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名馬たちの記憶
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メジロマックイーン
芦毛の最強ステイヤー

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メジロマックイーン 芦毛の最強ステイヤー

一昔前、日本の競馬界では、芦毛の馬は大レースに勝てないとのジンクスが厳然とあった。
その定説を打ち砕くように1970年の天皇賞をメジロアサマが勝利した。

それから20年、菊の季節の到来と時を同じくして、メジロアサマからの芦毛伝説を受け継ぎ、日本歴代最強ステイヤーに挙げられるほどの名馬となった。

その名をメジロマックイーンといった。

今回は、父子3代で天皇賞を制し、稀代のステイヤーとして日本競馬の一時代を築いたメジロマックイーンの偉大な記憶について振り返りたい。

メジロ最強の同世代たち

父のメジロティターンは、数少ないメジロアサマの仔として、芦毛伝説を受け継ぎ、父仔二代で天皇賞制覇を成し遂げた名馬である。

そして、リマンドを父に持つ栗毛の母メジロオーロラとの間にメジロゆかりの血を受け継いだメジロマックイーンは、父ティターンと同じく芦毛の馬として1987年4月3日に誕生した。

幼駒時代は、身体が弱くよく熱発を起こしたという。そのせいか、その度に放牧も中止され、合わせて脚部不安も患った。

この年、メジロにはマックイーンの他に同期馬が3頭いた。メジロルイスメジロライアンメジロパーマーである。
牧場関係者は、ルイス、ライアン、マックイーン、パーマーの順で期待し、マックイーンは良くて重賞馬、パーマーに限ってはオープンクラスが関の山だった。

しかし、結果はご承知の通り、メジロマックイーンはG1を4勝し、メジロパーマーは同一年のグランプリ連覇という偉業を達成。
メジロライアンは宝塚記念(G1)を勝利したが、期待度からは少し物足さは否めない。
そして、ルイスに限っては1勝も出来なかったのだ。

そんな牧場関係者の期待値とは、真逆の結果が出るのは、まだ数年後の話である。

遅咲きの馬

前述の通り、虚弱体質だったメジロマックイーンは、半兄で1986年の菊花賞馬メジロデュレン(父は仏国産馬のフィディオン)と同じ池江泰郎厩舎に預けられた。

しかし、3歳(現2歳)でデビューすることが出来ず、年が明けて、ようやく2月初旬のデビュー戦を勝利し、同期馬のメジロライアンが日本ダービー(G1)でアイネスフウジンの2着に入った頃、1勝クラスで惜敗を繰り返していた。

そして、芦毛の素質馬が、ようやく蕾を開かせ始めたのは、9月に入ってからのことだった。
何とか条件戦を連勝し、迎えた京都芝3000mの嵐山S(3勝クラス)で2着に入ると陣営は、菊花賞(G1)での手応えを掴んだのである。

長距離馬の片鱗

条件馬ながら前走の好走が認められ、菊花賞では4番人気に支持されたメジロマックイーン。
なお、1番人気は、同門の出世頭メジロライアンである。

しかし、蓋を開けてみると、メジロライアンを尻目に圧倒したメジロマックイーンは、2着のホワイトストーンに1馬身と1/4差を付けて重賞初制覇がG1という離れ業を見せた。

ゴールした瞬間「メジロでもマックイーン方だ!」と実況が叫んだようにファンの期待は1番人気のメジロライアンに大きかった。

しかし、87年のメジロ同期生で低評価だったメジロマックイーンが1番に結果を出した。

そして、メジロマックイーンが持つ確かなスタミナに裏打ちされた本当の実力は、古馬となってさらに明らかになるのである。

父仔3代の偉業

半兄メジロデュレンに続き菊花賞兄弟制覇という偉業を達成したが、メジロマックイーンには、それ以外に大きな使命があった。

それは、前人未到の祖父メジロアサマ、父メジロティターンに次ぐ父仔3代による天皇賞制覇である。その天皇賞・春(G1)に向けての古馬始動戦は、芝3000mの阪神大賞典(G2)。ここでは当時のコースレコードで快勝。大一番に向けて万全を期した。

迎えた天皇賞・春では、メジロマックイーンは断然の1番人気に推され、同期生のメジロライアンが2番手で続いた。
レースでは、同じく同期生で、この時はまだ条件馬だった16番人気のメジロパーマーが平均ペースで逃げる展開にメジロマックイーンは好位に位置し、メジロライアンが後方に構える競馬となった。

