香港馬で安田記念(G1)を制したフェアリーキングプローンなども同世代である。
そして、キングヘイローの高松宮記念(G1)。まさに最強世代といっても過言ではないだろうか。

クラシック開幕

無傷のエリートコンビは、続くラジオたんぱ杯3歳S(G3)に出走した。
しかし、ここで初めてロードマックスに土をつけられ2着に敗北。それでも負けてなお強しといった走りを見せた。

年が明け4歳(現3歳表記)となったキングヘイローは皐月賞トライアル弥生賞(G2)から始動。
しかし、この弥生賞にはスペシャルウィーク、セイウンスカイといった後にクラシック戦線のライバルとなる強豪馬が出走。キングヘイローとは初めての対戦となった。

結果は、2番人気のスペシャルウィークが勝利し、3番人気のセイウンスカイが2着。1番人気に支持されたキングヘイローは3着に敗退となった。
続く牡馬クラシック第1弾、皐月賞(G1)では逃げる3番人気のセイウンスカイを捕まえる事が出来ず2着。1番人気のスペシャルウィークが3着となり、世代3強に恥じない走りを見せたが、勝つことが約束されたエリートコンビにとって後味の悪い結果が続いたのである。

真っ白なダービー

ここまで6戦3勝、2着2回3着1回、重賞1勝。
決して恥じる戦績ではないが勝つことを宿命付けられたエリートコンビに対してファンが納得するはずはなかった。

そして、迎えた大一番、日本ダービー(G1)。出走を前に顔面蒼白な福永騎手を見た坂口調教師は「大丈夫か?」と尋ね、福永騎手は「少し風邪気味なだけで大丈夫です」と答えた。
しかし、それは嘘でデビュー3年目の若手騎手に対して日本ダービーの重圧が半端なかったのだろう。

福永騎手からすると父もダービーは勝ったことはなく福永家悲願となれば尚更である。
しかも世代3強、超良血馬キングヘイローに騎乗するのだ。
プレッシャーを感じないわけがない。

案の定、競馬の祭典のゲートが開くと逃げ馬セイウンスカイより前に出てしまい、まさかの大逃げ戦法。誰の目にも明らかな大暴走。結果はスペシャルウィークが勝利、武豊騎手のダービー初制覇となった。一方のエリートコンビは14着と大敗を喫した。

レース後、福永騎手は「頭が真っ白になり逃げてしまいました。直線で早々に交わされたときは、ああ~って心の中で叫んでいました」と語った。
そして、このレースを機に福永騎手はキングヘイローの主戦騎手を降板させられたのだった。

坊っちゃん馬

経験不足から相棒から降ろされた福永騎手。
しかし、騎手だけに問題があったわけではない。キングヘイローにも問題があったのだ。それは、福永騎手に乗り変った名手・岡部幸雄騎手が「ちゃんと調教していたのか?」と尋ねるほどでキングヘイローの性格はエリート坊っちゃんのように超我儘だったのである。

気分が良いと走り、少しでも気分を損ねると全く走らない。典型的な気性難。調教でも常にそんな状態だった。
それでも岡部騎手との新コンビで心機一転、夏の休養を経て迎えた秋初戦の神戸新聞杯(G2)では3着。

続く京都新聞杯(G2)でも2着と勝ち切れない日々が続く。
そして、クラシック最後の一冠、菊花賞(G1)でもセイウンスカイが二冠を達成する傍らで5着に敗退。

年末の有馬記念(G1)でも6着と破れ、結局この年は1勝もすることなくキングヘイローは4歳を終えたのだった。

エリートたちのリベンジ

年が明け古馬となったキングヘイローは新たに柴田善臣騎手とコンビが結成された。
そして、距離適性が1600m前後だと考えていた坂口調教師は、昨年で引退した最強マイル王タイキシャトルが抜けたマイル路線にキングヘイローを送り込む。

古馬初戦となった東京新聞杯(G3)、中山記念(G2)と連勝。昨年の不振が嘘のように激走したキングヘイローにとって実に1年3ヵ月ぶりの勝利となった。
その後は、既定路線である安田記念に出走したキングヘイロー。

しかし、何か嫌なことがあったのかエリート坊っちゃんはお馴染みの我儘振りを発揮。安田記念では全く競馬にならず11着と惨敗。続く宝塚記念(G1)に参戦するも8着に惨敗。
なお、この宝塚記念には、かつてのライバルだったダービー馬スペシャルウィークがグラスワンダーと壮絶なデッドヒートを繰り広げており、3強と呼ばれた時代など忘れたかのようにキングヘイローは置き去りにされたのだった。

