クロフネ|歴代最強馬|白い砂の怪物|名馬たちの記憶⑭

名馬たちの記憶
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クロフネ
白い砂の怪物

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クロフネ 白い砂の怪物

日本競馬界が大きく変化した2001年。
それは馬齢表記を世界基準に合わせ、外国産馬に日本ダービー(G1)など主要レースの出走を開放するといったものであった。

これまで日本国内産同士で争ってきたクラシックも外国産馬の参戦可能によって日本産馬には、さらなるレベルアップが求められ日本競馬の水準が世界に近づく大きなキッカケとなった年。その開放元年に相応しい名馬が登場した。

その馬は、1853年、鎖国日本に開国を迫ったペリー率いる米国艦隊の通称『黒船』にちなんでクロフネといった。

今回はダート戦線で競馬ファンに衝撃を与えダート日本最強馬とも称されているクロフネの記憶に迫りたい。

祖父は無料

フレンチデピュティはダート競馬の本場、米国で走りデビューから4連勝で重賞を勝つもG1にはあと一歩届かなかった。
母は同じく米国で走り20戦5勝と成績を残したブルーアヴェニュー。その父と母の間に1998年3月31日クロフネは米国ケンタッキー州で誕生した。
なお、母の父であるクラシックゴーゴーは米国テキサス州において無料で種牡馬生活を送っていた無名の馬。
そのような血統から、これほどまでの名馬が誕生するのだから改めて競馬には浪漫があって面白いと言えるだろう。

古馬の風格

1歳の時、転売業者に7万ドルで購入されたクロフネは順調に調教を積んだ。
この時、のちにホープフルS(米G1)を勝利するヨナグスカに勝る動きを見せることで決して良血とは言えない自身の未来を切り開いていった。
その影響で2歳となってすぐの米国トレーニングセールでは幼少期当時の約6倍となる43万ドルの評価が付けられ、これを社台グループが購入。
同年4月には北海道のノーザンファームに移動する。この時すでに「動きが良く古馬のような雰囲気を感じる」「歴戦の古馬のようだ」と評価はさらに高まっていった。
その後、馬主の金子氏がセリで購入。
この白い仔馬が3歳となる2001年は日本競馬にとって開放初年度。この年のダービーを勝ってほしいとの願いを込めクロフネと名付けられるのであった。

世代最強対決

2000年の真夏日に栗東の名門、松田国英厩舎に入厩したクロフネ。
その後、松永幹夫騎手(現調教師)を背に10月の京都で迎えた芝1600mの新馬戦では少々不利を受けるも2着と好走。
2戦目となった舞台は同じく京都の芝2000m新馬戦では当時のレコードタイムを1秒2も更新する好タイムで初勝利を挙げた。
続く3戦目の条件戦も芝2000mと前走と同条件。これには陣営の来年のダービーを獲るためとの思惑があった。その期待に応えクロフネは、ここでもレコード勝ち見せるのである。
そして、迎えた4戦目のラジオたんぱ賞3歳S(G3)で早くも世代トップクラスである2頭のライバル馬と激突する。
1頭目は、この年のダービーを制したアグネスフライトの全弟アグネスタキオン。もう1頭は既に重賞を勝っていたジャングルポケットである。
そんなライバル馬を横目にクロフネは堂々の1番人気に支持された。

しかし、レースはスローペースで運ばれる中、最後の直線ではクロフネが先頭に立つも瞬時にアグネスタキオンに交わされゴール前ではジャングルポケットにも交わされ3着となった。
前走の動きを見て、ここも勝てると睨んだ陣営だったがアグネスタキオンの強さに対して「初めて味わう挫折」とコメント。
来年の目標である外国産馬による日本ダービー制覇は早くも黄色信号が点滅したのである。

フランス帰りの天才

年が明け、思うように調整が進まなかったクロフネだが、3月末の毎日杯(G3)から始動することになった。
ここでは役者の違いを見せ、1番人気に応える形で快勝。2着のコイントスに5馬身差を付けた。

