エアグルーヴ
女帝
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エアグルーヴ 女帝
今の時代とは違い、一昔前は女性が男世界で活躍することは容易ではなかった。それは競馬の世界でも同じである。
日本競馬の黄金期ともいわれた1990年代――。
その競馬黄金期に牡馬顔負けの牝馬が登場した。20世紀の名馬100選の中、牝馬で唯一トップテン(9位)入りした女帝エアグルーヴ。
今回は、現役競争生活もさながら母としても日本屈指の一族を築き上げたエアグルーヴの輝かしい功績という記憶を呼び戻したい。
エリートの良血
父は、凱旋門賞馬で当時の新種牡馬トニービン。母は、1983年のオークスを制した昭和を代表する名牝ダイナカール。
そして、その父は日本競馬の礎を築いたノーザンテーストである。まさにエリート血統。
しかし、これまでダイナカールは、これといった産駒に恵まれなかったが、4番仔となったエアグルーヴが生まれた瞬間、当時の関西の名伯楽だった伊藤雄二調教師の目に止まり「牡馬ならダービーを獲れるほどの逸材」と言わしめた。
そんなことも知らず、のちに日本競馬界の女帝と呼ばれることになる幼少期のエアグルーヴは母ダイナカールの元ですくすくと成長を見せるのであった。
男勝りの馬
牡馬ならダービー馬になれると言わしめたその2年後の夏、エアグルーヴは札幌の地で武豊騎手を背にデビューを迎えた。
しかし、競馬は苦しくないものと教え込んだデビュー戦は2着になるもそこから未勝利とオープン戦を連勝。これで2歳女王の座に近い存在となった。
さて、ここで3戦目となったいちょうS(OP)を振り返る。
このレースで魅せたエアグルーヴの本質こそがのちに牡馬に混じっても戦えることを調教師たち関係者は知ることになる。
それは最後の直線で主戦の武豊騎手が立ち上がるほど進路を塞がれる不利を受けた。通常なら他馬を怖がるものだが、エアグルーヴはそこから態勢を立て直し差し切り勝ちを収めたのである。
普通はあそこからでは勝てない。絶対普通の馬にはできない――。
伊藤調教師は改めてエアグルーヴの力を確信した。
その後、男勝りの女の子は世代チャンピオンを決める阪神牝馬3歳S(G1)に臨んだ。
しかし、このレースでは先約があった主戦の武豊騎手がイブキパーシヴに騎乗するため短期免許来日中だったマイケル・キネーン騎手に鞍上を委ねた。
レースは超スローペースで流れてしまい、逃げ切りを計ったビワハイジの2着に敗れた。レース後、伊藤調教師はビワハイジが怖い存在だとキネーン騎手に伝えきれなかったことを後悔し、勝てたのに勝たせてあげることができなかったと悔やんだ。
こうして、エアグルーヴは4戦2勝、2着2回の戦績でこのシーズンを終えたのである。
母娘2代制覇
年が明け初戦となったのは、桜花賞トライアルのチューリップ賞(G3)。ここに2番人気で出走となる。1番人気は2歳女王のビワハイジ。
しかし、その2歳女王に5馬身差の完勝を魅せた。このレースを見た陣営は、これで牝馬三冠全て獲れると意気込みを見せた。
しかし、競馬の神様の悪戯か、桜花賞(G1)の直前、熱発のため桜花賞を回避せざるを得なくなった。
なお、無理をすれば出走可能な状態だったが、ここで無理をさせて牝馬の体質を考えると、この先を棒に振ってしまう可能性もあったため苦渋の決断を下したのだった。
その後、体調も回復し、母が制したオークス(G1)に直行することになったエアグルーヴ。最後の直線、他馬を置き去りにするほどの末脚を魅せるも桜花賞馬ファイトガリバーと田原成貴騎手が猛追してくる。
それを勝負根性で捻じ伏せるようにエアグルーヴはゴール板を1着で通過した。
見事、42年振りとなる史上2組目の母娘二代によるオークス制覇を成し遂げた瞬間である。
アクシデントで大敗そして骨折
オークス馬となったエアグルーヴだが、夏の休養を挟み秋は調整不足のまま牝馬最後の一冠秋華賞(G1)に直行することになった。