その後、秋に入り、かつてのエリートコンビが復活。
マイルチャンピオンシップ(G1)に挑むもエアジハードに敗れての2着。暮れには、スプリンターズS(G1)に出走したが、当時短距離界2強と言われていたブラックホークアグネスワールドの前に3着と惜敗。
再結成したエリートコンビはまたも勝ち切ることはできなかった。

悔しさと栄光

6歳(現5歳表記)となったキングヘイローに対して管理する坂口調教師は「これだけの超良血馬、どうしてもGⅠを獲らせてやりたい」と、母馬グッバイヘイローの血統背景からダートでも勝機があると判断。フェブラリーS(G1)に出走を決めた。

しかし、内枠が災いしたのか砂を被ったキングヘイローは全く走らず13着と大敗。この頃には負けても負けてもG1に挑戦し続けるキングヘイローに対して応援するファンが急増。
そして、次走は柴田善臣騎手と再コンビ結成となって迎えた高松宮記念。ここには昨年のスプリンターズSで苦杯を飲まされたブラックホークも参戦。レースでは後方待機する形をとったキングヘイロー。

そして、第4コーナーを回って中京競馬場の短い最後の直線に入ると大外からキングヘイローが恐ろしい末脚を魅せ、ゴール前でディヴァインライトをクビ差で捕らえたのである。

ついに念願のG1タイトルを手にしたキングヘイロー。
実に11回目のG1挑戦にして手に取った初の栄冠。ただ、鞍上は柴田善臣騎手である。皮肉にも同レースで2着となったディヴァインライトに騎乗していたのが福永騎手だった。

レース後、福永騎手は「一番いて欲しくない馬が前にいた」と語っている。
何とも言い難いエリートコンビの相棒を後ろから見る形となった複雑な心境だが、これも競馬のロマンである。

20年越しの日本ダービー

その後、安田記念では再度、福永騎手が騎乗するも3着。その年の有馬記念では4着に好走し、キングヘイローは引退。種牡馬入りする。

一方の福永騎手はキングヘイロー引退後、目覚ましい活躍を魅せ今では自他共に認めるトップジョッキーにまで上り詰めることになった。

そして、種牡馬となった超良血馬キングヘイローもカワカミプリンセスローレルゲレイロといったG1馬を輩出し、種牡馬としても成功を収めている。
しかし、まだエリートコンビには忘れたものがある。
それは福永騎手が、キングヘイローと惨敗した日本ダービーという勲章であった。

福永騎手は毎年のように日本ダービーに出走するも勝利することができず、いつしかファンの間では『キングヘイローの呪い』とまで言わるようになった。
ところが、そんな福永騎手にも2018年の日本ダービーをワグネリアンと制するのである。ダービー初騎乗から実に20年が経っていた。
これには、きっと遠く離れた地で余生を暮らすキングヘイローにも届いただろう。

そして、日本ダービーの栄冠を手にした元相棒を見て安心したのか、その翌年にキングヘイローは老衰の為に24歳でこの世を去る。
それは奇しくもキングヘイロー自らが勝利した高松宮記念が開催される5日前のことだった。

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競馬を教えてくれた馬

後日談だが、福永騎手は今まで一番悔しかったレースを「キングヘイローが勝った高松宮記念。自分が2着だったからっていうんじゃなくて、これまで自分が乗っていたのに、なんでG1を勝たせてあげられなかったんだろうっていう悔しさです。でも馬の事を思ってやっとタイトルが取れてよかったなという気持ちもあって、複雑な心境でした」と語っている。

また、キングヘイローで勝利した柴田騎手はキングヘイローに対して「気性の難しい馬というのが一番の印象です。それが成績にもでていたし。高松宮記念の時は距離短縮がハマった感じでした。ただ僕はあくまで付録で、この馬はやっぱり祐一君の馬ですから」と語った。

やはりキングヘイローは自他ともに認めるほど福永騎手にとっては特別な馬であり、「競馬を教えてくれた馬」であったのは間違いない。

福永騎手の日本ダービー初制覇から3年後のスプリンターズS。
福永騎手はピクシーナイトで勝利した。奇しくもピクシーナイトの血統を見ると母の父の欄にはキングヘイローの名が刻まれていた。

レース後の勝利騎手インタビューで福永騎手は「キングヘイローにようやく恩返しができた」と満面の笑みでそう語った。
人馬ともに魅せた競馬の感動とロマン。これだから馬券に負け続けても競馬はやめられないのである。

ダンシングブレーヴ Lyphard Northern Dancer
Goofed
Navajo Princess Drone
Olmec
グッバイヘイロー Halo Hail to Reason
Cosmah
Pound Foolish Sir Ivor
Squander

生涯戦績 27戦6勝(6-4-4-13)
主な勝鞍 高松宮記念


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