ベガ|歴代最強馬|天才を虜にした名牝|名牝たちの記憶⑪

名牝たちの記憶
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ベガ
天才を虜にした名牝

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天才を虜にした名牝ベガ

先日、前人未到のJRA 4400勝を達成した日本競馬界のレジェンドジョッキーこと天才・武豊騎手。
これまで日本競馬史に燦々たる名馬たちとその名を刻んだ天才に忘れられない1頭の牝馬がいる。

その牝馬はベガといった。

天才に初めてオークス(G1)という栄冠をプレゼントした名牝。
産まれた時から脚が内側に曲がっているハンデを乗り越えて天才と掴んだ栄光。

今回は、輝く一等星ベガについての記憶に迫りたい。

脚が内側に曲がった仔馬

父は1988年の凱旋門賞馬トニービン
母は20世紀最高の種牡馬と称されたノーザンダンサーの直仔であるアンティックヴァリュー
ベガは良血の両親から血を受け継ぎ1990年3月8日に社台ファームにて生を受けた。

ただ、期待の良血牝馬は母アンティックヴァリューの不自然に脚部が内側に曲がっている内向という身体的特徴を遺伝してしまう。

そして、成長するに連れてベガの左前脚は曲がり始め、やがて誰の目にも判別できるほど酷い内向になった。この状況を見た牧場関係者の間では「競走馬としてデビューできれば御の字」という風潮が漂ったという。それほど酷い内向だったのだ。

調教もできない

内向の影響でベガは少しのことで脚部に異常が見られ、同時に体調不良も繰り返すような状態となった。
このため、育成調教も順調に進めることができず一時は未出走のまま繁殖牝馬として繋養する事を検討されていた。しかし、2歳(現1歳)の秋から試験的に坂路コースで調教を開始すると比較的脚部への負担が少ないことが判明した。

その結果、坂路調教が継続され、次第にベガの動きにも変化が現れはじめることになる。疲れやすい体質は改善され、脚部不安の頻度も減少傾向が見られた。その後、牧場内での坂路調教を引き続き行うことを条件に栗東の松田厩舎に競走馬として入厩が決まったのだった。

そして、馬主の「織姫星のように輝いてほしい」「七夕で人々が短冊に書いた願いを叶えるように、みんなの願いも叶えてほしい」という願いから織姫星である琴座の一等星ベガと命名されたのである。

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1度だけの調教

3歳(現2歳)の秋になり、松田厩舎に入厩したベガ。
しかし、脚部不安である内向が改善されたわけでもなく、あくまで競走馬としてデビューが出来たら程度にしか見られていなかった。松田調教師も頭を悩ませながらもベガの能力を見極め、少しずつ脚部不安に配慮する調教に専念。負担をかける激しい調教が出来ないベガ。ところが、調教を重ねるうちに松田調教師はある事に気付くのである。

それはベガの馬体が異常に柔らかいこと。
そして、ベガは内向というハンデの中、他の競走馬にはない天性の柔軟性を持っていたのだった。
そこで松田調教師は1度だけ坂路コースで強めの調教を行った。すると、オープン馬と見間違えられるほどの動きと好タイムを叩き出すのである。

それを見た松田調教師は、たった1度だけの強めの調教だけでデビューさせることを決めたのであった。

天才が認めた馬

1993年1月9日の京都競馬場にてデビュー戦が決定したベガ。
デビュー戦の鞍上には当時、松田厩舎所属の若手騎手であった橋本美純騎手が務めた。
しかし、レースでは直線ゴール前で1番人気のプリンセスメールに突き放され2馬身半差の2着に敗れた。

ただ、ベガは実質1回の調教しか行っておらず、この結果に対して松田調教師は驚きをみせた。それと同時にベガの類稀な素質に惚れこんだことで次走には武豊騎手に騎乗依頼。
ここから武豊騎手はベガの引退まで手綱を取ることになるのである。

そして、2週間後に行われた2戦目となる4歳新馬では2番人気ながらも2着に4馬身差をつけての圧勝。
レース後、武豊騎手はベガのシャープな走りに強い印象を受け松田調教師に「この子はオークスを勝ちますよ」と告げた。

ところが、内向の影響からかレース後には後左前脚に異常が判明するのである。幸い症状はそれほど重くなかったものの、今後のレースに関し松田調教師は頭を悩ませることになった。

それは入厩した当初から松田調教師は2400mで行われるオークス(G1)向きの馬体だと見ていた。ただ、内向という脚部不安を考慮し1600mの桜花賞(G1)は回避する予定だった。
しかし、ベガの脚部不安はみるみる回復するのである。

そこで松田調教師は、この状態ならベガの脚元に負担を掛けず出走可能だと判断。3戦目を桜花賞トライアル・チューリップ賞(G3)を選択。

レースでは1番人気に応え、2着に3馬身差をつけての圧勝。重賞初出走初制覇とともに僅かデビューから2ヶ月足らずで桜花賞の有力馬として一気にスターダムをのし上がったのである。

天才の会心

桜花賞トライアル、チューリップ賞で圧倒的な強さを見せたベガ。
その強さのまま桜花賞最終追切では、坂路にて51秒2という驚異的なタイムを叩き出し、牝馬二冠馬マックスビューティーの娘マックスジョリーや地方からの転厩でオープン勝ちを果たしたユキノビジンなどの強豪馬を抑えて堂々の1番人気に推された。

レースではスタートから逃げ馬を見る形で2番手の先行策を取ったベガは最後の直線に入るとすぐに先頭に立ち、ゴール前ではユキノビジンをクビ差退けての勝利。
誕生した直後は内向によりデビュー出来れば御の字とまで言われていたベガ。しかし、脚部不安との戦いも制し見事、桜花賞馬に輝いた。