しかし、当時の外国産馬が日本ダービーに出走するためには本賞金の加算ではなくNHKマイルC(G1)で2着までに入るか、トライアルレースの京都新聞杯(G2)及び青葉賞(G2)に勝つしか条件がなかった。そのため、陣営はNHKマイルCを選択する。

そして、鞍上は当時、仏国に滞在していた武豊騎手に対して馬主の金子氏が直接騎乗依頼し武豊騎手も承諾。ここに最強のコンビ誕生がした。

レースは、単勝1.2倍と断然の指示を受けたクロフネが武豊騎手を背に後方からレースを進め、東京の長い直線に入ると逃げるグラスエイコウオーをゴール前できっちり捕えて優勝。
クロフネと管理する松田調教師は初G1制覇となり、武豊騎手もデビュー2年目のスーパークリークでG1を制してから14年連続となるJRAでのG1勝利を飾った。

レース後、武豊騎手は「ストライドが大きく乗っていてあまりスピード感がないため一瞬心配したが、きちんと差し切ってくれた。素晴らしい馬だと思う。間違いなくダービーの有力馬の1頭でしょう」とコメントし、昨年暮れの黄色信号から一変、開放元年に外国産馬の日本ダービー馬誕生も見えたのだった。

黒船襲来

無敗の皐月賞馬アグネスタキオンが屈腱炎のため戦線を離脱し、同レース2着のダンツフレーム、3着のジャングルポケット対NHKマイルC覇者のクロフネとの構図ができた開放元年の日本ダービー。
競馬ファンは、まさに黒船襲来・・・・が実現するかと期待を寄せて重馬場開催となった東京競馬場に足を踏み入れた。

レースは重馬場にも関わらず日本ダービー史上最速となる1000m、58秒4というハイペースな展開となった。

そして、最後の直線では2400mが少し長かったのかクロフネは伸びを欠いた。結果は外から抜け出したジャングルポケットが優勝。伸びあぐねたクロフネは5着と初めて馬券圏外となる。
陣営が当初から目標とし、馬主の金子氏がそれにちなんで命名した黒船は日本ダービーという大海に沈む格好となった。

しかし、違った意味での黒船襲来はこの先に訪れるのである。

運命の悪戯

ここまで7戦4勝(うちG1・1勝)――しかも日本ダービーは距離が長すぎたと仮定すれば、これまで大差負けはない。
そう考えると、陣営はダービーと同じく外国産馬に2頭の出走枠が与えられた天皇賞・秋(G1)に照準を当てた。

休養明け初戦となった神戸新聞杯(G2)では、スタートで躓き後手を踏んで、3着に敗れるも本番は天皇賞・秋。陣営は、あくまでもメイチの仕上げではなかったと悲嘆する様子はなかった。

10月末の天皇賞・秋が近づくにつれ外国産馬の出走枠予定が1番手メイショウドトウ、2番手クロフネと優先出走権が見込まれていた。
しかし、急遽アグネスデジタル陣営が出走を表明。アグネスデジタルといえば、芝ダート不問とし昨年のマイルチャンピオンシップ(G1)とこの年の南部杯(地方交流G1)を勝った実績を持っていた。
その結果、クロフネは、3番手となり出走除外対象となってしまったのだ。
これには陣営も出走除外は致し方ない。だが、せっかくメイチ仕上げたのだから何かレースに出走させなければ勿体ないと天皇賞・秋の前日に行われるダート重賞、武蔵野S(G3)に駒を進めた。

これがクロフネにとって運命の分かれ道となる。

真価発揮

初のダート戦となった武蔵野S。
イーグルカフェサウスヴィグラスといったダート強豪馬も出揃う中、ゲートが開くと抜群の行きっぷりを見せたクロフネ。
早くも第4コーナーでは一気に先頭へ立ち、終わってみれば勝ちタイム1分33秒3の日本レコードで勝利。2着のイーグルカフェに9馬身タイムにして1.4秒差を付ける圧勝劇だった。

しかもこれまでの日本レコードを1.2秒も更新する驚異的なタイムだった。
鞍上の武豊騎手は何度も左側のターフビジョンを見ては股下から後方も確認するほどの大楽勝。なお、このレコードは、この先19年間も破られることなかった大記録となる。

