アドマイヤムーン
月光の如く輝いた馬
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アドマイヤムーン 月光の如く輝いた馬
日本馬として初めてドバイのG1を勝利したアドマイヤムーン。
その馬体はレジェンドを背に、その名の如く、異国の地の月光の下で優美に輝いた。そして、その勢いのまま年度代表馬まで駆け上がり、世界のゴドルフィンに移籍。
それは、まさに波乱万丈の馬生となった姿は、多くの競馬ファンにインパクトを与えた。
今回は、そんな月光の如く輝き、国内外のG1を3勝し年度代表馬にも選出されたアドマイヤムーンについての記憶を振り返りたい。
父の忘れ形見
父のエンドスウィープは、現役時代、当時のカナダ限定G1だったハイランダーSを制し、1995年から米国で種牡馬入り。
2000年から日本の社台スタリオンステーションで供用され、産駒の勝ち上がり率が85%という驚異的な成績を残した名種牡馬である。また、本馬以外にもスイープトウショウの父としても知られている。
しかし、2002年に不慮の事故のため急逝。日本では僅か3世代しか産駒を残せず、本馬はラストクロップにあたる。
また、母のマイケイティーズは競走馬として未出走ながら、その母ケイティーズファーストが、女傑ヒシアマゾンやヒシピナクルの半姉にあたり、日本でも多くの活躍馬を輩出している血統である。
そんな良血背景を持つアドマイヤムーンは、2003年2月23日に北海道安平町のノーザンファームで産声を上げ、同年の当歳セレクトセールでアドマイヤの冠名でお馴染みのオーナーに1600万円で落札された。
世代トップの高評判に
育成段階では、調教を休むことなく、育成スタッフに丈夫な印象をもたれていたが、それ以外には目立つことなく順調に幼駒時代を過ごした後、アドマイヤムーンと名付けられた2005年7月10日に函館競馬場にてデビュー。5番人気ながら勝利すると、そこからクローバー賞(OP)、札幌2歳S(G3)と3連勝。一気に世代トップに名乗りを上げた。
続く4戦目となったラジオたんぱ杯2歳S(G3)では、1番人気に支持されるもサクラメガワンダーに交わされハナ差の2着だったが、2歳で4戦3勝(うち重賞1勝)2着1回という安定した戦績は間違いなく世代トップクラスの実力を持っていた。
不本意な春のクラシック
年が明けて、武豊騎手に乗り替わっての3歳初戦となった共同通信杯(G3)を難なく快勝したアドマイヤムーンは、さらに弥生賞(G2)に駒を進めた。
そして、ここでも圧倒的な人気に応え、2歳王者のフサイチリシャールやラジオたんぱで後塵を拝したサクラメガワンダーに対し抜群の切れ味にて一蹴。
6戦5勝――2着1回、うち重賞3勝の準パーフェクトである。これだけの戦績なら、この年のクラシックはアドマイヤムーンを中心に回るだろう――そう、多くの競馬ファンに思われ、万全の態勢で皐月賞(G1)に挑んだアドマイヤムーン。
しかし、このクラシックで思わぬライバル出現となるのだった。
月武将と野武士
曇に覆われた中で迎えた皐月賞。もちろん、断然の1番人気に推されたアドマイヤムーンの単勝オッズは2.2倍。2番人気のフサイチジャンクが5.6倍、フサイチリシャールが7.2倍で3番人気との数字を見れば、いかにアドマイヤムーン一本被りだったのか分かるだろう。
しかし、何が起きるか分からないのが競馬であり、競馬はやってみないと分からないのも然りである。
レースでは、後方から追走する形で脚を溜め最後の直線に向いたが、先に抜け出した上位馬に対し、いつもの末脚を繰り出せずに4着と初の馬券圏外に敗れた。
なお、皐月賞を制したのは6番人気と伏兵馬扱いだったメイショウサムソンである。
まさかの皐月賞敗退にリベンジと臨んだ次走の日本ダービー(G1)も皐月賞と同じように後方策を取ったが、直線で伸びを欠いてしまい、今度は掲示板外の7着に敗れた。
そして、日本ダービーを制し、見事二冠馬に輝いたメイショウサムソン。ここまで、10戦以上の戦績を積み重ねてきた姿はまさに野武士の如く。翌年2月に定年を迎える瀬戸口勉調教師に花を添えた。一方のアドマイヤムーンは、世代トップクラスと謳われながらも春のクラシックは無冠に終えた。
異例のローテーション
秋への巻き返しを図ったアドマイヤムーンは、真夏の太陽が降り注ぐ中、札幌記念(G2)に出走することになった。
この異例ともいえるローテーションに対し、アドマイヤムーンは、上がり最速の末脚を見せ、古馬との初対決も問題なくこなす形で重賞4勝目を飾ったことで、夏に大きな成長を遂げたアドマイヤムーン。
秋は菊花賞(G1)ではなく、得意の中距離である天皇賞・秋(G1)に駒を進め、春に成せなかったG1勝利に邁進する。しかし、2番人気に押された天皇賞・秋では、鋭く追い込むもダイワメジャーの3着に終わる。なお、1番人気は、同じ父を持つスイープトウショウだった。
続く次走は、海を渡り世界の強豪が集う香港カップ(G1)に出走するも凱旋門賞2着馬のプライドにハナ差及ばず、ここでも惜敗を喫した。結果的に期待されたクラシック前とは裏腹にG1では善戦が続き、無冠のまま3歳シーズンを終えた。
月光の如く輝いた馬
G1を突き抜ける素質があると信じて疑わない陣営は、古馬となっての始動戦を京都記念(G2)とし、ここをあっさりと快勝。重賞5勝目とし、次走に2度目の海外遠征を発表する。
陣営が狙うは、世界最高クラスの賞金額を誇るドバイのレースであった。
海外遠征に弾みをつけるためにも絶対に負けられなかった京都記念を難なく制し、初のG1獲りに向けてドバイに旅立ったアドマイヤムーン。
ここには、天皇賞・秋でG1競争2勝目を挙げたダイワメジャーや後にブリーダーズカップターフ(米G1)などG1を6勝することになるイングリッシュチャンネルなどの強豪馬が集った。
しかし、長らく雲に隠れていた無冠の大器が、いよいよドバイの夜空に燦々と輝く時が来るのである。
レースでは、ダイワメジャーが積極的に先頭集団に取り付き、最後の直線で先頭に躍り出た刹那、中団で足を溜めていたアドマイヤムーンが鞍上の武豊騎手の合図に応えて一気に加速する。
1頭だけ抜群の手応えで世界の強豪馬を相手に最後は流す余裕すら見せる圧巻のレースを披露。
アドマイヤムーンにとってのG1初制覇は、日本馬初のドバイデューティーフリー(G1)制覇だった。
熱波の国ドバイの夜空に見事、その馬体を光り輝かせたアドマイヤムーン。ドバイでの快挙は、日本競馬史に永遠と残る大記録となったのである。
中距離の雄
香港Cから続く次走を当時の日本では極めて稀なパターンとなる海外連戦が発表され、香港のクイーンエリザベスC(G1)に出走したアドマイヤムーン。結果は惜しくも鋭い末脚が届かず3着に敗れた。
その後、帰国したアドマイヤムーンは宝塚記念(G1)に出走。
ここには、二冠馬となり、この年の天皇賞・春(G1)を制したメイショウサムソンに牝馬として、64年ぶりに日本ダービーを制したウオッカが参戦することとなり注目を集めた。
人気は前述の2頭と並ぶ形で3番人気に支持されたアドマイヤムーン。
このレースから鞍上が武豊騎手から岩田康成騎手に乗り替わるなど、多少の混乱はあったものの、海外遠征を経てさらに成長したアドマイヤムーン。
もはや、メイショウサムソンは、敵ではなかった。
レースでは、終止メイショウサムソンをマークする形で道中を進んだアドマイヤムーンは小雨で緩む馬場をものともせず、最後の直線で大外に持ち出すと内で粘るメイショウサムソンをねじ伏せるようにゴール前で半馬身差をきっちり捕らえ差し切り勝ち。
昨年のクラシックでの雪辱を果たし、念願だった国内G1を手にした。
これで名実ともに現役最強馬の地位に上り詰め、秋のG1獲りに向けて調整を行っていたアドマイヤムーンに対し、思わぬ知らせが届いたのは、この後のことである。
世界からのオファー
ドバイデューティーフリーや宝塚記念を制したアドマイヤムーンに対し、シェイク・モハメド殿下が率いるゴドルフィンが約40億円で購入したと発表。今後は海外で競走生活を送った後、種牡馬入りすることになるのである。
これまで現役G1馬の海外移籍の例は、2006年5月のユートピアに続く2頭目である。
なお、ユートピアを購入したのも同じゴドルフィンだったが、この時のトレードマネーは約4億5000万円といわれている。
そう考えると、アドマイヤムーンは、その10倍近い額での取り引きとなったのだ。
この出来事は、過去に種牡馬として売却されたケースを含めて、これほどまでの巨額で海外にトレードされたことはなく、否応なしに世界的なフレームに組み込まれている昨今の日本競馬を象徴するものになったのかもしれない。
なお、ゴドルフィンが購入したユートピアはフォーティナイナー産駒。アドマイヤムーンの父エンドスウィープもフォーティナイナーの仔である。
米国の最優秀2歳牡馬に輝いたフォーティーナイナーは、日本輸出後に産駒が大活躍して米リーディングサイヤーに輝いた経緯を持つため、ゴドルフィンがアドマイヤムーンに約40億円もの価値見出したのは、血統的な背景が大きいと思われる。
こうして、競馬ファンにとっては寝耳に水だったアドマイヤムーンのトレード。馬名の変更はないが、秋からはお馴染みだった白水色から赤白の勝負服に変更となった。
真の中距離王者へ
勝負服が変わってから初戦となったのは、昨年に悔し涙を流した天皇賞・秋である。
現役最強馬として、秋の盾を獲るべく万全の体制で挑んだが、エイシンデピュティが直線で斜向。それに巻き込まれる形で無念の6着となった。ただ、敗れはしたが、これは不利があっての結果であり、決して力負けを喫したわけではない。陣営に落胆の声はなかった。
その後、昨年に続いての香港遠征を目論んだアドマイヤムーン。ところが、流行り病の影響で目標としていた香港カップの出走は不可と判断された。こうして、次走をジャパンC(G1)に切り替えたアドマイヤムーンは、昨年のダービーでの奔走や前走の敗戦から5番人気に甘んじた。
しかし、前述した通り、前走はあくまでも不利を受けた中での敗戦。じっと馬群の中で気を伺っていたアドマイヤムーンは大外から飛んできたライバルたちを尻目に加速。
不安要素を嘲笑うように最内を突き抜け、追ってくるポップロックをアタマ差で下した。
こうして、前走の鬱憤を晴らすG13勝目を挙げ、有馬記念(G1)を待たずして引退となったのである。
ドバイでの大活躍や国内の主要G1を2勝したことが、評価され最優秀4歳牡馬と年度代表馬を受賞。引退後はダーレージャパンの主要種牡馬として供用され、ファインニードルやセイウンコウセイといった国内短距離G1を制した牡馬を輩出。
今もなお、ドバイや日本で眩いほどの輝きを放った名馬は、今も静かに日本競馬の行く末を照らし続けている。
エンドスウィープ | フォーティナイナー | Mr.Prospector |
File | ||
Broom Dance | Dance Spell | |
Witching Hour | ||
マイケイティーズ | サンデーサイレンス | Halo |
Wishing Well | ||
ケイティーズファースト | Kris | |
Katies |
生涯戦績 17戦 10勝(10-2-2-3)
主な勝鞍 ドバイデューティフリー、宝塚記念、ジャパンC
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