シンボリクリスエス|歴代最強馬|漆黒の帝王|名馬たちの記憶⑨

名馬たちの記憶
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シンボリクリスエス
漆黒の帝王

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シンボリクリスエス 漆黒の帝王

“シンボリ”と聞けば、まず無敗の三冠馬シンボリルドルフが思い出される方が多いかも知れない。

しかし、20年ほど前に突如現れた漆黒の馬体シンボリクリスエスもシンボリを代表する名馬の1頭だ。現役時の活躍と変わらず多くの後継牡馬を輩出した種牡馬時代。

そして、近年では祖父としてダービー馬や牝馬三冠馬を輩出している。

今回は、そんなアメリカ生まれで売れ残りだった幼少期からは考えられないほど、日本の名伯楽が育て上げた漆黒の帝王シンボリクリスエスの記憶に迫りたい。

主取りで代替の幼駒

クリスエスは米国産馬で現役時は5戦3勝(2着1回)重賞経験は僅か1回(4着)で故障引退となった。実績よりも血統背景から種牡馬入りも超格安部類。
しかし、産駒が思ってもいない活躍を見せたことから結果的に名種牡馬の仲間入りとなった。

ティーケイは現役時31戦4勝、G3を1勝したのち繁殖牝馬となった。

そんな実績に乏しい父と母から生まれたシンボリクリスエスは漆黒の馬体から馬格が大きく見栄えも良かった幼駒だったという。

この時、米国に拠点を置いたシンボリ牧場には3頭の幼駒がいた。
シンボリスウォードの弟、スイートオーキッドの弟、そして、シンボリクリスエスである。
先の2頭は兄たちが既に日本で活躍を見せていたため期待されていたがシンボリクリスエスだけが1歳に達した時、幼駒セールの対象となった。

しかし、結果は主取り(売れ残り)仕方なく生産者の元に返ってきた。これが運命の分かれ道となる。
それは、日本に渡るはずだったシンボリスウォードの弟が日本に移動する直前に亡くなってしまったからだ。

そこに代替えとして、白羽の矢が立てられたのが売れ残りのシンボリクリスエスだった。
単純に冠名+父の馬名を足して名付けられた期待薄の幼駒が日本で大活躍を見せるのは2年後の話である。

雄大な馬格と虚弱体質

2歳となり来日した入厩先は美浦の名伯楽・藤沢和雄厩舎に決まったシンボリクリスエス。

入厩当時から馬格は良いが仕上がりが悪く疲れが残りやすい馬だと厩舎陣営は決して無理させることなく、馬優先主義の名伯楽の元で慎重に管理された。
それでも2歳の10月中旬にデビューが決まったシンボリクリスエスは、体調が万全でなかったものの潜在能力だけで辛勝。
その後は、疲労回復に努めるべく3ヵ月の放牧に出され、2歳シーズンを終えることになった。

年が明け3歳となったシンボリクリスエスだが、体調面はなかなか改善されずにいた。
それでも1月から4月まで毎月1回ずつレースに出走するも2着、3着の繰り返し。やっと4戦目で条件戦を勝ち上がり、5戦2勝でオープンクラスになった。

すると陣営は日本ダービー出走権を懸けて青葉賞(G2)に挑戦。鞍上に武豊騎手を迎えて臨み、見事1番人気に応えて完勝。2着のバンブーユベントスに2馬身半差を付けての勝利だった。

素質だけの日本ダービー

青葉賞を完勝した後、鞍上の武豊騎手から「秋以降に良くなる」と言われながらも日本ダービー出走権を能力だけで得たシンボリクリスエス。

迎えた5月下旬の日本ダービー(G1)。1番人気は武豊騎手が騎乗するタニノギムレット(のちにウオッカの父)だった。
ここまで皐月賞(G1)とNHKマイルC(G1)ともに3着と安定した成績を残しての1番人気。次ぐ2番人気は皐月賞馬ノーリーズン。名手・岡部幸雄騎手に鞍上が戻ったシンボリクリスエスは次いで3番人気。