こうして新たな活路を見出したクロフネの次なる目標はダートの国際招待競走であるジャパンカップダート(G1、現チャンピオンズC)となった。

ダートの日本一を決めるジャパンカップダート。
このレースには、米国の一線級実績馬であるリドパレスが出走。それでも競馬ファンは、前走のレースが強烈だったクロフネを堂々の1番人気に支持した。

そして、レースはスタート直後に他馬と接触し後方からの競馬となったが徐々に前へ進出。
第4コーナーでは持ったままで先頭に立っていた。
そこから直線は独断場だった。

終わってみれば、前年の初代ジャパンカップダート優勝馬ウイングアローに7馬身差を付ける圧勝。走破タイム2分5秒9は、またしても日本レコードを1.3秒も更新。2戦連続の日本レコードタイム更新となった。

このダート2戦で見せたあまりにも強い衝撃的な勝ち方に、来年以降のダート戦線は全てクロフネの時代となるだろうと、多くの競馬ファンは感じたに違いない。
形は違うとはいえ、まさに馬主が思い描いた黒船襲来・・・・がダート界に巻き起きたのである。

偉大な父として

ダート日本最強馬として来年のドバイワールドカップ(G1)に挑戦することが決まったクロフネ。しかし、彼の右前脚に病が襲いかかった。

それは競走馬にとって不治の病――屈腱炎である。

少なくても全治9カ月以上の重症。これで来年のドバイも米国のブリーダーズカップ(米G1)も全て白紙となり、クロフネはあまりにも早すぎた短い競走生活に別れを告げた。

天才・武豊騎手が2003年のあるインタビューで「今まで乗った馬で凄さを感じたのは、オグリキャップサイレンススズカ、そして、クロフネ。全く別次元の競馬をして能力の高さだけで押し切れる。そんな馬はそうそういない」と述べられるほど日本競馬開放元年に魅せたクロフネの衝撃はあまりにも凄かったと分かるだろう。

生涯6勝のうち4度のレコード勝ちを見せたクロフネ。まさに勝つ時は強烈に強く勝つ印象を与えた名馬だった。

その血は後世まで受け継がれる

2002年より種牡馬入り後、クロフネは、23歳でこの世を去るまで1849頭の仔をターフに送り込んでいる。

その中でホエールキャプチャアエロリットカレンチャンといった牝馬が主に短距離〜マイル路線で活躍し、近年では白毛の女王ソダシの活躍も父クロフネの名をさらに大きく押し上げた。
しかし、こうして見ると多くのG1馬を輩出するも牝馬の活躍が目立つ。

さらには、2023年のスプリンターズS(G1)においてソダシの全妹ママコチャが勝利したことでクロフネ産駒は19年連続のJRA重賞制覇となり、歴代1位のパーソロンと肩を並べた。
2024年にクロフネ産駒が重賞制覇となれば、20年連続はパーソロンを抜いて歴代1位となり、これはとてつもない記録である。
その期待は、ママコチャとマリアエレーナ(2022年小倉記念(G3)の勝ち馬)といった2頭の娘たちに大きな期待がかかる点も注目したい。

逆にクロフネが世を去った時点で後継種牡馬はテイエムジンソクのみ。正直なところ父系の後継は期待できそうにない。だが、開放元年に衝撃を魅せた白い砂の怪物クロフネの血は、前述の通り、多くの名牝たちが残していってくれるだろう。

日本競馬に衝撃を与えたクロフネ。

あれから20年以上経った今でもクロフネをダート日本最強馬と呼ぶ声が多い。それほどまでにクロフネが砂の上で残した衝撃が未だ競馬ファンの脳裏に焼き付いているといっても過言ではない。

 

フレンチデピュティ Deputy Minister Vice Regent
Mint Copy
Mitterand Hold Your Peace
Laredo Lass
ブルーアヴェニュー Classic Go Go Pago Pago
Classic Perfection
Eliza Blue Icecapade
コレラ

生涯戦績 10戦 6勝(6-1-2-1)
主な勝鞍 ジャパンカップダート、NHKマイルC

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