グラスワンダー|歴代最強馬|不死鳥たる怪物|名馬たちの記憶㉙

名馬たちの記憶
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グラスワンダー
不死鳥たる怪物

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グラスワンダー 不死鳥たる怪物

日本競馬史において、歴史的名馬たちが同じ年に生を受け集結した1998年は最強世代と呼ばれても過言ではない。
その中でも世代王者に輝き、外国産馬として、グランプリ3連覇という偉業を成し遂げた馬がいた。栗毛の怪物グラスワンダーである。

度重なる骨折や怪我から何度も復帰する姿は、まさに不死鳥の如く。今回はグラスワンダーについての記憶に迫りたい。

円高で購入できた仔馬

グラスワンダーは1995年2月18日、アメリカのフィリップス・レーシングで誕生した。父シルヴァーホークは、現役時代G1の勝ち星はないものの、種牡馬として米国のG1馬ホークスターを輩出していた。
母のアメリフローラは不出走だが、その父は世界的大種牡馬ノーザンダンサーの血を引くダンチヒという良血馬。ただ、当時の日本ではあまり馴染みのない血統だった。

1995年といえば、日本経済を空前の円高が襲った年でもある。
そのせいもあってか、翌1996年9月のキーンランド・セールにて、上場されたグラスワンダーは、世界の大馬主ゴドルフィンと競り合った結果、日本のオーナーが25万ドルにて落札する。
この時、同セールに参加した尾形充弘調教師は「円高でなければ絶対に手が届かなかった」と後に語ったほどお買い得となった。
さらに尾形調教師は「飛脚の位置が高く、肩が良く寝ていてバランスが良い。それに後脚の発達が非常に良かった。いい買い物だった。走る馬だから見ていてほしい」とコメントを残している。

そんな期待を背負ったグラスワンダーは、その2か月後の11月に北海道のノーザンファーム空港牧場に移った。そして、早くも牧場内では、その動きの良さが評判となるほどだった。

マルゼンスキーの再来

年が明け、2歳となったグラスワンダーは、予定通り美浦の尾形厩舎に入厩した。
当時、外国産馬は、クラシックや天皇賞に出走する権利が与えられていなかった時代。それでも「あの馬はモノが違う」と入厩当初からも牧場時代と変わらずに注目されていた。

そして、9月にデビューが決まると尾形調教師は、当時、関東の名手の1人だった的場均騎手に声をかけた。
そんな前評判のいい2歳馬グラスワンダーの背に跨った瞬間、的場騎手は「この馬はモノが違う。間違いなく将来超一流馬になるだろう。いろいろな2歳馬に乗ってきたが、まぎれもなくトップクラスと言える」とその能力に感嘆したのである。

その後、迎えた9月の中山競馬場での新馬戦では、2番人気だったビルトシェーンに3馬身差をつけて勝利。続くアイビーS(OP)でもムチを使う事なく、2着のマチカネサンシローに5馬身差をつけて2連勝。予想以上の強さを見せつけた。
そして、初の重賞挑戦となった京成杯3歳S(G2)(現:京王杯2歳S(G2))でもムチを使う事なく、ここでもマチカネさんシローに6馬身差を付け、あっさりと重賞初勝利を成し遂げた。

無傷の3連勝――前評判通りの活躍。早くも世代チャンピオンを決める朝日杯3歳S(G1)(現:朝日杯フューチュリティS)に出走することになったグラスワンダー。ここでも最後の直線に入ると他馬に並ぶ間も与えず、後続に2馬身半差をつけてG1初制覇。
勝ちタイム1分33秒6という当時の2歳馬としては考えられないレコードタイムだった。
その驚愕な走りは、実況アナが『どこまで干切るんだグラスワンダー。これが新しい栗毛の怪物。マルゼンスキーの再来です!』と叫ぶほど、日本の競馬界に大きな衝撃を与えた。

しかも驚くのは、これだけではない。
このレースには、全15頭の出走馬に対して11頭が外国産馬。そして、上位5着までを外国産馬が独占し、2着のマイネルラヴ、3着フィガロ、4着のアグネスワールドが例年の優勝タイム1分34秒台でゴール板を通過している。
ちなみに上位4頭はのちに種牡馬となっていることから、これは同レースのレベルがいかに高かったのかを物語っているだろう。また、彼らの血が日本競馬の底上げに貢献したのも間違いない。

不死鳥か怪鳥か…究極の選択

4戦4勝。早くも世代王者となったグラスワンダーだったが、1つ大きな難点があった。
それは脚部不安である。

先述の通り、当時の外国産馬は、クラシックに出走権が与えられないため、グラスワンダーは翌年のNHKマイルC(G1)に照準を合わせ始動するが、ここで難点である骨折が判明。そのため、春は全て白紙となり、ノーザンファーム空港で療養することになった。

そんなグラスワンダーの療養中にNHKマイルCを5戦無敗で制したのが、エルコンドルパサーだった。そして、この時、エルコンドルパサーに騎乗していたのが的場騎手だったのだ。

ご承知の通り、エルコンドルパサーは翌年の凱旋門賞(仏G1)で2着に入るほどの名馬である。的場騎手もエルコンドルパサーの能力に関しては「グラスワンダーとも甲乙付け難い馬。同じレースで使って欲しくない。身体が2つ欲しい」と語るほどだった。

ところが、神様の悪戯だろうか、的場騎手の願いも空しく、2頭の怪物の主戦だった的場騎手に対して、取捨選択が迫られる時が来る。
それは、骨折明けのグラスワンダーが10月の毎日王冠(G2)から復帰することになると、そのレースにエルコンドルパサーも出走することになったのだ。
もちろん、2頭に乗ることはできない。的場騎手は究極の選択を突き付けられた。
ただ、この時のグラスワンダーは故障明けの上に『左前脚の骨膜炎』を発症していた。そこで尾形調教師は「君が好きなように決めてくれ」と告げるのである。
これに対して的場騎手は「どっちとも言えないぐらいどちらも走る。どっちが良いか分かれば答えは簡単なんだ。どちらが凄いか分からないから辛いんだ」と苦悩は3週間も続いたという。

そして、関東の名手は、苦渋の決断の末、グラスワンダーを選択するのだった。

永遠に語り継がれる伝説の毎日王冠(G2)

1998年の毎日王冠は、怪物グラスワンダーの復帰戦でもあり、同世代の怪物エルコンドルパサーとは、最初で最後の対決となった。
しかし、この2頭の怪物を差し置いて1番人気に支持されたのは、1歳上で”異次元の逃亡者”との異名を持ったサイレンススズカだった。
この3頭の怪物級が出走したことにより、他馬の出走回避が相次ぎ、レースは9頭立てという小枠数となる。
そして、この時の東京競馬場には、13万人もの大観衆が集まり、後に伝説の毎日王冠として、未だに語り継がれるレースとなるのである。

ただ、グラスワンダーにとっては、2番人気に支持されるも前方を走る異次元の逃亡者の影どころか、同世代のエルコンドルパサーにも遅れを取り、5着敗退と初の敗北を喫する。

その後もまだ本調子ではなかったグラスワンダーは、次走のアルゼンチン共和国杯(G2)でも1番人気で6着と惨敗。その結果、グラスワンダーは早熟馬だったのではないかと言われるようになる。
さらには、蛯名正義騎手との新コンビでエルコンドルパサーが、ジャパンC(G1)を制したことで周囲から「的場は選択を間違えた」との声も上がった。

2歳王者に輝いた時には、”マルゼンスキーの再来”と呼ばれたグラスワンダー。しかし、これからの走りがのちに”不死鳥たる怪物”と呼ばれることになるとは誰が想像しただろうか。

グランプリホース

アルゼンチン共和国杯を惨敗したグラスワンダーは、暮れの大一番、有馬記念(G1)に出走を表明した。
同レースには、同世代のライバル・エルコンドルパサーやスペシャルウィークは出走を回避したが、クラシック2冠馬のセイウンスカイや女帝エアグルーヴら8頭ものG1馬が集結し、ハイレベルな一戦になることは間違いなかった。
しかし、グラスワンダーはこの時、直前まで体調を崩しており、陣営は笹針や虫下しなど出来ること全てを行ったことで状態が上向き、何とか出走に漕ぎりつけた。

そして、レースでは中団に位置しながら、3コーナーに入るとスパートを開始。最後の直線では、猛追してくる3番人気で、この年の天皇賞・春(G1)を制したメジロブライトを抑えてそのままゴール。昨年の朝日杯から約1年ぶりの復活勝利となったのである。
また、外国産馬として初となる有馬記念勝利という記録も打ち立てた。
ちなみに1番人気のセイウンスカイは4着、引退レースとなった2番人気のエアグルーヴは5着に敗れている。

同世代の新たなライバル

有馬記念で見事復活を遂げたグラスワンダーだったが、翌年の中山記念(G2)を筋肉痛のために回避。
さらには、左瞼の下に裂傷を負うなど、予定していたレースに出走できない状態が続いた。
ようやく出走できたのは、当初の予定よりも2ヵ月も遅れとなった、5月の京王杯スプリングC(G2)である。
ここでは、1番人気に支持されると、その声に応えるようにして勝利。その豪脚ぶりに的場騎手は「前の馬、全部がとまっているんじゃないか」とコメントするほどの着差以上の横綱相撲だった。

しかし、次走の安田記念(G1)では、ホーリーグレイルの鞍ズレによる影響を受けて、エアジハードにハナ差の2着惜敗となった。

その後、上半期のグランプリレース宝塚記念(G1)に駒を進めたグラスワンダー。
このレースで初めて同世代のダービー馬スペシャルウィークと対峙することになる。外国産馬として裏ローテを走り、骨折や体調不良などの苦難を味わったグラスワンダー。方や、この年の天皇賞・春を制し、最強世代の主役となりつつあったスペシャルウィーク。
そのスペシャルウィークが単勝オッズ1.5倍の1番人気でグラスワンダーが2.8倍で続く。3番人気のオースミブライトが15.9倍だったことを考えれば、いかに2強対決として見られていたかが分かるだろう。

