オルフェーヴル
黄金の三冠馬
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オルフェーヴル 黄金の三冠馬
2011年3月――日本列島が未曾有の大震災に包まれた中、競馬界では金色に魅せる栗毛の馬体が一瞬で他馬を置き去りにする切れ味と激しい気性からの闘争心で一条の光をもたらした。
そして、6年ぶり史上7頭目の三冠馬に輝く。その馬はオルフェーヴルといった。
今回は、破天荒で型破りな走りから多くの競馬ファンを魅了し続けたオルフェーヴルの偉大な記憶に迫りたい。
気性難の由縁
父ステイゴールドは、現役時代になかなか勝てない善戦マンとして多くの競馬ファンに親しまれた。その反面、賢明がゆえに気性難という性格は種牡馬になってからも多くの産駒に継承された。
父の母ダイナサッシュの兄は、弾丸シュートと呼ばれたサッカーボーイで、これまた気性が激しかった昭和を代表する名馬である。
一方で母のオリエンタルアートはメジロマックイーンを父に持ち、オルフェーヴルの全兄にあたる初仔ドリームジャーニーなどを輩出した。
しかし、このオリエンタルアートも種付の際に気に入らなかったら種牡馬を蹴り上げたというほど、気性が激しかった。また、ディープインパクトとの種付は相性が悪く、何度も不受胎だったそうだが、空胎を避けるため、ステイゴールドを付けると一発で受胎。
こうして生まれたのが、のちのオルフェーヴルである。そんな両親から生まれたオルフェーヴルも、もちろん気性が荒かったのは言うまでもない。
いじめられっ子
2008年5月14日に社台コーポレーション白老ファームで生まれたオルフェーヴル。
競走馬にしては少し遅めの5月生まれのためか、幼駒時代は、その小さな馬体のせいで同世代の馬たちにいつも追い回され俄かに信じ難いが、いじめられていたという。
また、入厩当初は気性がおとなしく、管理した栗東の池江泰寿調教師も本当にステイゴールド産駒なのかと目を疑ったそうである。
しかし、オルフェーヴルが変貌を遂げるのは、レースに行ってからのことで、デビュー戦で父親らしいパフォーマンスを見せるのだった。
暴君の片鱗
全兄ドリームジャーニーと同じく池江厩舎から、2010年8月14日に新潟競馬場の新馬戦(芝1600m)でデビューしたオルフェーヴル。
兄の主戦騎手だった池添謙一騎手を背にレースでは、最後の直線では早め先頭に立つとメンバー最速タイとなる上がり3ハロン33秒4の末脚を披露し、他馬を寄せ付けない強さを見せた。
ただ、パドックでは2人曳き、ゴール後は池添騎手を振り落とし放馬、挙句の果てにはウイナーズサークルでの記念撮影が中止になるなど新馬戦から暴れっぷりを見せた。
ちなみに父ステイゴールドも3戦目で騎手を振り落としており、やはり血は争えないようである。
その後オルフェーヴルは、2戦目となった芙蓉S(OP)ではホエールキャプチャの2着に敗れ、初受賞挑戦となった次走の京王杯2歳S(G2)では幼さを露にしてしまい10着と大きく敗退。
実力よりも気性難が勝った2歳時のオルフェーヴル。ここで陣営は、自立心を養うため集団から離れて1頭で調教を行うなどの工夫を施した。その結果、翌年の大活躍に繋がることになるのだった。
黎明の光
年が明け、1月9日に行われたシンザン記念(G3)に出走したオルフェーヴルは、ここでも上がり3ハロン33秒5の豪脚を披露するも、早めに抜け出したレッドデイヴィスに届かず2着。
続くきさらぎ賞(G3)でも上がり3ハロン33秒2の豪脚を繰り出すが、前を走るトーセンラーを捕らえることが出来ず3着とデビュー戦以後、4戦連続の惜敗が続いた。
しかし、きさらぎ賞で見せたオルフェーヴルの走りは、後に池江調教師が「その後の競走生活において大きなターニングポイントだった」と振り返るほど重要な一戦となった。
これは、オルフェーヴルに我慢することを学ばせたためである。
その後、陣営は皐月賞への切符を手にするため、次走にスプリングS(G2)を選択。
この年は、震災の影響で中山から阪神開催に変更された同レースにて、道中後方に控える競馬を見せたオルフェーヴルは、最終コーナーで早くも進出し、直線に入ると大外から一気にペルシャザールらを差し切って重賞初制覇を飾った。
本来から持っている潜在能力に素質が開花したことでレース後、池添騎手は「普段の調教やレースで教えてきたことが身についてきたし、本番も楽しみになりました」と喜びを表した。
また、池江調教師も「交わすときの脚はドリームジャーニーを見ているようだった」と切れ味が武器だった兄と重ねるコメントを残している。
クラシック戦線
こうして、無事に皐月賞(G1)へ駒を進めたオルフェーヴル。震災の影響で23年ぶりとなる東京開催、また例年よりも1週間遅れでの開催となった皐月賞。
1番人気は弥生賞(G2)を制したサダムパテックでオルフェーヴルは4番人気に支持された。
ところが、馬群を縫うようにして先頭に立ったオルフェーヴルはサダムパテックを3馬身突き放してゴール。父や兄が果たせなかったクラシックの栄冠を掴んだ瞬間となった。
続く日本ダービー(G1)では、あいにくの強い雨が降り注いだ中で行われた。
皐月賞馬となったオルフェーヴルは、単勝1番人気に支持されるもオッズは3.0倍と決して飛び抜けた存在ではなかったが、直線に入ったところで不良馬場の大外を一気に突き抜けたオルフェーヴル。
最後はウインバリアシオンが迫ったものの結果的には3着以下を大きく引き離しての圧勝、人馬ともに泥だらけになりながらの勝利であった。
なお、新潟競馬場でデビューした馬が、日本ダービーを制したのは実に1984年のシンボリルドルフ以来、27年ぶり2頭目となった。
さらには、皐月賞、日本ダービーともに東京競馬場で行われての二冠馬誕生は1964年のシンザン以来47年ぶり3頭目である。
黄金の三冠馬
夏を経て菊花賞トライアル神戸新聞杯(G2)では、最後の直線で上がり3ハロン32秒8という切れ味を発揮し、早め先頭に立つと、力を持て余す格好で2着のウインバリアシオンに2馬身半差をつけて勝利。見事、重賞4連勝で秋初戦を難なく制したオルフェーヴル。
迎えた菊花賞では、単勝1.4倍という圧倒的人気でレースに臨んだ。なお、菊花賞の最終追い切りの後、池添騎手は「乗り味は今までで一番だったデュランダル以上」とコメントした。
これは、ドリームジャーニーやデュランダル、スイープトウショウといった多くの名馬の背中を知る池添騎手をもってしても、今までに経験したことのないレベルに達していたことを物語っているだろう。
そして、淀の3000m。最後の直線では楽々先頭を捕らえるとあとはもう離すだけの独走態勢となり、最後方から追い込んだウインバリアシオンに2馬身半差を付けての勝利。
初代三冠馬セントライト
五冠馬シンザン
型破りな三冠馬ミスターシービー
皇帝シンボリルドルフ
シャドーロールの怪物ナリタブライアン
そして、日本近代競馬の結晶ディープインパクトに続き、史上7頭目となる三冠馬誕生となった。
また、デビュー戦以来となるレース後、外ラチに突っ込み池添騎手を振り落としたのもオルフェーヴルらしい。
なお、ダービーから三度続けて2着だったウインバリアシオンは、まさに”あいつさえいなければ“状態となった。
日本に敵なし
菊花賞を制した後、オルフェーヴルは暮れの有馬記念に出走。ここでは、ファン投票1位のブエナビスタを始め、オルフェーヴルを合わせるとG1馬が9頭と豪華すぎるメンバーが揃った。
レースでは、やや立ち遅れた格好となったオルフェーヴル。前半1000mの通過タイムが63秒8と超スローペースの中、最後方付近から徐々にポジションを上げ大外を捲っていく。
中山の短い直線に入り外から抜け出すと、最後はエイシンフラッシュやトゥザグローリーらの追撃を封じてグランプリを制覇。見事、並みいる強豪馬を蹴散らした。
なお、同レースは2009年にドリームジャーニーも制しており、史上初の兄弟制覇となった。
また、同一年でのクラシック三冠と有馬記念制覇は、シンボリルドルフ、ナリタブライアンに続き史上3頭目の快挙となった。
そして、この年は8戦6勝。スプリングS以降は、クラシック三冠を含む破竹の重賞6連勝(うちGI4勝)で年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出されたのである。
世界への序章も…
翌年に入り、海外遠征も視野に入れ始動となったのは、阪神大賞典(G2)このレースでオルフェーヴルはある意味で伝説となる。
スタートから終始かかりっぱなしでレースを進め3コーナー手前で急激に失速。故障かと思わせるような失速っぷりに場内は騒然とした。