ところが、体調不良に重ねるようにしてパドックでフラッシュを浴びてしまい(パドックでのマナーを守りましょう)集中力を欠いてしまう原因となった。
結果、帰国子女ファビラスラフィンの10着と大敗。おまけにレース中の骨折も発覚。長い療養生活に入る。
ちなみに秋華賞は、この年から開催されたため記念すべき第1回大会であったこともエアグルーヴにとってはさらに不甲斐ない結果を重なる形ともなった。
充実を迎えた女帝
約8カ月の療養生活を経てエアグルーヴは、復帰初戦となったマーメードS(G3)を完勝すると次走に札幌記念(G2)を選んだ。
ここには一昨年の皐月賞馬ジェニュインや後にこの年のエリザベス女王杯(G1)を制することになるエリモシックなど強豪馬が揃った。
しかし、ジェニュイン相手にどこまで通用するのか――との伊藤調教師の思惑を嘲笑うかのように充実期を迎えたエアグルーヴにとっては関係なかった。
いとも簡単に強豪馬たちをねじ伏せ完勝。これで復帰から2戦2勝とする。
このレースで改めて牡馬の一級戦ともヒケを取らないと判断した陣営は次走を天皇賞・秋(G1)と定めた。ここでは前年の覇者バブルガムフェローが出走するとあって人気はバブルガムフェローが1番人気でエアグルーヴが2番人気に支持される形で二強ムードが漂った。
ここで思うことは、牝馬ながらにして2番人気に支持されたエアグルーヴである。
前述の通り、当時はまだ牝馬が牡馬に交じって勝てるなど一般的な考えではなかった。
しかし、数字が表しているように2番人気に支持されるのは、前走で皐月賞馬ジェニュインを撃破したことが評価に繋がったのかも知れない。
そして、レースは予想通り二強のマッチレースとなった。
前年の覇者バブルガムフェローを競り落とし勝利したエアグルーヴ。実に17年振りとなる牝馬の天皇賞制覇で天皇賞・秋が2000mに変更となってからは史上初となった。
そして、牝馬が一級戦の牡馬に交じって勝利することが、どれだけ難しかったことか、実況の恐ろしい馬との表現がその時の時代を物語っていると言えるだろう。
鞍上の武豊騎手はレース後、「最強牝馬の証明ができた。力でねじ伏せた完勝、本当に強かった」と語ったが、それでも世間の風潮は当時のマヤノトップガンやマーベラスサンデーといった中長距離最強馬が不在だったために勝てたなどと言われた。
しかし、当時の最強馬の1頭バブルガムフェローを競り落としての勝利は、まさに男勝りの牝馬が勝負根性でねじ伏せた立派な勝利であったことには違いない。
女帝の名を刻む
天皇賞・秋を制したエアグルーヴは、それがフロックでもなんでもないことを証明するため、次はジャパンC(G1)に駒を進めた。
ここでも男勝りの女帝が強豪馬相手に一歩も退くことなく強さを見せつける。レースでは鞍上の武豊騎手が完璧なレース運びをして直線を抜け出した。
誰もが勝ったと度肝を抜かれた瞬間、当時の世界最強馬の1頭であったピルサドスキーが猛追。クビ差を交わされたところが無情にもゴールだった。
あれだけ完璧な競馬をしてくれたエアグルーヴを差す馬が世界にいるとは…。とレース後、武豊騎手は悔やんだが、その走りゆえ競馬ファンは、ジャパンC 2着という女帝の強さを改めて知ることになった。
そして、迎えた暮れの大一番、有馬記念(G1)では、マーベラスサンデーとシルクジャスティスといった強豪馬に全くヒケを取らない走りを見せての3着。
牝馬として天皇賞・秋(2000m施工)を史上初の勝利、ジャパンCには世界最強馬にクビ差の2着。
そして、有馬記念では強豪牡馬相手に僅差の3着が評価され、牝馬としては実に26年振りとなる年度代表馬に選出された。
永遠の女帝としての功績
年が明け古馬として、2年目を迎えたエアグルーヴは、産経大阪杯(G2)(現大阪杯(G1)の前身)から始動し、ここでは前年の牝馬二冠馬メジロドーベル以下を抑えて優勝。
年度代表馬の貫禄を見せつけた。
しかし、ここから鳴尾記念(G3)では2着に敗れ、宝塚記念(G1)では最強の逃げ馬サイレンススズカに追いつけず、3着に敗れてしまう。