レースでは、的場騎手が徹底的にスペシャルウィークをマークする展開に。そこで3コーナーから最終コーナーにかけてスペシャルウィークがスパートをかけた。それに反応する的場騎手とグラスワンダー。同世代の超良血馬キングヘイローが、この時点で置いてかれる展開が何とも悲しい。

最後の直線に入るとグラスワンダーは先に抜け出したスペシャルウィークを一瞬で交わすと3馬身の差をつけて圧勝するのである。

こうして、G1・3勝目とともにグランプリ連覇を成し遂げたグラスワンダー。まさに不死鳥たる怪物は世代のダービー馬も子ども扱いした瞬間だった。

ライバルとの最後の対戦

夏の休養を経て、秋初戦は昨年同様に毎日王冠から始動することになったグラスワンダー。
ここは楽勝と思われたレースだったが、直線で伸びを欠き、2着の伏兵馬メイショウオウドウにハナ差での辛勝となった。
さらに次走のジャパンCに向けてのトレーニング中、再び筋肉痛を発症してしまい出走を回避。

このようにグラスワンダーには、脚部不安からくる生まれ持った難点が常に付きまとったが、それでも都度、復活を遂げるグラスワンダーが”不死鳥”と呼ばれるようになった所以は、ここからくるものであろう。
そして、迎えた2度目の有馬記念。グランプリレース3連覇と有馬記念連覇の記録がかかる大一番のレースである。
同レースには、春のリベンジを誓うスペシャルウィークと武豊騎手の姿があった。前走のジャパンCでは、日本総大将として欧州最強馬モンジューを撃破したスペシャルウィークは、このレースが引退レースということもあり、グラスワンダーに土を付けるのは最後のチャンスだった。

レースでは、武豊騎手とスペシャルウィークは最後方に位置取り、宝塚記念とは逆にグラスワンダーをマークする形をとった。的場騎手はスペシャルウィークの仕掛けを待つが、伏兵ツルマルツヨシの手応えが良かったことから3コーナーで一気に進出を開始する。
そして、最後の直線に入るとグラスワンダーにスペシャルウィークの豪脚が襲いかかった。
まさしく、宝塚記念とは真逆の展開である。
ところが、1歳下の3歳馬テイエムオペラオーの脚色も良かった。そして、グラスワンダーはスペシャルウィークに並ばれた。
しかし、2頭がならんだままテイエムオペラオーを交わすと、両者一歩も引かず、ゴール板までデッドヒートの展開に場内は大歓声に包まれた。

最後は2頭が並ぶようにしてゴール。

長きに渡る写真判定の結果、わずか4cmの差でグラスワンダーの勝利。
見事、1969年から1970年にかけてグランプリ3連覇を成し遂げたスピードシンボリ以来となるグランプリ3連覇という偉業を達成したのである。

偉大な血の証明

1999年の2つのグランプリレースを制し、JRA特別賞を受賞したグラスワンダーは、スペシャルウィークら同世代が引退していく中で現役を続行する。
しかし、スペシャルウィークとの有馬記念で燃え尽きてしまったのか、その後は、今までのような走りを見せることはなかった。
その後、前人未到のグランプリ4連覇がかかった宝塚記念では、テイエムオペラオーの6着に敗れ、その後、骨折が判明し引退。種牡馬入りすることになった。

脚部不安という難点を抱え常に故障と戦い続けたグラスワンダー。しかし、幾多の怪我や故障を繰り返しながらも、必ず不死鳥のようにターフに舞い戻ってきた。
その偉大な血は、2011年の宝塚記念でブエナビスタに対し、レコードタイムで勝ったアーネストリーや2008年のジャパンCでウオッカメイショウサムソンに打ち勝ったスクリーンヒーローに受け継がれた。
さらにスクリーンヒーローからは、2015年の有馬記念を伏兵馬ながら制したゴールドアクターや香港C(G1)などG1を6勝し、現在の種牡馬ランキングで上位に位置するモーリスが、その血を継承している。
そして、モーリスは、2023年の大阪杯(G1)を制したジャックドールを輩出したことで直系4代に続くG1馬誕生となった。
また、名牝ジェンティルドンナとの間には、2022年のエリザベス女王杯(G1)を制したジェラルディーナを輩出するなど、父系のみならず、母系でもグラスワンダーの血は、不死鳥の如く、この先も受け継がれていくだろう。

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Graceful Touch His Majesty
Pi Phi Gal

生涯戦績 15戦 9勝(9-1-0-5)
主な勝鞍 有馬記念(2回)、宝塚記念、朝日杯3歳S

※記事内の馬齢表記は、当時のまま現表記+1としている。

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コメント

  1. ナミノリゴリ より:

    いつも大変興味深句、あの頃を思い出してみております!!ありがとうございます♪♪

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