デアリングハート|歴代最強馬|助演から主演への系譜|名牝たちの記憶㉓

名牝たちの記憶
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デアリングハート
助演から主演への系譜

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デアリングハート 助演から主演への系譜

一般的に種牡馬と違い繁殖牝馬は、生涯に輩出できる産駒数が限られている。
その数は、多くても10頭前後と考えると、繁殖牝馬から名馬が誕生する確率はもの凄く低い。しかし、その確率をクリアした繁殖牝馬がのちに名牝と呼ばれるようになる。

ただ、その血は、決して直仔だけではなく、時には孫の世代において系譜され、名牝となる場合もあるだろう。

2005年の最強牝馬世代といわれる1頭のデアリングハートが、まさにその名牝といったところだろうか。自身は堅実な走りで世代を盛り上げたが、助演から主演になることはなかった。

ただ、その助演魂は仔たちに伝わり、孫のデアリングタクトが史上初となる無敗の三冠牝馬に輝いたのである。

今回は、同世代のライバル馬の前で涙を流し続けながら、孫の世代でその涙を拭ったデアリングハートの記憶を辿っていきたい。

最強の牝馬世代に生を受ける

父は今さら説明する必要がないくらい日本競馬の血統背景を大きく塗り替えたサンデーサイレンス

母のデアリングダンジグは、世界の大種牡馬ダンジグを父に持ち、半姉には10戦8勝で米国のレディースハンデなどG1を3勝したバンカーズレディがいる。

デアリングダンジグ自身は、大きな実績を残せなかったが、繁殖牝馬としては、米国でG1馬となったエクトンパーク(父フォーティナイナー)を輩出後、日本の社台ファームに輸出された。

そんな両親を持つ良血馬デアリングハートは、北海道は千歳の社台ファームにて、2002年3月9日に産声を上げた。

最強牝馬世代に立ち向かう

現役生活を通して420kg前後という小柄な馬だったデアリングハートは、2歳になると栗東の藤原英昭厩舎に入厩した。

武幸四郎騎手を背に京都での秋のデビュー戦では2着に敗れるも、2戦目で勝ち上がりをみせた。すると次走は、果敢に挑戦した阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)ではショウナンパントルの5着に入り、素質の高さを証明した。
しかし、3歳となってからは紅梅S(OP)で3着、エルフィンS(OP)でも6着となかなか勝ち切れない中、桜花賞トライアルのフィリーズレビュー(G2)に迎えたデアリングハート。

ここでは、ラインクラフトエアメサイアディアデラノビアの3強対決が予想される中、7番人気だったデアリングハートは、好位先行からの押し切りを図り、これが術中にはまったのである。
ただ、最後はラインクラフトに差し切られるもエアメサイアとディアデラノビアを振り切る形で2着を確保。こうして、賞金不足を優先出走権で補う形で桜花賞(G1)の切符を手にしたのである。

ライバル馬強し!

何とか死闘を繰り広げて掴んだ桜花賞では、10番人気と低評価の中で出走となったが、いざ蓋を開けると、絶好の3番手から追走し、手応えは抜群に見えた。
そして、最後の直線を抜け出したところで後ろにピッタリとマークされていたラインクラフトとの追い比べとなったが、ここでも相手が悪すぎたのか競り負けてしまい、さらには後方から追い込んできたシーザリオにも交わされて3着という結果に終わった。

ただ、人気を考えれば、堅実な走りをみせたことは間違いなく悲観する内容ではなかった。

続く次走では、距離適性を考慮され、異例のローテーションとなるNHKマイルカップ(G1)を選択。これには、ラインクラフトも同じ選択肢となり、またしても最大のライバル馬が立ちはだかることになった。

レースでは、関東の名手・後藤浩輝騎手を迎え、10番人気でレースに臨み、
今度は桜花賞とは逆にラインクラフトをマークする展開でレースを進めた。
そして、最後の府中の長い直線では外に持ち出し、内を突いたラインクラフトを必死に追いかけたが、全く差が縮まらず2着に惜敗。

これでG1競走を3戦連続でラインクラフトの前に涙を呑んだデアリングハート。リベンジは、秋に持ち越しとなった。

打倒ラインクラフトも…

その後、最強のライバル馬に打ち勝つため、デアリングハートは休む間もなく走ることとなる。
夏の北海道シリーズ・クイーンS(G3)では1番人気ながらレクレドールの4着、秋華賞(G1)ではエアメサイアの12着と大敗し、続くスワンS(G2)でもコスモサンビームの15着に敗れる。