なお、このレースは武豊騎手自身もシャダイカグラ以来の牝馬クラシック勝利となった。
後に武豊騎手は「これまでのキャリアの中でのベストレースは?」との質問に対し「レース前に思い描いた通りの競馬ができたという意味で会心の1戦でした」とベガの桜花賞を挙げるほど会心のレースとなったのである。

有言実行

桜花賞馬となったベガが目指すのは、もちろん牝馬クラシック第2弾のオークス。初勝利のあと天才が獲れると太鼓判を押したレースである。

しかし、オークスに向けて栗東トレーニングセンターから東京競馬場に輸送される際、大きく体調を崩すというアクシデントが発生する。これは初めての長距離輸送が原因とされ、その影響から一時的に発熱や食欲不振といった変調を患ったベガ。
その情報は瞬く間に広がり、レース当日では1番人気に推されるもののオッズは3.4倍と競馬ファンからも半信半疑な部分が見られた。

ただ、唯一天才だけを除いて――

そして、迎えたオークスでは桜花賞と同様に先行策をとって、東京府中の長い直線に入ると先頭のユキノビジンを瞬く間に交わして最後は1馬身と3/4の差を付けて見事二冠を達成するのである。
この勝利は武豊騎手にとっても初めてのオークス制覇となった。
レース後、武豊騎手はベガが3.4倍というオッズだったこと取り上げ「自信があるだけにどうして?という感じでした」と語った。

ベガはベガでもホクトベガ

史上9頭目の牝馬クラシック二冠馬となったベガ。
ところが、オークス終了後に歩様の乱れが生じたため、そのまま社台ファーム千葉へ放牧に出されることに。しかし、この放牧中には右肩筋肉痛の症状まで発症。常に脚部不安と戦ってきたベガにとって、大きな負荷が掛かっていたのだろう。しかもベガの不運は続く。牧場の装蹄師が蹄に蹄鉄を打つ際、人間の深爪にあたる釘傷を生じさせたのだった。

このため、牝馬三冠最終戦エリザベス女王杯(G1)(当時はまだ秋華賞(G1)が設立されていなかったためエリザベス女王杯が牝馬三冠とされていた)の出走も危ぶまれる事態となった。
そして、8月に入っても本格的な調教ができないベガはトライアルレースを経由せずエリザベス女王杯に直行という道を選択。

レースでは好スタートを切ったものの最初の200m地点あたりで他馬と接触し態勢を崩してしまう。これには天才が上手く態勢を立て直すも最後の直線ではホクトベガノースフライトに突き離されての3着に敗れた。

実況アナが「ベガはベガでもホクトベガ!」とゴール前で叫んだ実況はあまりにも有名である。
こうしてメジロラモーヌ以来、史上2頭目の牝馬三冠に期待が懸かった1戦だったが夢幻に終わってしまう。

さらにスタート直後の接触により右後脚を負傷、競馬場内の診療所で球節付近を4針縫合するほどの負傷となった。

輝きを失った一等星

このエリザベス女王杯での怪我はベガにとって今後の競争生活に支障をきたすことになる。それはこの怪我の影響で姿勢が大きく変化してしまったのだ。

元来の内向により通常の馬よりも馬体のバランスが悪かったベガ。
デビュー当時からは何とかバランスを保っていたが、それがこの怪我で崩れてしまった。その結果、ベガはかつてのような走りを魅せることができなくなってしまう。

この年のグランプリ有馬記念(G1)では、最後の直線で全く伸びず9着と初めての大敗を喫した。

翌年5歳(現4歳)となり産経大阪杯(G2)から始動するも有馬記念と同じく直線で伸び切れず9着と惨敗。

生涯最後となった宝塚記念(G1)では、初めてゲート入りを嫌がり13着と大敗。レース後には、左前第一指骨の骨折が判明したことで現役引退となった。

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ダービー馬の母

桜花賞・オークスと制しながら怪我が伴い一等星の輝きを失ってしまったベガ。
しかし、繁殖牝馬となったベガは再び一等星の輝きを取り戻すことになるのだった。

まず、初仔となったアドマイヤベガは武豊騎手に導かれ、日本ダービー(G1)を制覇。初仔から日本ダービー馬を輩出する名牝ぶりを発揮した。

なお、武豊騎手はベガに対して「理想の名牝なのではないでしょうか。僕にとっては最高の牝馬です。かわいいし、やっぱり好きですね。ベガは特別です」と語っているほどである。

そして、ベガはこの後も芝・ダートのG1を7勝したアドマイヤドンやセントライト記念(G2)の勝ち馬アドマイヤボスを始め、輩出した5頭のうち3頭が重賞勝利馬となっている。
また、ベガの仔で唯一未出走となったベガ最後の仔ヒストリックスターが繁殖牝馬として桜花賞馬ハープスターを輩出したことで祖母孫の変則二代で桜花賞制覇を成し遂げた。

後日、松田調教師はベガについて「脚が曲がっていても、あれだけの素晴らしい成績を残してくれた。やる前から諦めてはいけない。やるだけやって、努力して、その結果がダメなものは、諦めなければ仕方がない。それが、ベガから改めて学んだ」と語った。

この世に生を受けた時から内向というハンデを抱えながらも桜花賞・オークスと牝馬クラシック二冠を制し天才を虜にした名牝ベガ。

その偉大な血はアドマイヤベガやアドマイヤドン、孫のハープスターによって永遠に日本競馬血統史に一等星として輝き続けるだろう。

トニービン カンパラ Kalamoun
State Pension
Severn Bridge Hornbeam
Priddy Fair
アンティックヴァリュー Northern Dancer Nearctic
Natalma
Moonscape Tom Fool
Brazen

生涯戦績 9戦 4勝(4-1-1-3)
主な勝鞍 桜花賞、オークス

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