サンエイサンキュー
”酷使”という宿命を背負った名牝
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サンエイサンキュー ”酷使”という宿命を背負った名牝
今から四半世紀ほど前、人の欲望に対して死力を尽くし儚く散っていった1頭の牝馬がいた。
重賞3勝、G1レースで2着2回と輝かしい実績を残しながら、わずか6年という短い馬生を終える。
その馬の名は、サンエイサンキューといった。
今回は、悲劇の名牝と謳われ、”酷使”という宿命を背負わされたサンエイサンキューの競走馬生活とそれに伴う事件について振り返っていきたい。
走り続ける宿命
父は、3戦3勝ながら屈腱炎にて早期引退したノーザンテースト産駒で”幻の大物”と呼ばれたダイナサンキュー。母グローリーサクラ、その父シーホークという血統を持つサンエイサンキューは、1989年4月7日に北海道えりも町で産声を上げた。
その後、順調に育ったサンエイサンキューは、1991年7月13日に札幌ダート1000mの新馬戦にてデビューするも2着。連闘で迎えた次週の札幌芝1000mの新馬戦に出走すると、4番人気ながら2着に5馬身差を付けて初勝利を飾った。
ちなみに近年とは違い、当時は同じ開催期間中なら、新馬戦に複数回出走可能だったため、2戦目での勝ち上がりも記録上では新馬戦勝利となっている。
早くも非凡な才能をみせたサンエイサンキューは、初勝利を挙げたのも束の間、その勢いのまま、札幌3歳ステークス(G3)に出走すると13着と大敗を喫してしまう。さすがにデビューからの3連闘は、馬に負担が掛かったのだろう。これは、一昔前でも極めて珍しいローテーションだった。
しかし、サンエイサンキューは、翌月のクローバー賞(OP)にも使われ、7着に敗退すると、その後も函館3歳ステークス(G3)にも出走を強いられた。
この時から、この馬の運命は決まっていたのかも知れない――。
ただ、ここでは、アトムピットの2着に入る好走をみせると、次走のいちょうステークス(OP)で2勝目を挙げる献身的な走りをみせた。そして、早くも7戦目となった阪神3歳牝馬ステークス(G1)の出走にこじつけたが、これは、デビューからわずか5ヶ月足らずのことである。
ところが、世代女王を決めるレースで3番人気に支持されると、レースでは、道中5番手でリズムよく競馬を進めた。しかし、先行する無敗の快速牝馬ニシノフラワーを3/4馬身差で捉えることができず、2着惜敗。
ただ、敗れはしたものの翌年の牝馬三冠レースに出走する分には、十分な賞金を手にし、これで休養に入るかと思われた。
しかし、サンエイサンキューに休養という文字はなかったのである。
休む間もない芦毛の牝馬
年が明け、4歳(現3歳表記)となったサンエイサンキューの始動戦は、2月2日のクイーンカップ(G3)だった。
ちなみに前走から約2カ月ぶりのレースは、サンエイサンキューにとって、最も長いレース間隔となる。
そんな中、1番人気に支持されたクイーンカップでは、見事人気に応えて重賞初制覇を飾った。これで賞金面も確実にクリアし、本番の桜花賞(G1)に向け良いステップレースとなったと誰もがそう思った。
ところが、サンエイサンキューは、桜花賞前に皐月賞(G1)トライアルの弥生賞(G2)に使われることになる。これには、陣営に対して多くの疑問が飛び交ったが、その理由は明確化されないまま、レースでも6着と惨敗する。
その結果、本番の桜花賞でもニシノフラワーの前に7着と完敗した。これは、レース間隔に問題があることは明らかだった。
それでもサンエイサンキューは、この先も健気な姿勢を崩すことなく走り続けるのである。
こうして迎えた、次走のオークス(G1)では、6番人気に支持されるも後方待機から一気の追い上げをみせ、アドラーブルの2着に入る走りをみせたのである。
それは、このレースから鞍上を務めた田原成貴騎手の好騎乗もあったが、デビューから休むことなく、使い詰めて走ってきた馬とは思えないほどの好走に陣営は頭の下がる思いでいっぱいだったに違いない。
酷使する理由
デビューから、もうすぐ1年が経とうとする中、サンエイサンキューは、オークスの激戦後、北海道に輸送された。しかし、これは夏の休養目的ではなく、札幌記念(当時G3)と函館記念(G3)を連戦することが目的だったのである。
それは、当時ハンデ戦だった札幌記念では、最軽量52キロの斤量で出走できるからだと思われる。そして、そのハンデを上手く生かした田原騎手の好騎乗も光り、レースでは古馬相手に快勝し、重賞2勝目を北海道の大地で飾った。
ただ、次走の函館記念では、1番人気に支持を受けながらも最後の直線では伸びを欠き、8着と大敗。さすがにこの敗戦を受け、管理する佐藤勝美調教師は「休ませてあげてほしい」と馬主に懇願した。
しかし、その声は空しくも聞き入れてもらえなかったのである。
これは、馬主が資金繰りに行き詰まっていたことが原因だったといわれている。
とにかく稼げるときに稼ぐ――
競走馬は人間の経済動物――
まさにこの定義の根本を極めたのが、サンエイサンキューだったといえよう。
その後、サンエイサンキューは、秋のエリザベス女王杯(G1)に向け、トライアルレースのサファイヤステークス(G3)で1着となり、自身重賞3勝目を飾った。
何とも健気で馬主孝行な馬なのだろうか。しかも430kg前後の小さな牝馬である。