年が明け古馬となってデアリングハートは、復帰初戦となった阪神牝馬S(G2)でM.デムーロ騎手を背に期待が寄せられた。しかし、またしてもラインクラフトの12着と大敗が続いた。これでラインクラフトとの対戦成績は、5戦全敗となった。

そして、次走のヴィクトリアマイル(G1)では、初めてラインクラフトに先着するもダンスインザムードの6着と敗れ、気が付けば、昨年のNHKマイルカップ2着から、1年間も大敗が続いていた。

それでも少しずつ復調気配をみせたデアリングハートは、次のエプソムC(G3)で4着に食い込むと、迎えた2度目のクイーンS(G3)でG1馬ヤマニンシュクルを1馬身と3/4差に抑え、自身2勝目とともに重賞初制覇を飾ったのである。

ライバル馬が星になる

嬉しい重賞初制覇となったその6日後、デアリングハートの元に訃報が飛んでくる。
それは、自身最大のライバルだったラインクラフトが放牧先のノーザンファーム空港牧場にて、急性心不全により急死したことだった。

追っても追い縋っても届かなかったラインクラフトという大きな目標を失ったデアリングハートは、次走の府中牝馬S(G3)では再び後藤浩輝騎手を背に迎え、サンレイジャスパーやディアデラノビアといった強豪馬に対し、執念の追い比べを制して重賞を連勝。これは、亡きライバルに弔いの勝利を捧げた形となった。

早逝したライバル馬の分まで

こうして、重賞連勝で挑んだマイルチャンピオンS(G1)では、小雨が降る緩んだ馬場に脚を取られ13着に大敗。さらに翌年のヴィクトリアマイル(G1)では、8番人気だったが、最後の直線でコイウタアサヒライジングに対して猛烈な追い込みをみせ3着に入線する。
しかし、次走のエプソムC(G3)では9着、3度目となった夏の札幌シリーズ・クイーンS(G3)でも7着と安定感をみせられない走りが続くのである。

ところが、秋に入っての府中牝馬Sでは、4番人気ながら、1番人気の強豪馬アサヒライジングを並ぶ間もなくかわして同一重賞連覇を達成。
競馬ファンにとっては、いつ走るのか分からない状態だったが、改めて復活の兆しをみせた。

そんな中で迎えた次走のエリザベス女王杯では、2歳下の新星ダイワスカーレットの前に12着と沈み、復活には至らなかった。

その後は目標レースがないことからか、ダート戦線に転向すると船橋のクイーン賞(jpn3)では3着、大井のTCK女王盃(jpn3)でも2着と思わぬダート適性をみせることとなる。

ただ、翌年6歳となったフェブラリーS(G1)では、強豪馬が集う中でのレースとなり、ヴァーミリアンの7着と敗れ、これが現役ラストランとなった。

こうして、デビュー後から小柄な馬体のままだったデアリングハートは、同世代に最高にして最大のライバルたちを要した2005年世代の名バイプレーヤーとして戦い抜いた。
そして、早逝のラインクラフト、故障で早期引退となったシーザリオやエアメサイアの分まで走り切ったのである。

母、そして祖母として…

重賞3勝との成績を持って、引退後は社台ファームで繁殖入りしたデアリングハートは、生涯で8頭の仔を産んだ。そのうち、6頭が勝ち上がりをみせたものの、大成した仔は現れなかった。

しかし、デアリングハートの助演女優としての本当のドラマは、ここからだった。

初交配となったキングカメハメハとの間に生まれた第1仔のデアリングバードは、未勝利のまま引退し、繁殖セールに出され、日高町の長谷川牧場が購入した。
そこでシーザリオの息子・エピファネイアと交配して産まれた牝馬が、2020年に史上初となる牝馬三冠を無敗で制したデアリングタクトである。

何度も追っても、あまりにも強すぎた同世代に届くことなく、助演女優として場を盛り上げ続けたデアリングハート。15年の時を経て、孫のデアリングタクトが主演女優に輝き、祖母を名牝に押し上げ偉大なものとした。

こうして、デアリングハートは孫の活躍を見届けるように2022年限りで繁殖牝馬を引退し、22歳となった現在は社台ファームで功労馬として余生を過ごしている。

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サンデーサイレンス Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
デアリングダンジグ Danzig Northern Dancer
Pas de Nom
Impetuous Gal Briartic
Impetuous Lady

生涯戦績 26戦 4勝(4-4-4-14)
主な勝鞍 府中牝馬S(G3)2回、クイーンS(G3)

 

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