同一年に春秋のグランプリを連覇した馬を調べてみた【競馬コラム】

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同一年に春秋のグランプリを連覇した馬を調べてみた【競馬コラム】

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同一年に春秋グランプリを連覇した馬を調べてみた

競馬でグランプリといえば、年に2回行われる宝塚記念と有馬記念のことをいい、いわば、半年に1度ずつ最強馬を決めるレースとして知られている。

これまで思い出されるのは、宝塚記念でのサイレンススズカや有馬記念を連覇したシンボリクリスエスなど数々の名馬たちが、日本競馬史にその名を刻んできた。

しかし、同レース連覇も然ることながら、同一年の宝塚→有馬といったグランプリを連覇した競走馬は、長い歴史の中で僅か11頭しか存在しない。

そこで今回は、両グランプリの歴史とともに、これまで”同一年に宝塚記念と有馬記念を連覇”した名馬たちを振り返っていきたい。

有馬記念の歴史

1955年の師走、当時の日本中央競馬会理事長だった有馬頼寧氏が「ファンが決めるレースを中山でやってみたい」という発案がキッカケでレースが創設された。

さらにクラシック競走を走り終えた4歳(現3歳)馬と、古馬(現4歳以上)の最大目標である天皇賞・秋を終えた馬同士が、対決する日本一決定戦という大きな要素も加えられることとなった。

その後、1956年12月23日に新スタンドを備えた中山競馬場にて第1回「中山グランプリ」競走が行われた。出走馬12頭のうち、天皇賞の勝ち馬が3頭、クラシック競走の勝ち馬が4頭と当時の強豪が一堂に顔を合わせ、文字通りに日本一決定戦となったのである。

また、当時の中山競馬場は、1万人入場者で大入りといわれた時代だった中で当日は2万8000人余りと大盛況となった。ちなみに第1回の優勝馬はメイヂヒカリである。

その第1回開催から僅か17日後の1957年1月9日に有馬氏が肺炎により急逝。そこで、理事長として様々な功績を残した有馬氏の名を称え、第2回から「有馬記念(グランプリ)」と改称された。

現在では、有馬記念は日本競馬の根幹競走のひとつとして定着し、勝馬投票券の売上は日本一を誇るなど、競馬界のみならず日本では年末の風物詩として、社会的な認知を得るイベントに至っている。

宝塚記念の歴史

出走馬をファン投票で決めるレースを行う。当時、斬新的な競走が1956年、中山競馬場に中山グランプリ(後の有馬記念)が創設され、これは、大いに人気を博した。

その4年後、阪神競馬場で新スタンドが落成されたタイミングで有馬記念の関西版として「人気投票」による競走を創設。これが宝塚記念の始まりである。

なお、創設当初は1800m戦にて行なわれたが、1966年には現行の2200mに変更された。
その後、1987年から4歳馬(現3歳)の出走が可能となり、開催時期も6月下旬頃となり日本ダービー・オークスなどで活躍した4歳馬のエントリーが容易になったため「春の中距離実力日本一」決定戦と位置づけられるようになった。

これまで同一年のグランプリ連覇した名馬たち

リユウフオーレル(1963年)

今から60年前になるが、同一年のグランプリを初めて連覇した。さらに関西馬として初めて有馬記念を勝った馬でもあり、1963年の年度代表馬に選出された。ちなみに父ヒンドスタンシンザンと同じである。

シンザン(1965年)

戦後初の三冠馬となり、1964年、1965年と2年連続で年度代表馬になった。さらに八大競走(桜花賞・皐月賞・オークス・ダービー・菊花賞・天皇賞・春・秋・有馬記念をいう)の勝利数から五冠馬の称号を与えられた。

ちなみに当時はグレード制が導入される前だったが、現在に置き換えると宝塚記念を含めてG1・6勝、19戦15勝2着2回のパーフェクト連対率は未だに中央競馬における歴代1位の記録である。

京都競馬場にて

スピードシンボリ(1970年)

現役時代には、天皇賞・春、宝塚記念、有馬記念(2回)を制し、1967年と1970年の年度代表馬に輝いている。さらに凄いのは、1970年に当時の最高記録である8歳で有馬記念を制したことで「老雄」と呼ばれた名馬である。