そんな中、陣営は、3週間後のローズステークス(G2)にも出走させるよう馬主から指示を受けた。さすがに主戦だった田原騎手を始めとする関係者は、ローズステークスには使うべきではない、一度休ませるべきであると出走に猛反対するも――馬主側の意向は変わらなかった。
こうして、休む間もなく、ローズステークスに出走したサンエイサンキューは、ここでも2着に好走し結果を残すのである。
何と凄い馬なのだろうか――。
ただ、酷使を背負わされ続けたサンエイサンキューとは、別にエリザベス女王杯前、事件が発生するのだった。
サンエイサンキュー事件
デビューからほぼ休養を取ることなく、出走させ続けてきたサンエイサンキューに対し、不満を口にしてきた主戦の田原騎手。実は、ローズステークス出走前から「体調が芳しくない」と発言を繰り返していた。
そして、エリザベス女王杯前の調教後、田原騎手は「状態は最低。こんな出来では勝てない」と会見でそう答えたのである。また、取材後には「こんなに悪く言っちゃって、これで勝ったら頭を丸めなきゃなんないな」と冗談を呟いたが、この発言が事件の引き金となったのだ。
当時、サンケイスポーツの競馬記者は、このオフレコ部分を『田原2着以上なら坊主になる』という見出しの記事を世に出した。この見出しだけを見れば、読み手の受け取り方によっては、勝つ気がない、八百長とも取られかねない内容だろう。
そこで田原騎手は誤解を招くような記事は勘弁してほしいとコメントを返した。しかし、何を思ったのか今度はその姿を『田原謝罪』という見出しでサンケイスポーツは記事にしたのだ。
これに呆れた田原騎手は、今後サンケイスポーツの取材拒否をすると発表。その裏では記事を担当した記者が、重い処分を受けるなどの騒動となった。
これが、俗にいうサンエイサンキュー事件である。
ただ、こんな騒動など、知る由もないサンエイサンキューは、絶不調の中、エリザベス女王杯に挑み、5着と大健闘する。そして、レース後に田原騎手は「これでやっと休めるな」とサンエイサンキューに声をかけたという。
しかし、サンエイサンキューが待っていたのは、放牧ではなく、有馬記念(G1)への出走だった。
ラストラン
これまで過酷なローテーションに耐えてきたサンエイサンキュー。ただ、この時すでに調教後には、橈骨の痛みを訴え、馬体に異変をきたしていた。
そのため、陣営では有馬記念出走に対し不安を募らせ、挙句の果てには、主戦の田原騎手も「こんな状態で責任を持てない」と有馬記念での騎乗を断ったのだ。
そして、休むことなく走ったサンエイサンキューにとって、17戦目となる有馬記念では、13番人気といった低評価だったが、陣営としては、評価や着順よりも無事にゴールしてくれる一心でレースを見守ったに違いない。
レースでは、田原騎手から乗り替わりとなった加藤和宏騎手もゲートが開いた瞬間から、違和感を感じ取ったのか、後方でじっと集団に付いていくだけの状態だった。
しかし、トウカイテイオーやライスシャワー、メジロパーマーといった錚々たるG1馬が相手とあって付いていくだけでも大変なのは勿論のこと。
そんな中、サンエイサンキューの脚は、もう限界だったのだろう。
中山最後の直線”心臓破りの坂”でサンエイサンキューの脚は完全に止まってしまい、加藤騎手は下馬。右橈骨手根骨複骨折のため、競走中止となった。
この瞬間、サンエイサンキューの競走馬人生が幕を閉じたのである。
延命治療の果てに…
有馬記念を終えた後、トウカイテイオーに騎乗していた田原騎手は、サンエイサンキューの苦しむ姿を見て「俺が止めなきゃいけなかったのに何もしてやれなかった」と涙ながらに後悔したという。
酷使され続け、予後不良と判断されるほどの大怪我を負ったサンエイサンキュー。ところが、馬主は、繁殖牝馬として”まだ稼げる馬になる”と考え、延命治療を決断。
それは、かつて日本の競馬界に波紋を呼んだ、テンポイントの最後を思い出させた。
そして、何度も手術が行われ、脚にはボルトを埋め込まれたのである。
こうして、生かされ続けたサンエイサンキューは、当然のことながら、痩せ細ってしまう。それでも繁殖牝馬になるため、2年近くも延命治療が続けられた。しかし、最後は心臓麻痺のため、その短い馬生に幕を閉じるのである。享年6歳(現5歳表記)だった。
競走馬は、馬主の所有物に過ぎないといえば、そこまでだが、その所有物には生命があり、その生命の尊厳を無視することは、決して歓迎されるものではない。
それを健気にまっとうしたサンエイサンキュー。
現在では、動物愛護の観点から競走馬に関する問題などが数多く取り上げられているが、この先、1頭でも多くの競走馬が幸せな馬生を過ごせるよう願うばかりである。
そして、その健気な走りから多くの感動と勇気を与えてくれたサンエイサンキューには感謝しかない。
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Sea Nymph | ||
ジァガーサクラ | ラフィンゴラ | |
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生涯戦績 17戦 5勝
主な勝鞍 サファイヤS(G3)他
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