ドリームジャーニー|歴代最強馬|夢の旅路|名馬たちの記憶㊲

名馬たちの記憶
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ドリームジャーニー
夢の旅路

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ドリームジャーニー 夢の旅路

偉大な父を彷彿とさせる小さな馬体と秘めたる闘争心。

その小さな馬体から繰り出される闘争心むき出しの末脚は、全弟オルフェーヴルとともに多くのファンを魅了し、夢の旅路を見事に繋いだ。

今回は、父ステイゴールドの黄金旅程を受け継ぎ、父を大種牡馬に押し上げたドリームジャーニーの夢の旅路について振り返りたい。

運命の悪戯

父は今でこそ、歴史的な大種牡馬となったステイゴールドだが、ドリームジャーニーが生まれた当時は、まだ種牡馬としては未知数で低評価だった。

また、種付け頭数は100頭を超えていたが、これはサンデーサイレンスの後継種牡馬としての種付け料が100万円前後と破格値だったことで人気を博していたといわれている。

母のオリエンタルアートは、長距離最強馬と謳われるメジロマックイーンを父に持ち、現役時代は中央で23戦3勝の成績を残し、競走馬引退後は生まれ故郷の白老ファームで繁殖入り。
繁殖初年度は、ステイゴールド以外の種牡馬と交配するも、なかなか受胎せず、お試しだったステイゴールドとの交配が一回で受胎。

これは運命の悪戯なのか――その仔こそ、2004年2月24日に誕生したドリームジャーニーである。

ちなみに、その4年後にもディープインパクトと交配するも不受胎が続き、代替のステイゴールドで受胎し、生まれたのがオルフェーヴルであった。

父譲りの鬼脚

430キロに満たない牡馬としは比較的小さな馬体で2006年9月3日に新潟でデビューしたグレートジャーニー。そのデビュー戦では上がり最速の末脚を炸裂させ、2着にクビ差と辛勝。
続く芙蓉S(OP)でもメンバー最速の上がりで2着以下を圧倒。
しかし、2連勝で迎えた東京スポーツ杯2歳S(G3)では、出遅れが響いてかフサイチホウオーの3着だった。

そして、2歳王者決定戦の朝日杯フューチュリティS(G1)に駒を進めたドリームジャーニー。
ところが、ここでも出遅れで最後方に。父親譲りの闘争心が裏目に出たのかも知れない。

レースでは、終始最後方を走る展開となり、直線でも最後方で万事休すと思われた。だが、そこから怒涛の豪脚を繰り出し、全馬を並ぶまでもなくゴボウ抜き。ゴール前でローレルゲレイロを半馬身差を付けて完勝。

この勝利にて、
ステイゴールド産駒初のG1勝利
池江泰寿調教師に初のG1タイトル
朝日杯フューチュリティS、最軽量記録での勝利
と記録ずくめの勝利となり、最優秀2歳牡馬に選出された。

クラシック不発

2歳王者となったドリームジャーニー。当然ながら、牡馬クラシックの有力馬として注目される存在となった。

しかし、3歳初戦となった皐月賞(G1)トライアル・弥生賞(G2)では、アドマイヤオーラの3着に敗れ、皐月賞では伏兵馬ヴィクトリーの前に8着と惨敗。続く日本ダービー(G1)でもウオッカの5着に敗れた。

3歳春では、持ち味を発揮できず全敗に終わったドリームジャーニー。

夏を経て、菊花賞(G1)トライアルレースの神戸新聞杯(G2)で父の背を知る武豊騎手を鞍上に迎え、巻き返しを図り、一気の末脚で皐月賞馬らを蹴散らし朝日杯以来の勝利を飾った。

そして、満を持して臨んだクラシック最後の一冠、菊花賞(G1)。さすがに距離が長かったのか、アサクサキングスの5着に敗れ、世代の2歳王者は、クラシック全敗という結果に終わった。

さらに翌年以降もドリームジャーニーは、なかなか勝てない日々が続くこととなるのである。

運命の出会い

翌年、古馬となり、マイル戦線に向かうがマイラーズC(G2)と安田記念(G1)を惨敗。

武豊騎手が池江調教師にこの馬はコーナーが4つあったほうがいいと言う助言から次走を小倉記念に定めた。ところが、このタイミングで武豊騎手が騎乗停止になってしまい、ここで前走の安田記念で騎乗した池添騎手が、小倉記念の鞍上が決まってないなら乗せて下さいと懇願したことでコンビ継続となる。

実は、安田記念で代替騎乗となった池添謙一騎手は、母オリエンタルアートの全3勝を勝利に導いている。さらには、ドリームジャーニーの厩務員も母オリエンタルアートと同じ厩務員だった。
人馬ともに縁があった池添騎手。これがある意味でグレートジャーニーと池添騎手にとって運命の出会いになるのであった。