ところが、そのまま立て直すと再び加速。最後方から一気に最終コーナーでは先頭に並びかける、とんでもない競走馬である。
結果的には、ファビラスラフインの仔ギュスターヴクライの2着だったものの、池添騎手は「100m は余分に走っての2着は彼の競走能力の高さを十二分も示していた」と、とんでもない競走馬であることが分かるコメントだった。
ちなみにこのレースでオルフェーヴルは、歴代三冠馬で唯一の平地調教再審査の制裁が与えられることになった。
その後、調教再審査を無事に通過したオルフェーヴルは予定通り、天皇賞・春(G1)に出走した。しかし、圧倒的な人気で挑んだ天皇賞・春だったが結果は予想外なものであった。これまでのレース同様、後方に待機し、徐々に外へと持ち出して追い上げる戦法だった。
ところが、このレースに限っては手応えが悪くポジションを上げていくことができなかった。
結果的には、大逃げを打ったノースフライトの孫にあたるビートブラックに追いつくことができず、1.8秒遅れての入線となり、ヒルノダムールと同着の生涯最低着順11着に敗れた。
思わぬ大敗を喫したオルフェーヴルは、秋の凱旋門賞(仏G1)出走を表明していただけに次走の宝塚記念(G1)は絶対に負けられない一戦であった。
しかし、前々走でみせた逸走に前走の大敗。期待と不安が入り混じるファンをよそにオルフェーヴルは、自分らしくあり続けたのである。
レースは、大外から勢いよく飛び出したネコパンチが1000mの通過タイム58秒4というハイペースで引っ張る展開となった。このレースでも後方に待機する作戦を取ったオルフェーヴルと池添騎手。
ただし、いつもの第3コーナーで早めに外からポジションを上げず、最終コーナーでも後方のままだったが、ここで進路を内側に取ると否や勢い良くスパート。
最後の直線では、最終週の荒れた馬場をものともせず、残り約150m付近で先頭に立つと、ルーラーシップ以下を2馬身差抑え勝利。5度目のGI制覇となった。
いざ世界へ
こうして、宝塚記念を制したオルフェーヴルは日本の悲願を達成すべく凱旋門賞に向けてフランスの地に飛び立った。そこで凱旋門賞の前哨戦、フォア賞(仏G2)を少頭数ながらも軽く促して勝利したオルフェーヴル。
そして、いよいよ本番を迎える中でスノーフェアリーやデインドリームら有力馬が次々と出走を見合わせたことで1番人気に押し上げられたオルフェーヴル。
日本馬初の凱旋門賞勝利の瞬間をファンは固唾をのんで見守ったことだろう。
レースでは、最後の長い直線を馬なりのまま先頭に立った。手応えも抜群に見えた。さらに後続を突き放し、誰もが勝利を確信した時――内ラチに向かって急激に斜行して、まさかの失速。
鞍上のスミヨン騎手が内から鞭を打って立て直しを図るも交わしたはずのソレミアがもう1度、盛り返して万事休す。日本の悲願達成が目前に夢幻となる2着惜敗。
日本馬の凱旋門賞勝利はまたもお預けという形となった。
歴代最強牝馬との接戦
帰国後、オルフェーヴルはジャパンC(G1)に出走した。
しかし、凱旋門賞が終わって2日後に現地を発ったため、疲労や消耗が重なってコンディションが上向かなかったのは明らかだった。
それでもファンは世界一にあと一歩のところで届かなかった黄金の三冠馬を1番人気に支持した。
ただ、このレースには、この年に牝馬三冠を達成したジェンティルドンナに、先の凱旋門賞で優勝したソレミアが出走と今度は日本でオルフェーヴルとの再戦が実現した。
さらには、この年の香港クイーンエリザベス2世Cに優勝したルーラーシップ、天皇賞・春を制したビートブラックに天覧競馬となった天皇賞・秋を勝利したエイシンフラッシュなど、外国馬を含めてGI馬9頭、出走馬17頭全てが重賞優勝馬という昨年の有馬記念に匹敵するほどの豪華顔ぶれとなった。
レースでは、ビートブラックが逃げる展開に、いつもの定位置から徐々にポジションを上げていき、最後の直線に入ると逃げるビートブラックを一気に交わして先頭に出た。
そして、残り200m付近で事件が起きる。
それは、ビートブラックを避け進路をこじ開けようとしたジェンティルドンナと激突し、その衝撃でオルフェーヴルはバランスを崩すと同時に失速したのだった。俗にいうジェンティルドンナアタックである。
そこから何とか体勢を立て直したオルフェーヴルは、ゴール前までジェンティルドンナと叩き合ったが、最後はハナ差届かずの2着。
