祖母はマイル女王 2012年の天皇賞馬ビートブラックを懐古【週刊競馬ニュース】

競馬
JRA

祖母はマイル女王 2012年の天皇賞馬ビートブラックを懐古【週刊競馬ニュース】

※本ページはプロモーションが含まれています。

「秘匿情報は外厩にあり!元関係者が語る競馬の裏側!!」競馬予想サイト レープロ はこちら

祖母はマイル女王の長距離砲が早逝 2012年の天皇賞馬ビートブラックを懐古【週刊競馬ニュース】

2012年の天皇賞・春(G1)を14番人気で制したビートブラックが2月13日、重度の骨盤骨折にて栃木県宇都宮市の馬事公苑内で亡くなったことを翌14日にJRAが発表した。享年17歳。

同馬は引退後、2023年春まで京都競馬場で誘導馬として活躍し、同年の天皇賞・春を最後にその役目を終え、同11月に馬事公苑へ移動。

装蹄師用の練習馬や乗馬として第2の馬生を送っていたが、乗馬中に転倒したことが原因だという。

マイル女王の血を継ぐ貴重な血

ビートブラックといえば、血統背景に父ミスキャストを持つ珍しい競走馬だった。
それもそのはず。ミスキャストの仔は、わずか42頭しかいないのだ。

ミスキャストは、1998年に大種牡馬サンデーサイレンスとマイルの女王ノースフライトの間に生まれた。
現役時代、皐月賞(G1)ではアグネスタキオンの6着に入るなど、非凡な才能が評価されつつも脚部不安に悩まされ大成することはなかった。

そのミスキャストと父にブライアンズタイムを持つアラームコールとの間に誕生したのが、ビートブラックである。その血統背景は、ノースフライトの孫にあたることでデビューから大きな注目を集めることになった。

汚名返上の大金星

そんなビートブラックは、陣営の期待も裏腹にデビュー戦から初勝利まで7戦を要した。その後も長距離レースを中心に勝ち星を少しずつ積み上げ、2010年の菊花賞(G1)では条件馬として出走。その菊花賞では13番人気の低評価ながら、ビッグウィークの3着に健闘し長距離適性を遺憾なく発揮した。

しかし、続く条件戦、オープン戦と勝利した後は、重賞戦線に顔を出すも2着が精一杯。

そして、迎えたのが、2012年の天皇賞・春である。

ここで初コンビとなった石橋脩騎手を背に歴史ある長丁場のレースでは、ゴールデンハインドと1・2番手を争う先頭集団を形成。

最後の直線では、あれよあれよと断然人気を背負った三冠馬オルフェーヴルを11着に沈める逃げ切り勝ちにて大波乱を演出。会心のG1初勝利となった鞍上の石橋脩騎手の雄叫びを挙げる姿は何とも印象的だった。


もちろん、その時の配当は、単勝1万5960円で3連単は145万超えの大万馬券である。

しかし、天皇賞馬に輝いた後は一度も勝つことができず、2014年4月の産経大阪杯(G2)をキズナの8着を最後に引退。生涯戦績は34戦6勝。うち唯一の重賞勝ちとなったのは、この天皇賞・春だけである。

同馬を管理した中村均元調教師は「私の調教師生活の晩年でG1を勝った馬で、天皇賞は衝撃的な勝ち方でもあったし、思い出がいっぱい残っています。すごくショックですね。昨年の春の天皇賞で誘導馬として登場した際に競馬場で会ったのが最後でした。その時はちょっと体がガレた印象があったので、少し心配していたんです。非常に残念です」とコメント。

さらには、あまりにも早すぎる突然の訃報にSNSでは「悲しい」「まだまだ若いのに…」など悲しみの声が多く溢れている。

ノースフライトの血を持つ直系種牡馬としては、後世に血を残すことはできなかった。
しかし、黄金の三冠馬に勝利したその名は、間違いなく日本競馬史に刻まれている。

そして、我々競馬ファンの中にいつまでも記憶として残り続けるに違いない。

多くの競馬ファンに愛されたビートブラックのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

ミスキャスト サンデーサイレンス Halo
Wishing Well
ノースフライト トニービン
シャダイフライト
アラームコール ブライアンズタイム Roberto
Kelley‘s Day
インワンズジョイ Rainbow Quest
Kaweah Maid

生涯戦績 34戦 6勝(6-4-3-21)
主な勝鞍 天皇賞・春


人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました