ノースフライト|歴代最強馬|マイルの女王|名牝たちの記憶⑮

名牝たちの記憶
jra-van
ノースフライト
マイルの女王

※本ページはプロモーションが含まれています。

ノースフライト マイルの女王

1990年代前半――マイル界に突如現れた1頭の牝馬がいた。
2年余りの競走生活でキャリアは僅か11戦。その内訳は8勝2着2回とかなりの好成績であり、特にマイルでは5戦無敗を誇った。

また、牝馬としての古馬重賞6勝は昭和初期の名牝トウメイに並び、海外の強豪馬や牡馬も寄せ付けず、マイルG1を制覇した。しかし、生まれ持った虚弱体質との脚部不安により早々とターフを去ったマイルの女王。

今回は、四半世紀以上経った今でも”マイルの女王”として語り継がれるノースフライトの記憶に迫っていきたい。

大北牧場の潜眼

北海道日高地方の浦河にある大北(たいほく)牧場は、創業1935年の歴史ある牧場であり、これまで1965年の桜花賞馬ハツユキ、1989年のオークス馬ライトカラーを生産している。

そして、1990年1月に新たな繁殖牝馬を求めて大北牧場は1つの賭けに出た。それは、日本最大の牧場、社台グループ主催の繁殖牝馬セールにて大きな買い物をすることだった。

そこで、厳寒にもかかわらず緊張のためか、発汗しながら震えている1頭の繁殖牝馬を発見する。この牝馬こそが、のちにノースフライトの母となるシャダイフライトだった。

セリ市当時のシャダイフライトは18歳と高齢でしかも左目が弱視だった。ただ、新種牡馬トニービンの仔を宿していた点に目を付けた大北牧場は意外にも簡単に落札を成功させる。終わってみれば、セール内で1番の安価だった。

しかし、当時の社台グループ総帥だった吉田善哉氏だけは「本当にあの馬を売っていいのか?」と何度も従業員に問い掛けたという。

それがノースフライトという名牝を産むことになるのだから、競馬にロマンは尽きない。
こうして、1990年4月12日に大北牧場でノースフライトは生まれたのである。

虚弱体質でも…

1992年に日本で初年度産駒が次々とデビューしては勝ち上がるといった一大旋風を巻き起こした、アイルランド生まれの凱旋門賞馬トニービン
現役時代は27戦15勝でG1を6勝という申し分のない成績。特にクラシックディスタンスには、めっぽう強くその特徴は産駒にも現れた。

初年度産駒は4歳(現3歳表記)になってからも一段と活躍をみせた。特に桜花賞・オークスの二冠馬ベガや第60回日本ダービー馬ウイニングチケットが有名だろう。

そのベガが牝馬二冠を達成する3週間前、同じトニービン産駒のノースフライトは、裏開催の新潟競馬場でデビューを果たした。
しかし、通常の競走馬で考えれば、かなり遅いデビューである。ただ、これは脚部不安が影響してのこと。

そんなデビュー当時のノースフライトを管理した加藤敬二調教師は「馬体が立派でしたが、それに耐えられるだけの骨の育成が遅れてたと言いますか、ちょっと乗ると球節がモヤっとして、張りや熱を持ったり、思い切った強い調教がなかなかできなかった」とのちにそう語っている。

しかし、加藤調教師の心配を他所にデビュー戦で9馬身差の圧勝をみせたノースフライト。だが当時は、脚部不安に加えて虚弱体質気味だったせいか、レース後に体調を崩し、約3カ月ほどレースから遠ざかることになった。

非凡な才能も…

2戦目となった足立山特別(現1勝クラス)から鞍上に武豊騎手を迎え、ここでもまたぶっちぎりをみせるのである。着差にして8馬身差。2着を大きく引き離しての圧勝劇で2勝目を挙げた。

「2戦目で豊くんが乗って、ああいう競馬をしてくれたということで、これはもう普通ではないなっていう感じを受けましたね」と加藤調教師がコメントしている通り、この時、すでに大物の片鱗をみせていたノースフライト。

しかし、サラブレッド一生のうちで一番光り輝くクラシックシーズンに参戦できなかったが、残る1冠 エリザベス女王杯へと大きな目標ができた。だがレース後、再び発熱という虚弱体質な部分をみせ体調を崩してしまうのである。

目標はエリザベス女王杯

このままでは、 エリザベス女王杯に出走するには明らかに賞金不足だった。そのためにも残りわずかな期間でレースに勝ち、賞金を加算しなければならなかった。

そして、加藤調教師は「エリザベスを目標にということになりましたから、中間の軽い熱発と蕁麻疹で2日続けて休ませ、追い切りは少し動きが重いかなという感じはしましたが、潜在能力からいって十分通用するんじゃないかと思って出走させました」と3戦目を振り返った。

高い目標なだけに強行突破が致し方なかったノースフライト。だが、その3戦目は直線伸びを欠いてしまい、5着と初の惨敗。最悪の結果となってしまうのである。

この結果、賞金不足のため、トライアルレースも除外の対象となったノースフライト。

それでも出走可能なレースを模索し、何とか出走できることになったレースは、強力な古馬牝馬が顔を揃えた府中牝馬S(G3)だった。

しかし、それは加藤調教師にとっても究極の選択だったという。
春先のクラシックに縁がなかっただけに何とかエリザベス女王杯だけは出走させたいとの師の強い思いが、出走を決断させたのである。

そして――

ノースフライトは、陣営の思いを受けて、見事1番手で府中の杜のゴール板を駆け抜けた。

あと一歩で

秋華賞が創設される前、当時のエリザベス女王杯は、4歳牝馬三冠最後を締めくくるレースだった。

もちろん、注目はメジロラモーヌ以来の牝馬三冠を目指すベガ。次に春は2着続きながらもその力はベガと双璧の評価を得ていたユキノビジンが対抗。
3番手評価は、トライアルのローズS(G2)を楽勝した夏の上がり馬スターバレリーナ。それらに対し、春先は三冠レースに出走すらできなかったノースフライトは、今この豪華メンバーたちとゲートで肩を並べた。

レースでは、最後の直線でベガが思った以上に伸び倦ねる中、ノースフライトが一歩先に抜け出した。しかし、最内からホクトベガが強襲。惜しくも2着惜敗となった。

鞍上の角田晃一騎手(現調教師)は「うまく折り合いがついて一瞬抜け出したんで勝ったかなと思ったら、その一番内からベガはベガでもホクトベガが来たんでね、やられたなぁという感じでした」とのちに当時の心境を語っている。

初のG1挑戦、あと一歩という寸前のところで勝利を逃したノースフライト。しかし、そのレースぶりはこの先の期待を膨らませた。

マイル女王への序章

前述の通り、ノースフライトの故郷である大北牧場では、ハツユキ、ライトカラーといった過去2頭のG1ホースが誕生している。

ノースフライトは、大北牧場3頭目のG1ホースになるべく、次走から鞍上に再び武豊を迎え、暮れの阪神牝馬特別(G3)を1番人気に応えての勝利。

こうして、デビューから僅か7カ月の間でノースフライトは、6戦4勝2着1回、重賞2勝という好成績で4歳シーズンを終えた。

年が明けて古馬初戦となった芝1600mの京都牝馬特別(G3)では2着に6馬身差を付けて圧勝。こうして、マイルロードを歩み始めることになるノースフライト。

迎えた次走のマイラーズC(G2)では、ネーハイシーザーマーベラスクラウンエルウェーウィンといった久々の牡馬が相手となった。だが、強力な布陣が揃ったこのレースが、この先始まるマイル女王として伝説の序曲となるのだった。

レースでは、最後の直線で迫るマーベラスクラウンをクビ差で抑えて優勝。これで重賞4勝目となった。結果的には辛勝だったが、強豪馬を抑えての見事な勝利は次走の安田記念への大きな弾みとなった。

そして、目前に控えた安田記念に向け、ノースフライトは万全の態勢を整える。

マイルの女王

1994年より国際レースとなった安田記念。マイルロードを歩むノースフライトにとっては、春の最大の目標である。

そんな安田記念は、日本における国際レースの先駆けであるジャパンC(G1)と大きく違う。それは、招待競走ではないことである。
すなわち、来日する費用などは全て自己負担。よって、出走する馬は、本気で勝ちにきている。いや、勝つ自信がなければ、出走してこないメンバーばかりだ。

安田記念のレース当日は、小雨交じりとなった東京競馬場。スタンドは色とりどりの傘で覆いつくされていた。
そして、競馬場に詰め寄せた11万人の観客は今や遅しと世界の一流馬が顔を揃えたマイル戦の始まるのを待った。

 ノースフライトの鞍上は角田晃騎手。重賞3連勝に導いた武豊騎手は、京王杯スプリングC(G2)に続きスキーパラダイスでの出走を選んだ。
さらにサイエダティなどの海外馬に加え、サクラバクシンオーなど日本馬も強力なメンバーが揃い、前年に比べると質量ともに大きく上回った安田記念。その中でノースフライトは5番人気だった。

レースは、世界の力と日本のスピードがぶつかる白熱の一戦となる中、最後の直線では、世界の一流馬を尻目に一気のゴボウ抜きを演じたノースフライト。
前半1000mの通過タイムが56秒9と超ハイラップの展開が功を奏し、海外馬たちのほとんどは戸惑いペースを乱した。
出遅れ気味のノースフライトは後方からの競馬となったが、最後の直線では持ち前の切れ味を十分に活かせるレースとなった。

わずか9戦というキャリアでG1初制覇。世界のトップマイラーたちを蹴散らしたその強さは過去の名牝たちと比べても勝るとも劣らない。
こうして、王者不在のマイル界に新たな女王が誕生したのだった。

真のマイル女王へ

G1という勲章を胸に夏場は北海道で休養したノースフライト。
その後は、
激しい戦いが続いたため、春の疲れを癒し心身のリフレッシュを心がけた。

秋のレースの最終目標は、マイルチャンピオンS(G1)である。
このレースを最後に引退予定となったノースフライトは、北海道で無事に夏を過ごすつもりのはずが、猛暑続きのこの年の夏はノースフライトの調子を微妙に狂わせていた。

そして、迎えた休養明け初戦のスワンS(G2)では、サクラバクシンオーに屈した。さすがに相手は短距離最強馬とあって、マイル以下なら無類の強さを発揮。ノースフライトは古馬になってから初の敗北を喫した。

ところが、ノースフライトに対しては少しの不安もなかったという。このひと叩きで体調が整い、万全の態勢で引退レースに挑める状態となったからである。
陣営にとっては、春秋マイルG1制覇のラスト飛行に抜かりはなかった。

そのマイルチャンピオンSで対するは前走のスワンSを当時の日本レコードでノースフライトを破ったサクラバクシンオー。絶対的なスピードはノースフライトを脅かす、ただ1頭の馬とみられた。

ところが、レースではノースフライトが横綱相撲を見せ付け、2着のサクラバクシンオーに1馬身半差で勝利した。なお、勝ちタイム1分33秒0は、それまでダイタクヘリオスが記録していたタイムを3/10秒縮めるレコード決着となった。

こうして、ノースフライトは1600m戦で5戦5勝負けなしのまま、引退レースで有終の美を飾ったのである。さらに牝馬としては、初となる同一年のマイル春秋連覇となった。

なお、この記録は26年後にグランアレグリアが達成するまでノースフライトただ1頭のみの記録として燦然と輝き続けたことがノースフライトの強さを物語っているのではないだろうか。

そして、あまりの強い勝ち方に引退を惜しむ声は止まない中、ノースフライトにとって、これ以上ない花道でもあった。

母としての功績

1994年12月1日 2つのG1を手土産に生まれ故郷の大北牧場に帰ってきたノースフライト。

繁殖牝馬として、初年度の配合相手は11年連続リーディングサイヤーの記憶を持つ大種牡馬ノーザンテーストだった(第1仔はキコウシ 牡馬 現2勝クラス 引退後は乗馬)
そして、日本の血統史を塗り替えたといっても過言ではない大種牡馬サンデーサイレンスとの間にもうけた第3仔のミスキャストは、重賞勝ちとはならなかったものの種牡馬入りし、2007年の天皇賞・春(G1)を制したビートブラックを輩出している。

馬体の大きさが災いして順調に調教が進まず デビューの遅れたノースフライト。だが 関係者のたぐいまれな愛によって育てられたノースフライトは、遅咲きの花を見事に開花させた。

そして、生まれ育った大北牧場で繁殖牝馬という第2の人生を歩み始め、その血は現在も大北牧場にて、その娘たちから孫へ受け継がれている。

トニービン カンパラ Kalamoun
State Pension
Severn Bridge Hornbeam
Priddy Fair
シャダイフライト ヒッティングアウェー Ambiorix
Striking
フォーワードフライト Porterhouse
Bashful Girl

生涯戦績 11戦 8勝(8-2-0-1)
主な勝鞍 安田記念、マイルチャンピオンS


人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました