ヒシアマゾン|歴代最強馬|女傑|名牝たちの記憶⑨

名牝たちの記憶
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ヒシアマゾン
女傑

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女傑 ヒシアマゾン

まだ外国産馬にクラシック出走権が与えられていなかった時代――。
競馬にタラレバは禁物だが、もし出走可能だったなら牝馬三冠も夢ではなかったと思わせてしまう。それほどまでに多くの競馬ファンを虜にしたヒシアマゾン
後方一気、驚異の末脚で強豪馬たちをなぎ倒した華麗なる姿。あれから四半世紀以上が経った今でも最強牝馬に挙げられるほどの女傑。
今回は、そんな彼女の魅力という記憶を呼び戻してみたい。

外国産馬として

ヒシアマゾンは1991年3月、北米最大の馬産地ケンタッキー州レキシントンにある大牧場テイラーメイドファームで生まれた。
シアトリカルは米国ブリーダーズカップターフなどG1を6勝した中距離の名馬であり、その父ヌレイエフのスピードを受け継いだ名種牡馬である。また、母ケイティーズは主にマイルを得意とし愛国1000ギニー(愛G1、日本でいう桜花賞)やコロネーションS(英G1)などを勝った名牝。
そんな父と母の間に生まれたヒシアマゾンの配合は言うことなしの超一流である。

しかし、生まれた場所が米国であったため、2年後に来日して日本調教馬となるも外国産馬扱いとされる。これがヒシアマゾンにとって大きな命運となるのだった。

世代頂点の証明

2歳(現1歳表記)の11月から日本でトレーニングを積んだヒシアマゾン。
この時からすでに同世代に比べて年が1つ違うのではないかと思われるほど落ち着きを放ち大物感が出ていたという。

そして、翌年6月には美浦の中野厩舎に入厩。
3ヵ月後の9月に中山のダート戦でデビューを果たした。デビュー戦はクビ差の辛勝、2戦目もダート条件戦でクビ差2着。この時、若駒によくあるソエ(管骨骨膜炎)が発症しており少しでも負担をかけないためにもダート戦を選んだ。
その後、脚元も改善され、3戦目から引退までのレースは全て芝を走ることとなる。
迎えた3戦目は京成杯3歳S(G3)。格上挑戦となり6番人気で出走も勝ったヤマニンアビリティに僅かクビ差の2着。3着に4馬身差をつけ出走馬全9頭のうち牝馬はヒシアマゾンのみだった。
そのことから、これはとんでもない牝馬が現れたかも知れないと負けてなお強しで世間に注目されるキッカケとなった。

その後、3歳女王を決める阪神3歳牝馬S(G1)に2番人気で出走。
ここでは2着のローブモンタントに5馬身差を付ける当時のレコードタイムで圧勝を見せ外国産馬として3歳(現2歳)女王に輝いた。

重賞5連勝の快挙

年が明けて本来ならクラシックを目指す3歳馬(当時は4歳)だが、3歳女王になったものの外国産馬ヒシアマゾンにとって、当時その権利はなかった。
そのため、クラシックとは縁がない裏街道を選択。しかし、ここからヒシアマゾンここにありを存分に見せつけるのである。

まずは、1月初旬に行われた京成杯(G3)では、ビコーペガサスの2着に破れたものの、そこからクイーンC(G3)→クリスタルC(G3)→ニュージーランドトロフィー4歳S(G2)→クイーンS(G3)→ローズS(G2)といった重賞レースを戦い、全て1番人気で破竹の5連勝を飾った。
中でも圧巻なのは、クリスタルCで魅せたとんでもない弾丸のような末脚。のちにある評論家は、この年のベストレースにナリタブライアンの三冠レースを差し置いて、このレースをベストレースに選んだほどである。

それほど、このレースで多くの競馬ファンは衝撃を受けヒシアマゾンの凄さ・強さを改めて実感した。対戦した相手もタイキウフルフマチカネアレグロアグネスパレードといった強豪馬ばかりで決して弱いわけではない。

その結果、クラシック戦線の裏側でもヒシアマゾンの評価は上がる一方であった。
ちなみにヒシアマゾンが重賞5連勝を飾った頃、クラシックという表路線ではナリタブライアンが三冠に王手を掛けて臨んだ菊花賞トライアル京都新聞杯(G2)にて伏兵スターマンにまさかの敗北を喫したところであった。

世代最強牝馬の証明

この時代では、牝馬三冠目となる秋華賞(G1)がまだ設立されていなかったためエリザベス女王杯(G1)がそれに該当した。

なお、エリザベス女王杯が古馬に開放されるのは、2年後の1996年である。また距離も開放される前は2400mで解放後、現在の2200mに距離短縮されている。
このエリザベス女王杯のみ外国産馬のヒシアマゾンにとって唯一の出走権を与えられたクラシックレースだった。

もちろん、最強牝馬を証明すべく春のクラシックに出走できなかった鬱憤をここで晴らすと陣営も意気込んでいただろう。
しかし、レースでは、1番人気に支持されるが相手も黙ってはいない。
この年の桜花賞馬オグリローマンオグリキャップの半妹であり武豊騎手を背に虎視眈々と二冠目を狙い、2番人気に支持されたオークス馬チョウカイキャロルも当然だが二冠目を狙っていた。
また、『牝馬の河内』と恐れられたアグネスパレードも外枠から最後の一冠を狙った。

そんな強豪馬がひしめく中でレースは、最後の直線でアグネスパレードが先に抜け出しを図り、その外でチョウカイキャロルが猛追。
さらに大外からヒシアマゾンが後方一気の末脚で2頭に襲いかかった。3頭がもつれる形で最後はヒシアマゾンとチョウカイキャロルとの首の上げ下げとなりゴール板を通過。長い写真判定の結果、軍配はハナ差でヒシアマゾンに上がった。

当時のレースレコードを更新する形の僅差で辛勝したヒシアマゾン。
この時点で世代最強牝馬の証明をみせた。なお、この勝利にてヒシアマゾンは重賞6連勝となり、メジロラモーヌ・オグリキャップ・タマモクロスという歴代最強馬と並び当時の連勝記録6を達成したのである。
まさに女傑との異名通りの活躍を魅せた一戦となった。

日本最強馬との対戦

世代最強牝馬の証明をみせたヒシアマゾン。次に目指すは世代最強である。
しかし、同世代には10年ぶりに牡馬三冠を達成したシャドーロールの怪物ナリタブライアンが存在した。そして、両者の初対決は暮れの有馬記念(G1)となる。
その有馬記念では三冠馬ナリタブライアンが単勝1.2倍と断トツの支持を受けレースの焦点は、どの競走馬をナリタブライアンの対抗にする・・・・・かだった。

この年の天皇賞・秋(G1)を制したネーハイシーザーは中距離を得意とし、昨年の天皇賞・春(G1)を制した黒い刺客ライスシャワーは長期休養明け。
他にもサクラチトセオーなど重賞戦線では活躍を見せるが、どの競走馬も対抗までは厳しいとの見解。

そんな中で重賞6連勝にて、世代最強牝馬の地に上り詰めたヒシアマゾンは意外にも6番人気。
単勝支持は19倍とかなりの低評価だった。
なぜなら、この時代では牝馬が牡馬に混じって有馬記念を勝つことなど考えられない時代であったからだ。

その理由の1つとして、初代三冠牝馬メジロラモーヌは9着と大敗しており、二冠馬ベガも9着。当時、最強と謳われた名牝たちがことごとく敗れ去ったことが競馬ファンの脳裏に焼き付き有馬記念では牝馬が牡馬に勝つことはできないとの判断だったといえる。

女傑ここにあり

そんな中で迎えた第39回の有馬記念。

レースは大方の予想通り稀代の逃げ馬ツインターボの大逃げから始まり、怪物は先行集団に付けヒシアマゾンは後方待機。
そして、ツインターボが4コーナー手前で脱落していくのを横目に一団となった馬群が最後の直線に入る。
ナリタブライアンが早めに抜け出し、いつもの独走態勢に入る。
三冠レース合計で2着に15馬身差を付けた怪物に対して競馬ファンは、さて今日は何馬身差を付けて圧勝するのかとナリタブライアンの疾走に目を向けた。
しかし、その怪物に迫る競走馬がいた。ヒシアマゾンである。
鞍上の中舘騎手はいつもより早めに動き4コーナーでは怪物の真後ろに位置する戦法を取っていたのだ。

前を走る怪物に猛追する女傑。だが、この時の怪物は無敵だった。迫っても迫っても差が縮まらない。女傑の武器である弾丸の末脚を持ってもゴール板を通過した時は3馬身差を離されていた。
それでも3着に入ったライスシャワーなど並み居る強豪牡馬たちに先着しての2着。これは4歳(現3歳)牝馬が連対となったのは実に21年ぶりの快挙であり間違いなく立派な成績と言えるだろう。

残念ながら重賞連勝記録は6でストップしたが、それでも怪物に迫る驚異の末脚を魅せたヒシアマゾンは紛れもなく最強牝馬だった。

蹄との戦い

その後のヒシアマゾンは元来から弱かった蹄との戦いとなり思うような態勢でレースに出走することができなかった。

それでも女傑との異名通り5歳(現4歳)となった翌年夏の高松宮杯(G2)では、マチカネタンホイザの5着に敗れた(これは半年以上も開いた長期休養明けが影響したと思われる)が、続くオールカマー(G2)と京都大賞典(G2)で再び重賞を連勝。

そして、迎えた次走のジャパンC(G1)では独国の名馬ランドに敗れはするも日本馬として最先着の2着で最強牝馬健在をアピールした。

しかし、この先の活躍が期待された中で再び蹄の具合が悪化。何とか有馬記念に出走を結びつけ1番人気に支持されるも菊花賞馬マヤノトップガンの5着に敗れた。

このまま引退かと思われたが翌年も現役続行となったが、敵は彼女自身の蹄であり結果的には思うような回復を見せられないままG1レースを3走(安田記念・エリザベス女王杯・有馬記念)するも大敗。すでに女傑としての面影は過去のものになっていた。

最強牝馬の名は譲らない

こうしてサクラローレルの5着に敗れた有馬記念を最後に6歳(現5歳)で引退。
春先に日本でヒシマサルと交配後、故郷の米国テイラーメイドファームに旅立った女傑ヒシアマゾン。

そのまま故郷で10頭の産駒(日本・海外デビュー馬全てを含む)を輩出したが残念ながらコレ・・といった産駒は現れなかった。

しかし、僅かながら女傑の血は現在、孫の代に受け継がれており先日も中央競馬にて孫がデビューを果たしている。

日本最強馬という怪物に3馬身差まで迫った弾丸のような末脚を持った女傑ヒシアマゾン。
もしかすると女帝エアグルーヴよりも先に牝馬でも牡馬に充分太刀打ちできると証明した先駆者だったのかも知れない。

あれから約30年経った今でも多くの競馬ファンには、その規格外の末脚が脳裏に焼き付いているだろう。それほどまでに女傑との異名を持ったヒシアマゾンは間違いなく最強牝馬の名に相応しい名牝であったことは言うまでもない。

シアトリカル ヌレイエフ Northern Dancer
Special
ツリーオブノレッジ Sassafras
Sensibillity
ケイティーズ ノノアルコ Nearctic
Seximee
Mortefontaine Polic
Brabantia

生涯戦績 20戦 10勝(10-5-0-5)
主な勝鞍 阪神3歳牝馬ステークス、エリザベス女王杯

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