ナリタブライアンと同期 ライブリマウント逝く【週刊競馬ニュース】
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つい先日、中央・地方の交流元年となった1995年にダート界の最強馬だったライブリマウントが、31歳で亡くなりました。31歳というサラブレッドでいえば大往生ですが、やっぱり亡くなったと聞けば悲しいです。
ライブリマウントは我が愛するナリタブライアンと同期となる1991年生まれ。ブライアンが8歳という若さで早逝した分を長生きしてくれたと勝手に思うとライブリマウントには深く感謝したいです。
さて、今でこそ中央競馬の所属馬が地方競馬に遠征し荒らしまくる光景(JRA交流重賞)は珍しくありませんが、実は最初にそれをやったのがライブリマウントです。
ライブリマウントは父グリーンマウント母シナノカチドキ(母父ファーザ-ズイメージ)という血統です。血統的には父の父が世界的大種牡馬リファール。
また、父の半弟グリーンダンサーは香港マイル(G1)やクイーンエリザベス2世カップ(G1)を連覇し、香港競馬にめっぽう強かったエイシンプレストンを輩出しています。
蛇足ですが、エイシンプレストンは賞金的に出走できるレースがなかったため、2003年にフェブラリーS(G1)に出走していますが大惨敗を喫しています。このことから総合的に判断して父系はあきらかに芝向き血統。
次に母は地方競馬で10勝を挙げています。よって、芝向き血統の父方とダート向きの母とが交じった結果、母方に似てダート適性が強くなったのかも知れません。
そう考えれば、母の父ファーザーズイメージ(父スワップス)は日本競馬界を世界に近づけた大種牡馬サンデーサイレンスの父ヘイロー(父ヘイルトゥリーズン)の半兄ですので納得できます。
中央・地方交流が始まったいわゆる「交流元年」と呼ばれた1995年に大井の帝王賞で南関東の雄と呼ばれたアマゾンオペラを撃破し、旭川(現在は廃止)のブリーダーズゴールドカップも制覇。
続く水沢で行われた南部杯(地方交流G1)で水沢の雄トウケイニセイをも破り交流重賞3連勝を達成。
ダート路線に変更した昨年の準オープンから数えると7連勝です。奇しくも同期馬ナリタブライアンが三冠馬となり有馬記念も快勝した頃、ダート馬としての芽が開きブライアンが故障明けで苦しんだ1995年(私にとっては日本競馬界魔の95年と呼んでいます)に地方競馬を荒らしていたわけです。
その結果、1995年にはJRA最優秀ダート馬にも選出(惜しくも年度代表馬は菊花賞と有馬記念を制したマヤノトップガンにもっていかれました)されました。
また、ライブリマウントは交流元年に勝ちまくっただけではありません。翌年には新設されたドバイワールドカップ(G1)に参戦(結果はシガーの6着)実はこれが日本馬として初めてドバイに遠征したことになります。
中央地方の交流競馬元年のダート最強馬との名を欲しいままにし最優秀ダート馬となり、異国の地ドバイで日本馬初となる出走で後世に道を開いたライブリマウント。
そこに砂がある限り――地方の最強馬たちの夢を打ち砕き中央地方交流の立役者となったダート界の最強馬ライブリマウント。安らかにお眠りください。天国でナリタブライアンと駆けっこすることを祈っています。もちろん戦場はターフ(芝)でお願いします(あくまでもブライアン推しなので、すいません💦)
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