当然、この接触や進路について約20分以上に及ぶ審議が行われたが、最終的には入線順位通りに確定した。
オルフェーヴル陣営にとって、何とも後味の悪い結果となったが、それでも勝った3歳牝馬のジェンティルドンナはアッパレである。
再びの世界挑戦
凱旋門賞という忘れ物を獲りに5歳となったオルフェーヴルは現役を続行する。
年明け初戦となった産経大阪杯(G2)を勝利し、宝塚記念を目指していたオルフェーヴルだったが、肺出血のため、同レースを回避せざるを得なかった。
しかし、幸いにも目標であった凱旋門賞出走には影響がなかったため、8月下旬にはフランスへ渡り現地で調教を行った。
全ては昨年の大きな忘れ物を獲るためにである。そして、フォア賞を難なく連覇して迎えた2013年の凱旋門賞。
日本からは、この年のダービー馬キズナも参戦し、他には英国ダービー馬のルーラーオブザワールドや仏オークス(仏G1)とヴェルメイユ賞(仏G1)を連勝中のトレヴなど多数の有力馬参戦し、例年と変わらずハイレベルな一戦が期待された。
レースでは、中団後方の外目を追走するオルフェーヴルに対し、キズナやトレヴはさらに後ろから進む展開となった。そして、最後の直線に入ると一気にトレヴが先に抜け出した。
進路の確保に少し手間を取ったオルフェーヴルは、トレヴを追う形になるも、その差は開く一方で最後は5馬身差をつけられて2年連続の2着に敗れた。
こうして、2度目の凱旋門賞は大きく離された2着となり、日本馬としての凱旋門賞制覇は次の時代に持ち越しとなり、帰国後、オルフェーヴル陣営は年内で引退することを表明するのだった。
衝撃のラストラン
黄金の三冠馬と謳われたオルフェーヴルのラストランは暮れの有馬記念となった。
単勝オッズ1.6倍の支持を受け、12万人の大観衆に見守られる中、最後にオルフェーヴルを打ち破ろうと意気込んだのは、ダービーと菊花賞で2着に敗れたウインバリアシオンやこのレースの2番人気であり、オルフェーヴルと同じ父を持つ昨年の二冠馬ゴールドシップなど、相手として不足はないメンバーが顔を合わせた。
2着続きの雪辱か、はたまた後輩二冠馬の意地か、
それとも黄金の三冠馬の有終の美か――
世界を相手に戦い続けたオルフェーヴル。そのラストランは、最後までオルフェーヴルらしさを見せた日本競馬史に残るレースとなった。
レースでは、3、4コーナーの中間点前を行くゴールドシップをあざ笑うかのような脚でちぎり捨てるとあとはもうオルフェーヴルの独壇場となった。
追ってくるウインバリアシオン以下後続に力の違いを見せつけ、他の追随を許さぬケタ違いの末脚で直線をただ1頭だけ異次元の走りを大観衆の記憶に焼き付けるかのような圧勝劇。
2着との差は実に8馬身。これが黄金の三冠馬オルフェーヴルの現役最後の走りとなった。荒々しくも自分らしくあり続けた競走馬生活はまさに父と同じ黄金旅程だった。
その血は世界へ
2014年から種牡馬入りしたオルフェーヴル。その血は、早くも初年度産駒に伝わり、エポカドーロやラッキーライラックといった産駒が牡牝クラシック戦線を賑わした。
その後、黄金の三冠馬の血は、ドバイワールドC(首G1)を制したウシュバテソーロ、ブリーダーズCD(米G1)を勝ったマルシュロレーヌが世界でも通用することを証明した。
父ステイゴールドの名にふさわしい旅路を歩み残した蹄跡は、産駒たちへと確実に受け継がれ、彼らが次なる黄金の時代を紡いでいている。
そして、オルフェーヴルが掴んだ金色に輝く勲章の数々は、この先も決して色褪せることはないだろう。
ステイゴールド | サンデーサイレンス | Halo |
Wishing Well | ||
ゴールデンサッシュ | ディクタス | |
ダイナサッシュ | ||
オリエンタルアート | メジロマックイーン | メジロティターン |
メジロオーロラ | ||
エレクトロアート | ノーザンテースト | |
グランマスティーヴンス |
生涯戦績 21戦 12勝(12-6-1-2)
主な勝鞍 牡馬三冠(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)、宝塚記念、有馬記念(2回)
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