スーパークリーク|歴代最強馬|天才を天才にした馬|名馬たちの記憶⑤

名馬たちの記憶
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スーパークリーク|歴代最強馬|天才を天才にした馬|名馬たちの記憶⑤

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スーパークリーク 天才を天才にした馬

1988年 菊花賞。
もしもその馬が、その男に出会わなかったら。
もしもその男が、その馬に出会わなかったら。
天才を天才にした馬スーパークリーク。
本当の出会いなど一生に何度あるだろう?
―2013年 菊花賞 JRA CMより―

ご存知の方も多いだろう。
当時19歳だった武豊騎手に初めてG1という勲章をプレゼントしたのがスーパークリークである。
また、オグリキャップイナリワンと競馬ファンなら誰もが知っている2頭の名馬とともに平成の三強と呼ばれ第2次競馬ブームの立役者でもある。
天才・武豊騎手を初めて男にした馬――今回は、そんな彼の記憶を辿りたい。

買い手が付かず

彼の父は仏国産馬で長距離を得意としたノーアテンションである。現役時は33戦2着14回と詰め甘タイプだったが、4連闘を熟すなどタフな馬でもあった。

母はナイスデイ。その父インターメゾは長距離戦線で大活躍した菊花賞馬グリーングラスの父でもある。

よって、スーパークリークはスピードよりもガチガチのスタミナ血統(配合)であった。
長距離血統を背負い産声をあげたスーパークリークは、幼少期に左前脚の外向があったためか、1歳(現0歳)及び2歳(同1歳)のセリ市で買い手が付かなかった。いわゆる売れ残りである。

その後、生産者は旧知の馬主に庭先取引にて何とか売却する。その取引価格は810万円という。
のちに取引価格の70倍となる約5億6000万円の賞金を獲得するのだから、競馬は馬券だけではないギャンブルである。

だから競馬は面白い。ただ、あくまでも生産者の苦労を知らない、いち競馬ファンの目線としてだが……。

大物の片鱗

「今は小川(クリーク)でも将来的には大河になるように」との願いを込めて馬主がスーパークリークと命名した。脚に外向があったため売れ残りだったスーパークリークは馬主の想いを受けてか、デビュー2戦目で初勝利を挙げる。

この時に騎乗した元祖天才と言われた田原成貴元騎手が、この馬はひょっとすると大変な大物かも知れない。と大物の片鱗を匂わす発言をしている。

その言葉通り、のちに中長距離G1を3勝する名馬となるが、それはまだ先の話である。

菊花賞前のアクシデント

さて、元祖天才に大物になるかも知れないと言われたスーパークリーク。

しかし、詰めの甘いタイプは父親譲りなのだろうか、5戦2勝(2着1回、3着1回、4着1回)となかなか勝ちきれない中で迎えた、春先のすみれ賞(OP)で運命の出会いが訪れる。

それは、このレースで若き武豊騎手とコンビを組むことになったのだ。レースでは、3番人気を物ともせず半馬身差の辛勝で見事オープンクラス入りを果たした。

そして、この出会いから引退するまで武豊騎手が全て手綱を取ることになる。

その後、夏を経てスーパークリークは牡馬クラシック最後の栄冠である菊花賞(G1)に出走するため京都新聞杯(G2)に出走。しかし、そこにはアクシデントが待ち受けていた。

それはガクエンツービートの騎手が振るった鞭が何度もスーパークリークの顔に当たるという出来事であった。
結果的に6着敗退。菊花賞の優先出走権を逃してしまう格好となる。ちなみにガクエンツービートは9着だった。

その結果、菊花賞の出走はキャンセル待ち状態。
主戦となった武豊騎手もクリークがだめ(菊花賞に出走出来ない)なら、参加出来なくても仕方ない。とコメントするほど、スーパークリークの能力を見抜いていた。

しかし、そんな彼らに幸運が舞い降りるのである。出走馬確定日の直前、2頭の出走予定馬が急遽、回避を表明した。これにより菊花賞への出走が叶うことになるのである。

運もあって出走まで辿り着いた牡馬クラシック大一番の菊花賞。
滑り込みの出走ながら3番人気に支持されたのは、競馬ファンもスーパークリークと若き天才の可能性を知ってのことだろうか。そして、蓋を開けてみると2着ガクエンツービートに5馬身差の圧勝。見事、重賞初制覇がG1初制覇となった。

なお、キャンセル待ちにて出走したスーパークリークとガクエンツービート。この2頭による獲得賞金最下位のワンツーとなった珍しい菊花賞でもあった。

アイドルホースと対決

菊花賞馬スーパークリークが、2つ目の勲章を手に入れたのは記念すべき100回目となった天皇賞・秋(G1)だった。

1番人気に支持された当時のアイドルホースオグリキャップの猛追をクビ差だけ残した形で勝利。
翌年の天皇賞・春(G1)では、宿敵イナリワンを半馬身差に抑えて勝利。これで3つ目となるG1タイトルを獲得。併せて史上初となる天皇賞秋春連覇を達成した。

今でこそ、日本の競馬レベルが格段に上がり海外の大レースを勝ち負け姿も珍しくなくなったが当時は海外の大レースなど夢のまた夢の話。

それでもスーパークリークの陣営は秋の仏国で行われる凱旋門賞(仏G1)を視野に入れた。その前哨戦として宝塚記念(G1)の勝利を前提・・・・・・・・・・で凱旋門賞に登録。

ところが、競馬の神様のイタズラだろうか。筋肉痛により宝塚記念を回避。
残念ながら、凱旋門賞挑戦は白紙となった。

それだけ期待された彼は、陣営の期待に応えるべく休養明けの初戦となった京都大賞典(G2)を快勝。天皇賞・秋の連覇に向け順調な滑り出しを見せた。
しかし、再びのイタズラか。レース直後に左前脚の繋靭帯炎を発症。
志半ば、そのまま引退となった。

動じない馬

落ち着いていて物事にも動じない性格は種牡馬入り後も変わらず、このように落ち着いた種牡馬は珍しいと言われたほどだった。

しかし、世に残した204頭の産駒は父同様おとなしい性格だったのか残念ながら重賞勝ち馬は現れなかった。

そして、現在は平成三強と謳われた1頭イナリワンの血もほとんど見ることがない。もう1頭のオグリキャップだけは何とか直系(父系で繋いでいる)の曾孫が地方競馬で曾祖父の血を残そうと走破している。

「僕が初めて惚れ込んだ馬、僕の期待に応えてくれた大事な馬です。あの馬がいなかったら、僕はこんなにたくさんのG1に乗れなかったと思う。本当に強かった。ある意味で僕の原点かな、この馬と一緒に全国区になった」

天才・武豊騎手にそう言わしめた競走馬スーパークリーク。

後世に残る日本競馬史上最強ジョッキー武豊騎手が初めて勝ったG1レース。それは間違いなく永遠に語り継がれるだろう。そして、その都度、人々はスーパークリークの名を耳にする。
武豊を初めて男にした馬として彼の名は、日本競馬史に永遠と刻まれ続けることだろう。

ノーアテンション Green Dancer Nijinsky
Green Valley
No No Nanette Sovereign Path
Nuclea
ナイスデイ インターメゾ Hornbeam
Plaza
サチノヒメ Sayajirao
セントマキシム

生涯戦績 16戦 8勝(8-2-2-4)
主な勝鞍 菊花賞、天皇賞・秋、天皇賞・春


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