そして、その小倉記念(G3)と続く朝日チャレンジC(G3)を池添騎手とともに連勝するのである。勢いに乗ったドリームジャーニーは次走を天皇賞・秋(G1)に駒を進めた。

しかし、古馬のG1の壁は高く同世代のウオッカ、ダイワスカーレットの前に10着と完敗。さらに暮れの有馬記念(G1)でもダイワスカーレットの前に4着とG3を2勝するも2歳王者としては不甲斐ない結果に終わってしまうのである。

春のグランプリ

年が明け、5歳となったドリームジャーニーは、始動戦に中山記念(G2)を選択。ここではカンパニーの2着とし、次走の産経大阪杯(G2)では前を行くダービー馬ディープスカイを差し切り力強い粘り腰でねじ伏せて、重賞5勝目を飾った。

続く天皇賞・春(G1)では、超伏兵馬マイネルキッツの3着に敗れはしたものの、ここでの走りは春の大目標であったグランプリ・宝塚記念(G1)へ大きな弾みとなった。

そこで、かつての2歳王者の復活の時が今まさに訪れようとしていた。
1番人気はディープスカイ。ここまで重賞4勝を誇るサクラメガワンダーが2番人気。それに次ぐ3番人気にドリームジャーニーは支持された。

レースは、スタートから終始ディープスカイを見る形でレースを進めたドリームジャーニー。最終コーナーに入ると末脚が炸裂する。ディープスカイら先行勢を桁違いな切れ味でちぎり捨てると2着のサクラメガワンダーに1馬身と3/4差を付けての圧勝。

見事、朝日杯フューチュリティS以来、実に2年半ぶりとなるG1勝利となったのである。

グランプリ連覇の偉業

宝塚記念を勝利し、G1・2勝目を飾ったドリームジャーニーは夏の休養を挟み、秋はオールカマーから始動する。ここでは中山巧者のマツリダゴッホに敗れてしまうが、2着を確保。まずまずの始動戦となった。

続く天皇賞・秋はカンパニーの6着に屈してしまうが、年末の有馬記念では、ファン投票4位に選出され、同一年グランプリ連覇をかけた有馬記念に出走した。

このレースには、3歳にしてすでに女王の風格が漂い始める二冠牝馬ブエナビスタや中山巧者のマツリダゴッホなどG1馬9頭が顔を揃えた。
そんな豪華な顔ぶれとなった第54回有馬記念。ドリームジャーニーはブエナビスタに次ぐ2番人気に支持された。父から受け継いだ夢の旅路が今、新たな未来を切り開こうとしていたのである。

いつも通りの後方待機で脚を溜め抜け出しを図るブエナビスタを大外からかぶせるように強襲したドリームジャーニーは、先輩馬としての意地を見せつけるかのような闘争心でブエナビスタに並びかけ2頭が他馬を突き放した。

そして、半馬身ほど競り落としたところでゴール。これでディープインパクト以来の同一年の宝塚記念・有馬記念のグランプリ連覇を達成。

この活躍が評価されてドリームジャーニーはこの年の最優秀4歳以上牡馬に選出されたのである。

夢の旅路は弟へ託された

年が明けて6歳となったドリームジャーニーは、京都記念(G2)から始動するも斤量負担の影響からか3着に敗れ、その後も重賞やG1で好走するも勝ち星に恵まれず、翌年に全弟オルフェーヴルが二冠を達成した時に引退。

夢の旅路を背負ったドリームジャーニーは、弟に引き継ぐようにしてターフを去った。

その後、種牡馬となったドリームジャーニーだが、小柄な馬体が影響してか、思うように種付けが出来ず、残した産駒は僅か160頭余り。
しかし、数少ない産駒からヴェルトライゼンデや凱旋門賞4着のスル―セブンシーズなどの中央重賞勝ち馬を3頭も輩出するなど、ドリームジャーニーが歩んだ夢の旅路は確かな爪痕を残した。

父ステイゴールドが勝てなかった中央G1を勝利し、さらにはグランプリを連覇。父を大種牡馬に押し上げ、実の弟に三冠の夢を繋いだ。

そんなドリームジャーニーの生き様は、その戦績以上に父や弟に大きな影響を与えたのは言うまでもない。

ステイゴールド サンデーサイレンス Halo
Wishing Well
ゴールデンサッシュ ディクタス
ダイナサッシュ
オリエンタルアート メジロマックイーン メジロティターン
メジロオーロラ
エレクトロアート ノーザンテースト
グランマスティーヴンス

生涯戦績 31戦 9勝(9-3-5-14)
主な勝鞍 朝日杯フューチュリティS、宝塚記念、有馬記念


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