淀の第3コーナーの上り下りで先頭を視野に入れたメジロマックイーンは、直線に入ると早くも先頭に抜け出した。
後方の内側からメジロライアンが追い込んできたが、先頭に立つほどの勢いはなく、最終的には、2着に2馬身半差をつけての圧勝。

見事、史上初となる祖父から続く父仔3代による天皇賞制覇という大偉業を成し遂げたのである。

悪夢の降着、そして…

この大偉業を達成し、威風堂々と臨んだ次走の宝塚記念(G1)では、距離適性が上だった同期生のメジロライアンに花を添える格好で2着に惜敗した。

そして、夏の休養を経て、秋はもちろん天皇賞春秋連覇を目標に現役最強馬の名を不動のものとすべく、10月の京都大賞典(G2)から始動したメジロマックイーン。

ここでは、逃げる同期生のメジロパーマーに次いで好位を追走し、最後の直線に入ると独走し、2着に3馬身半差の圧勝劇をみせた。

満を持して、秋の盾獲りに向かったメジロマックイーン。
単勝オッズ1.9倍と断然の1番人気に支持され、絶対に負けられない天皇賞・秋。

しかし、府中の魔物がその進路に立ちはだかったのである。

レースでは、6馬身差の圧勝――かと思われたが無情にも点灯した審議の青ランプ。
長い審議の結果、スタート直後のコーナー付近で後続馬の進路を妨害したとの判断が下され、メジロマックイーンは、日本競馬のG1史上初となる1位入線後の降着処分となった。

こうして、天皇賞春秋連覇の夢は無情にも18着に降着という悪夢に終わった。

だが、悪夢はこれで終わらなかった。

続くジャパンC(G1)、有馬記念(G1)と秋の古馬王道路線を進み、両レースとも単勝1倍台と圧倒的な1番人気に推されるもジャパンCでは、ゴールデンフェザントを始めとする海外馬に屈する形で4着。

有馬記念でも14番人気の超伏兵馬ダイユウサクに足元をすくわれる格好で2着とファンの支持に応えきれず惜敗を余儀なくされ、大偉業達成後はG1を3連敗という形で5歳シーズンを終えた。

天と地と

6歳となり年明け初戦となった阪神大賞典を昨年よりも内容が良かったと言われるほど楽に凌ぎ、向かうは連覇のかかる天皇賞・春。
そこに初対決となる1歳下の強敵が出走を表明した。皇帝シンボリルドルフの息子トウカイテイオーである。

トウカイテイオーは、無敗で皐月賞(G1)日本ダービー(G1)を制し、父仔2代で無敗の三冠馬を目前に骨折で戦線離脱を余儀なくされた。
復帰初戦となったのは、産経大阪杯(当時G2)。その最終追い切りで初めてトウカイテイオーに跨った岡部幸雄騎手は、その歩様や馬体柔軟性、ちょっとした仕草など、皇帝の背中を唯一知る男はそっくりだとコメントし、その乗り味は「地の果てまで伸びていく感じ」だと表現するほどだった。
それでも骨折による長期休養明けで馬体重はプラス20kg。初めての古馬との対戦も――そんな不安は一切関係なかった。
ゲートを出てからゴール板まで、鞍上の岡部騎手は、手綱を持ったままで、残り150m付近で僅かに気合いをつけた程度で2着に1馬身3/4差の完勝を見せた。
まるで1頭だけ、違う生き物が走っているような、末恐ろしいほどの強さを世間に見せつけたのである。

そんな最高にして最大のライバルに対し、メジロマックイーンに騎乗する武豊騎手は「あちらが地の果てなら、こちらは天まで昇れそうです」と武豊騎手のリップサービスとも言うべき言葉で周囲を盛り上げたのだった。

世紀の一戦

父仔3代にわたる天皇賞馬メジロマックイーン。
もう一方は、父仔2代にわたる無敗のダービー馬トウカイテイオー。

お互いに譲れぬ意地とプライド――まさに世紀の一戦そのものだった。

そして、京都競馬場には11万人を超える大観衆が世紀の一戦を一目見ようをスタンドを埋め尽くした。
しかし、レースはファンが想像した以上に呆気ない幕切れとなる。

レースでは、メジロマックイーンの落鉄があり、8分ほどスタートが遅れたが、お互いがお互いを牽制し合うように進んでいく。2度目の淀の坂を下り、最後の直線に入る頃には、メジロマックイーンが単独で先頭に立っていた。
2番手には、逃げたメジロパーマーが下がる格好、その横で前を追うトウカイテイオー、さらに外から上がってきた4番人気のカミノクレッセが並んだ。
しかし、独走態勢に入るメジロマックイーンはグングン差を広げた。対するトウカイテイオーは、全く伸びを欠いたのだった。

最後は、カミノクレッセに2馬身半差を付け、史上初となる天皇賞・春連覇を果たしたメジロマックイーン。

 

世紀の一戦を卓越したスピードと底しれぬスタミナで圧倒した淀の独り舞台。
その強さは、まさに芦毛の最強ステイヤーそのものだった。

今年だけもう一度

長距離G1を3勝という実績を掲げ、次走前年2着の宝塚記念、そして、再びの天皇賞・春秋連覇に挑むはずだったメジロマックイーンに異常が発生する。

何と骨折により1年近い休養を強いられたのだ。

年齢的にも長く厳しい休養だったことは言うまでもないが、最強の芦毛伝説がは、途切れることはなく6歳となった4月の産経大阪杯にて、約1年ぶりのレースでナイスネイチャを退け、驚愕のレコードタイムで駆け抜けたのだった。59kgという斤量を物ともせず、圧倒的な5馬身差での勝利。

これによって、前人未到の天皇賞・春3連覇に期待は大きく膨らんだ。
相対するのは、前年の菊花賞でミホノブルボンの三冠を阻止したライスシャワーである。

レースでは、最後の直線で先頭に立つも横から漆黒の馬体が襲いかかってきた。

そして――

「もう一度マックイーン、今年だけもう一度頑張ればマックイーン。しかし、ライシャワーだ。昨年の菊花賞でもミホノブルボンの三冠を阻んだライスシャワーだ。ライスシャワー完全に先頭。2馬身、3馬身と開いた。ライスシャワーだ。マックイーンは2着〜。関東の刺客ライスシャワー。天皇賞でも圧倒的な人気のメジロマックイーンを破りました」との実況が物語っているように、淀のスタンドは”またか”と騒めいた。

一度は先頭に立つも敢なく交わされ夢の3連覇ならず、関東の刺客に星を譲った大一番となってしまったのである。そして、その代償は、勝利・・二文字で埋めるしか他なかった。

意地のグランプリ制覇

次走を宝塚記念に駒を進めたメジロマックイーン。
ここでは、前年の宝塚記念、有馬記念と同一年のグランプリ連覇を果たしたメジロパーマーとの一騎打ちが予想された。

しかし、レースは雨模様の中、専売特許の逃げを見せたメジロパーマーは直線で馬群に沈み、メジロマックイーンは、一流のスピードの持ち主であることを証明する形で快勝。
見事、G1通算4勝目を手にした。

現役最強馬として、残すは秋の盾と年末のグランプリの称号。
ところが、秋初戦の京都大賞典をレコード勝ちした後、左前脚に繋靱帯炎を発症。

惜しくもそのまま現役引退となった。

芦毛伝説は続く

中長距離G1を4勝に父仔3代の天皇賞制覇――偉大すぎる実績を引っ提げて種牡馬入りしたメジロマックイーンには、大きな仕事が残されていた。

それは、父仔4代にわたる天皇賞馬誕生という大きな夢である。

生涯に残した産駒は660頭余り。重賞勝ち馬は輩出したものの、残念ながらG1を勝つ仔は現れなかった。
こうして、偉大な夢は儚くも散ってしまい、2006年4月にメジロマックイーンは、この世を去った。

しかし、それから9年が経ち、第151回天皇賞・春を孫のゴールドシップが制したのである。

さらに母の父として、史上7頭目の三冠馬オルフェーヴルを輩出するなど、芦毛の最強ステイヤーの血は、偉大な孫たちに継承され、今でも多くの競走馬たちにしっかりと受け継がれている。

そして、次はひ孫世代が天皇賞を制する日も――そう遠くはないかも知れない。

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メジロティターン メジロアサマ パーソロン
スヰート
シエリル スノップ
Chanel
メジロオーロラ リマンド Alcide
Admonish
メジロアイリス ヒンドスタン
アサマユリ

生涯戦績 21戦 12勝(12-6-1-2)
主な勝鞍 菊花賞、宝塚記念、天皇賞・春(2回)

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