さらにスピードシンボリといえば、欧州への長期遠征を行った馬でも有名でキングジョージ6世&クイーンエリザベスSや凱旋門賞に日本馬として初めて出走した、いわば世界の扉を初めて開いた先駆馬でもある。

イナリワン(1989年)

大井競馬場でデビューし、移籍年となった1989年の天皇賞・春を制し、その年のグランプリを連覇。1989年の年度代表馬に輝いた。なお、この年には、オグリキャップスーパークリークと肩を並べた活躍から「平成三強」と呼ばれ、古馬路線の中心的存在だった。

メジロパーマー(1992年)

史上初の平地→障害と渡り平地に戻って宝塚記念→有馬記念と勝ったメジロ軍団代表の1頭。G1通算2勝は宝塚記念と有馬記念とあって、まさにグランプリホースである。

グラスワンダー(1999年)

2歳王者にして、グランプリレースを3勝した栗毛の怪物。その血は、仔スクリーンヒーロー、孫モーリス。そして、ひ孫ジャックドールと直系4代にてG1制覇を成し遂げている。

テイエムオペラオー(2000年)

2000年に天皇賞・春、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念を含む年間8戦全勝を記録し、史上最多となる年間G1・5勝という成績を挙げた20世紀最後の名馬といっても過言ではない。もちろん、2000年の年度代表馬である。

ディープインパクト(2006年)

言わずと知れた日本近代競馬の結晶。その凄さは、現役のみならず種牡馬としても多大な成績を収めた。まさに日本歴代最強馬の名に相応しいだろう。

ドリームジャーニー(2009年)

オルフェーヴルの全兄としても有名であり、小さな馬体から繰り出される驚異の末脚は、多くの競馬ファンを虜にした。2023年には娘のスル―セブンシーズが出走するが、果たして…

リスグラシュー(2019年)

まさに遅咲きの女王で古馬になってから宝塚記念→コックスプレート(豪州G1)→有馬記念とG1を3連勝してターフを去った名牝。

クロノジェネシス(2020年)

バゴ産駒として悪馬場を得意としてグランプリ3連覇を達成した。引退レースとなった有馬記念では4連覇が懸かっていたが、惜しくも3着に敗れた。

番外編

ここからは番外編として、同一年ではないが、有馬記念から春宝塚記念にかけて連覇した馬(4頭)を紹介したい。

トウショウボーイ(1976年 宝塚記念、1977年 有馬記念)

1970年代半ばにテンポイントグリーングラスといった名馬たちと日本競馬を大いに盛り上げ、その馬名の頭文字を取って「TTG時代」を築いた名馬である。1976年には年度代表馬に輝いた。

また、種牡馬としても史上3頭目の三冠馬ミスターシービーなど、7頭のG1馬を輩出している。まさに70年代を代表する名馬である。

マヤノトップガン(1995年 有馬記念、1996年 宝塚記念)

特に超距離で強かった名馬であり、決まった脚質がなく自由自在にレースを進められたのも強みだった。1996年の阪神大賞典にて三冠馬ナリタブライアンとのマッチレースは日本競馬史に燦然と輝く歴史的名レースとなった。

オルフェーヴル(2011年・2013年 有馬記念、2012年 宝塚記念)

史上7頭目の三冠馬。2013年の有馬記念では2着に8馬身差を付けての圧勝。見事に優勝の美を飾った。

ゴールドシップ(2012年 有馬記念、2013年・2014年 宝塚記念)

前人未到の宝塚記念3連覇がかかったレースにおいて、ゲートで立ち上がり、レースにならなかったなど、その破天荒な姿から「芦毛の暴君」などと呼ばれたが、G1・6勝、重賞11勝(G1含む)は名馬そのものである。

まとめ

さて、2023年はクリスマス・イヴ開催となる有馬記念。
世界一のイクイノックスが電撃引退したことにより、混戦ムードが漂う中、現最強馬たちが集結する白熱したレースになることは間違いない。

果たして、ほぼリーディングジョッキーを手中に収めたC.ルメール騎手が騎乗する牝馬二冠馬スターズオンアースか、それとも昨年のダービー馬ドゥデュースとレジェンド・武豊騎手が復活するのか、それとも――

いずれにせよ、今年も楽しみすぎるメンバーが揃った第68回有馬記念は12月24日(日)中山競馬場にて15:40分発走予定だ。

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