タマモクロス|歴代最強馬|白い稲妻2世|名馬たちの記憶㉘

名馬たちの記憶
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タマモクロス
白い稲妻2世

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白い稲妻2世 タマモクロス

芦毛の馬は走らない――過去に競馬界では、そう言われる時代があった。
これは単純に鹿毛や黒鹿毛の馬と比較すれば、芦毛の馬の絶対数が少なく、たまたまこの時代、芦毛の馬の活躍が少なかったからに過ぎないが、それでも世間の目は芦毛の馬に対する注目度は低かったといえよう。
そこに1980年代後半、突如現れた芦毛の怪物たち。
1頭はスーパークリークイナリワンとともに第二次競馬ブームの立役者となったオグリキャップ
そして、もう1頭はタマモクロスである。

今回は、一時代を築き”白い稲妻2世”と呼ばれたタマモクロスについての記憶を振り返りたい。

救世主として誕生も…

タマモクロスの父シービークロスは、現役時代サクラショウリメジロファントムカネミノブといった昭和を代表する名馬たちと競い合った馬で後方一気の末脚から『白い稲妻』との異名で重賞を3勝をしたのち種牡馬入りした。
母のグリーンシャトーは重賞勝ちこそはないものの中央で6勝を挙げ繁殖牝馬となった。
そんな両親の間でタマモクロスは1984年5月23日に産声を上げたのである。

この配合を熱望した錦野牧場の経営者は、現役時代からシービークロスに惚れ込んでいた人物で、まさにタマモクロスは、念願が叶って生まれてきた賜物だった。
ところが、タマモクロスが生まれた当時、錦野牧場の経営状況は悪化が続いた状態で、いつ倒産しても不思議ではない危機に迫られていた。
そこでタマモクロスが牧場の救世主として誕生したかに思えたが、経営者の期待とは裏腹にタマモクロスは脚が細く、胴体も細身で弱々しい印象があり、さらには当時は、”走らない”とされていた芦毛の馬だ。
しかし、経営者は、1,000万円程度は下らないと考えていたそうだが、その半額の500万円以下で売却されることになる。
それでもタマモクロスがデビューさえすれば、間違いなく走る。そこから生産者賞などで経営もなんとかなる――そう考えていた経営者の希望は大きく裏切られることになるのだった。

豪腕騎手との出会い、そして…不運

その後、成長したタマモクロスは栗東の小原厩舎に入厩する。
そして、4歳(現3歳表記)となり迎えた1987年3月1日、阪神競馬場で行われた4歳新馬(芝2000m)にデビュー戦が決まった。
鞍上は、デビュー17年目を迎えた南井克己騎手。当時、南井騎手は、なかなか勝ち星に恵まれず、G1も未勝利だった中堅騎手。
そんな南井騎手にとってタマモクロスとの出会いは、その後の騎手人生を大きく運命を変えることになるが、それはまだ先の話である。

さて、デビュー戦では果敢に逃げ切りを図ったタマモクロスと南井騎手だが、結果は7着に惨敗。その後、3戦目のダート戦で何とか初勝利を上げるが、錦野牧場の経営者が期待していたような活躍とは程遠かった。
そんなタマモクロスは非常に食が細く、管理した小原調教師も「牝馬のような馬だった」とコメントするほどだった。

そこに悲劇という不運が襲い掛かるのである。

それは、4戦目となった芝に戻っての条件戦でタマモクロスは、前を走る馬が落馬してしまい、巻き込まれたのだった。その結果、南井騎手は落馬し競走中止。さらにこの落馬で恐怖心を抱いたタマモクロスは、馬運車を見ただけで怖がるようになってしまう。

しかもそれだけではない。

レースでも他馬を怖がり、外側に逃避するようになった。こうして、タマモクロスは本来の能力を発揮できなくなる。そんな中、タマモクロスに牧場再建という希望を託した錦野牧場は、この時期を経て、倒産してしまうのであった。

遅すぎた覚醒

生まれ故郷がなくなってしまったことを知る余地もないタマモクロスは、落馬事故に巻き込まれて以降、不得意なダート戦ばかりを走り続けさせられ、8戦1勝。9戦目にして、再度、芝レースに再転向することになるのだが、陣営はこのレースで”走らなかったら”障害競走に転向する予定だったという。タマモクロスにとっても最後のチャンスだった。
しかし、南井騎手はタマモクロスの潜在能力に気付いていたのか、レースでは会心の騎乗を見せ、早め先頭に立つと独走状態に。2着に7馬身差をつけ圧勝するのである。
続く、藤森特別(現1勝クラス)でも8馬身差の圧勝をみせた。これには、主戦の南井騎手に代わって騎乗した松永幹夫騎手も「競馬にならない。このクラスにいる馬じゃない」と称賛のコメントをするほどの強さだった。
また、メディアも『遅れてきた大物』『関西の秘密兵器』と騒ぎたてた。ただ、この時のタマモクロスの活躍は、まだ序章に過ぎなかった。

白い稲妻2世

芝の条件戦を連勝したタマモクロスは、果敢にも格上挑戦となる鳴尾記念(G2)に挑戦することになった。
単勝オッズ3番人気に支持される中、ここでも2着のメイショウエイカンに6馬身差をつけての圧勝。雨の影響で稍重だった馬場にも関わらず、コースレコードでの重賞初制覇となった。ちなみに1番人気はゴールドシチーだった。

その後、年が明け5歳(現4歳表記)となったタマモクロスは、スポニチ賞金杯(G3)から始動する。
このレースでは、スタート直後からスピードが上がらず、最後方からのレースを進める形となり、最後の直線では、前を走る5頭の馬が壁になってしまう。
さすがに連勝ストップかと思われた瞬間、残り300m付近で僅かに隙ができた内ラチ沿いをすり抜け、残り100mを過ぎで先頭に立つとそのままゴール。
見事4連勝となり、鞍上の南井騎手も「信じられない。4コーナーでもう駄目かと思ったのに…」とコメントするほど、臆病だったタマモクロスの姿もどこにもなかった。

豪腕騎手と末脚一気の追い込み――このレースを期にタマモクロスは父シービークロスと同じく”白い稲妻”との異名が付けられ、まさに”白い稲妻2世”が誕生した瞬間となった。

人馬とも初の栄冠に輝く

さらにタマモクロスの快進撃は続いた。
次走の阪神大賞典(G2)では、1987年の有馬記念(G1)を勝ちメジロマックイーンの半兄でもあるメジロデュレンなどの強豪馬を倒し、5連勝を飾ると、ついには天皇賞・春(G1)に駒を進めた。

淀の長丁場となるレースは、マヤノオリンピアが引っ張る形にタマモクロスは中団に位置した。半周1600mを1分39秒6とハイペースな展開になるも最後の直線に入ると、タマモクロスは相性が良い内側に潜り込んで加速し一気に先頭に立った。
そして、最後は2着のランニングフリーに3馬身差を付けて快勝し、見事6連勝で念願のG1初制覇を飾った。


同じくG1初制覇となった南井騎手は「タマモクロスのようなG1級の馬に巡りあえば、G1を勝てるというだけのこと。勝てる馬に乗れば勝てるんですよ」と喜びのコメントを残した。

しかし、皮肉にも表彰台に生産者の姿はなかった。

現役最強馬へ

晴れてG1馬となったタマモクロスの次の目標は、春のグランプリ・宝塚記念(G1)である。このレースには、G1・3勝を誇るマイル王のニッポーテイオーも参戦することになった。
しかし、レースでは、そのニッポーテイオーが最後の直線で一気に抜け出し、誰もがそのまま押し切ると思った瞬間、外から”白い稲妻2世”が猛襲。
そして、瞬時にニッポーテイオーを交わすと、2馬身半をつけて勝利。これでG1・2連勝を含む怒涛の7連勝となった。

レース後、ニッポーテイオーに騎乗していた郷原騎手は「6連勝中の馬だと言っても、あんなにすごい切れ味があるとは思わなかった。全てが計算通りだったのに…」と脱帽するしかない様子をみせた。
これで名実共に現役馬最強馬の称号を手にしたタマモクロス。
しかし、時を同じくして、世間を賑わかせている1歳下の競走馬がいた。

その名はオグリキャップ

地方・笠松競馬場から12戦10勝という好成績を引っ提げて中央に転籍してきたオグリキャップは、毎日王冠(G2)でも勝利、こちらも負けなしの重賞6連勝を記録していた。

連勝街道を突き進む芦毛の2頭――その活躍に多くの競馬ファンは心酔し、競馬ファンのみならずオグリキャップはアイドルホースとして絶大な人気を誇っていた。
これは、運命の悪戯なのか、同じ時期に”走らない”と言われていた芦毛のスターホースが2頭も現れる。

「タマモクロスとオグリキャプは、どっちが強いのか?」

もちろん、世間は、芦毛2頭の勝劣に注目していた。そして、いよいよ天皇賞・秋(G1)で初顔合わせを迎えることになる。

芦毛馬の頂上決戦

1988年10月27日天皇賞・秋。
当時、先述した通りオグリキャップらの影響で第二次競馬ブームが到来していた。

タマモクロス対オグリキャップ――そんな芦毛の頂上決戦を一目見ようと東京競馬場には、12万人のファンが押し掛けた。

レースは、後方待機から徐々に進出を図る戦法を取っていたタマモクロスだったが、この時ばかりは先行2番手の位置につけた。
いつもと違うレース展開だったが、これは南井騎手がオグリキャップを意識してのことだった。
そして、最後の直線に入るとオグリキャップが猛追を開始する。
最後は、この2頭が完全に抜け出し、オグリキャップの鼻先がタマモクロスの尻尾に迫ると、南井騎手がムチを入れ、オグリキャップ騎乗の河内洋騎手も交わす勢いで手綱を扱いた。
しかし、2頭の差が縮まることはなくそのままゴール。

芦毛の頂上決戦といわれた結果は、1馬身と1/4差でタマモクロスが勝利。8連勝でG1・3連勝となった。

また、この勝利でタマモクロスは史上初となる『天皇賞春秋連覇』の偉業を達成したのである。

永遠に語られる芦毛のライバル

タマモクロスとオグリキャップ。
この2頭の芦毛のライバルは、次走のジャパンC(G1)で再び激突することになる。

さらに、この年のジャパンCには、同年の凱旋門賞(仏G1)を制したトニービン(引退後は日本で供用され、女帝エアグルーヴ、ダービー馬ウイニングチケットやオークス馬ベガら多数の活躍馬を輩出する)が参戦することも大きな話題となった。

日本が誇る芦毛の2頭は世界最強馬に通じるのか?

トニービンらの出走で世間の注目度がさらに増す中、レースでは、残り300mでタマモクロスが先頭に立った。オグリキャップも負けじと追い込んでくるが、”白い稲妻2世”のスピードに届きそうもなかった。このままタマモクロスが押し切れると誰もがそう思ったに違いない。

しかし、9番人気の伏兵馬ペイザバトラーが斜行しながら、内側に切れ込みタマモクロスを交わして、そのままゴールするのである。

ライバル馬オグリキャップには勝利したものの、タマモクロスの連勝は8でストップ。これには鞍上の南井騎手も「4コーナーで仕掛けをワンテンポ遅らせれば負けることはなかった」と嘆いた。
ちなみに「3馬身離して勝つ」と宣言し、ライバル馬として唯一タマモクロスを挙げていた
2番人気のトニービンは惜しくも5着に敗れ、レース後に骨折が判明。そのまま引退となっている。

惜しまれつつも…

ジャパンC後、タマモクロス陣営は、年内引退を発表する。
そして、引退レースとなった有馬記念(G1)では、三度オグリキャップとのライバル対決が実現となった。
しかし、タマモクロスは元々食が細いことが影響したのか、ジャパンC後に体調が優れず、一方のオグリキャップは万全の状態だった。この状態の違いがレースに影響したのは間違いなかった。

レースでは、最後の直線に入ると先頭を走るオグリキャップに外からタマモクロスが並びかけるも、あれだけの勝負強さを発揮することなく、半馬身差届かず2着に敗れ、引退レースで初めてオグリキャップに土を付けられる形となったのだった。

後日、南井騎手はタマモクロスに関して「なぜ、急に強くなったのかと聞かれてもわからないけど、僕は最初から能力はあるなって感じてました。とても賢かったんですよ。少なくとも僕よりは全然頭が良かった。きっと自分で勝つ喜びを覚えちゃったんじゃないかな」とタマモクロスに対する思いを語った。
さらには「オグリキャップより強かったか?そんな比較はしたくないよ。でも最後の有馬記念は体調さえ万全なら、絶対勝っていたと思います」と悔しいコメントを残している。

現在もその血は細々と受け継がれている

その後、種牡馬入りしたタマモクロスはG1馬を輩出することはできなかったが、マイソールサウンドカネツクロスといった重賞馬を輩出し、種牡馬としてもある程度の活躍はみせた。

そして、2022年の高松宮記念(G1)を制したナランフレグの母の母の父にその名が刻まれているように現在も細々と白い稲妻2世の血は受け継がれている。
ちなみに永遠のライバル・オグリキャップの方は、種牡馬としては全くといっていいほど大成しなかったが、何とか直系の血が繋がっており、こちらも細々となっている。

あと1年、タマモクロスの活躍が早ければ、倒産の危機を免れたかも知れない錦野牧場。
夢の代償は大きく残ったが、経営者が自身の執念で作り上げたタマモクロスという競走馬は、日本歴代最強馬に相応しい一時代を築いた名馬だったことは間違いないだろう。

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シービークロス フォルティノ Grey Sovereign
Ranavalo
ズイシヨウ パーソロン
キムラス
グリーンシャトー シャトーゲイ Swaps
Banquet Bell
クインビー テューダーペリオッド
コーサ

生涯戦績 18戦 9勝(9-3-2-4)
主な勝鞍 天皇賞・春、宝塚記念、天皇賞・秋

※記事内の馬齢表記は、当時のまま現表記+1としている。

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