その後、夏の札幌記念では負担重量58kgを背負いながらも連覇を達成。
1980年以降、現在の芝2000m施工となった札幌記念を連覇した競走馬はエアグルーヴただ1頭である。しかし、これがエアグルーヴ生涯最後の勝利となった。
秋に入り、エリザベス女王杯では新女王メジロドーベルの3着。ジャパンCでは、2番人気に支持されるもエルコンドルパサーの2着。
引退レースとなった有馬記念では怪物グラスワンダーの前に5着で競走馬としての生涯を終えたのである。
結果的にはG1・2勝、重賞5勝という戦績だったが、それ以上に今と違う時代背景の中でエアグルーヴが魅せた牝馬としての強さは、4半世紀が経った今でも多くの競馬ファンにとって目に焼き付いているだろう。
新たな女帝伝説へ
オークスと天皇賞・秋というG1ビックタイトルを2つも手にして繁殖入りとなったエアグルーヴだが、64年振りに牝馬でダービーを制したウオッカや37年振りに牝馬として有馬記念を制したダイワスカーレット、G1・6勝にプラスしてG1・2着が7回もあるブエナビスタ、史上初のジャパンC連覇を成し遂げた三冠牝馬ジェンティルドンナに史上初の日米のオークスを制したシーザリオ。
そして、史上初となる芝G1・9勝を挙げた最強女王アーモンドアイなど現代の名牝たちと比べればG1・2勝という数字だけを見れば見劣りすかも知れない。
しかし、この名牝たちが活躍する時代の先駆けとなったエアグルーヴの功績は実に大きいのである。
それは、フケ止め薬(発情時期を抑える薬)の普及や調教技術の進歩が挙げられる。フケ止め薬は医学の進歩もあるだろうが、調教技術の進歩については間違いなくエアグルーヴが牝馬として牡馬に交じってもヒケを取らない死闘を演じたため、それまでなかった牝馬に対する調教のノウハウが構築されたといっても過言ではない。
そして、女帝エアグルーヴの凄さはこれで終わらないのである。
女帝の血を受け継ぐ馬
さて、繁殖牝馬として供用されたエアグルーヴは生涯で11頭の仔を産んでおり、実に通算勝利数は中央のみで42勝、うち重賞は5頭で13勝、G1は2頭で3勝もの産駒成績を残した。
産駒実績の詳細は、ご存じの方も多いと思うが、サンデーサイレンスとの間に設けた1番仔アドマイヤグルーヴは、エリザベス女王杯を連覇するなど母子三代でG1制覇という偉業を達成。
3番仔サムライハート(父サンデーサイレンス)や歴代2位となる約5億で落札された5番仔ザサンデーフサイチ(父ダンスインザダーク)そして、8番仔で香港G1を勝ったルーラーシップ(父キングカメハメハ)は現在、種牡馬として活躍中であり、他にもグルヴェイグやラストグルーヴといった5頭の牝馬からは多くの仔が誕生しエアグルーヴの血を継承している。
そして、何よりも1番仔アドマイヤグルーヴからは大種牡馬になる可能性を大いに秘めたが早逝してしまった牡馬二冠馬ドゥラメンテがエアグルーヴの血を多大に広めている。
こうして、現代にはエアグルーヴ一族が形成されるほど女帝の偉大さが確立されつつある。
「牝馬の枠を超えていた。牝馬にはこれは無理、牝馬はこうするべきといった固定概念を壊したのがエアグルーヴだった」と武豊騎手の言葉通り、牡馬に勝れる牝馬ありと時代の先駆者となったエアグルーヴ。
彼女の血は子や孫たちの活躍により、この先も永遠に日本競馬史上から消えることはないだろう。
トニービン | カンパラ | Kalamoun |
State Pension | ||
Severn Bridge | Hornbeam | |
Priddy Fair | ||
ダイナカール | ノーザンテースト | Northen Dancer |
Lady Victoria | ||
シャダイフェザー | ガーサント | |
パロクサイド |
生涯戦績 19戦 9勝(9-5-3-2)
主な勝鞍 オークス、天皇賞・秋、札幌記念(2回)
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