レースでは、中団に位置したシンボリクリスエス。その背後には1番人気タニノギムレットが控える形成となる。
そして、最後の直線、先に抜け出しを計り先頭集団の競走馬たちを差し切っていくシンボリクリスエス。このままダービー初制覇かと名伯楽は思ったのかも知れない。
しかし、大外から1番人気の武豊騎手とタニノギムレットが飛んでくる。青葉賞でシンボリクリスエスに鞍上した武豊騎手がシンボリクリスエスの手の内を分かっているかのように鮮やかな差し切り勝ち。

体調面ではまだまだ優れない中で日本ダービー2着。能力だけで勝ち取った2着に苦汁を飲むも陣営は天才が言った秋以降・・・に確かな手応えを感じていた。

一気のスターダム

体調面での成長を見せた夏以降、名伯楽も納得のいく調教を付け臨んだ秋初戦の神戸新聞杯(G2)。
ここでは、皐月賞馬ノーリーズンに2馬身差付けての完勝。
なお、このレースには日本ダービー馬タニノギムレットも出走表明していたが、屈腱炎のため早期引退を発表。
シンボリクリスエスとしては日本ダービーでの借りを返すことができないままライバルの引退を惜しんだ。

タニノギムレットの引退で一気に混戦ムードとなった牡馬クラシック戦線、最後の菊花賞(G1)。しかし、シンボリクリスエス陣営は、そこではなく古馬との戦い天皇賞・秋(G1)を選択。
今でこそ、3歳馬の天皇賞・秋に挑戦するのは珍しくないが約20年前では、3歳馬が古馬に挑戦など以ての外だった時代。

現にこれまで3歳で天皇賞・秋を制したのはサンデーサイレンス産駒のバブルガムフェローただ1頭だった。
それでも果敢に挑戦したシンボリクリスエス。

レース当日は、古豪で菊花賞馬のナリタトップロードなど実力馬がひしめき合う中で3番人気に支持された。
3歳世代ではトップクラスも年齢的に古馬には勝てない、物足りないとの下馬評を覆した結果と言える。

さて、迎えた第126回天皇賞・秋は、名手・岡部幸雄騎手を背に抜群のスタートを決めたシンボリクリスエスは、中団の最内に位置した。
ちなみにこの年は東京競馬場が改修工事のため代替にて中山競馬場にて行われた。

芝コースを知り尽くしたベテラン岡部騎手の手綱捌き。中山の短い直線も知り尽くしている。周囲が慌ただしくなる中で内に脚を溜めて一気に追い出し先頭に立った。
ナリタトップロードが外から追い込んでくるも最後は4分の3馬身差で勝利。見事、史上2頭目となる3歳馬での天皇賞・秋を制した。

合わせて鞍上の岡部騎手は53歳11ヵ月という最年長G1勝利の記録も手にした。

天皇賞馬として、続くジャパンC(G1)に1番人気で挑んだシンボリクリスエスだったが、ここでは勝ったファルブラヴの3着に敗れてしまう。

そして、迎えた暮れの大一番の有馬記念(G1)では逃げるタップダンスシチーに猛追。最後は半馬身差を付けたところでゴール板を通過。見事G1・2勝目を挙げた。
春先は体調面の弱さで条件戦馬だったシンボリクリスエスが年末にはG1を2勝し、この年の年度代表馬に選ばれることなど誰が予想しただろうか。
こうしてシンボリクリスエスは一気にスターダムへとのし上がった。

時代の変革とともに

年が明けて昨年とは打って変わり年度代表馬として注目される立場となったシンボリクリスエス。この時点で今年の暮れで引退、種牡馬入りが決まっていた。

そして、陣営からはプランが発表され、宝塚記念(G1)→天皇賞・秋→ジャパンC→有馬記念の年間4走という計画だった。
これは昨年走り切った有馬記念後の消耗を考慮してのこと。馬優先主義の名伯楽ならではの戦い方だった。

しかし、これも当時ではあまり見られない傾向である。
当時、大レースに直行させるのは馬の始動が遅れて勝てないとされており、ステップレースを使うのがセオリーだった。

しかし、時代の変革者は常に先を見据えている。
3歳牡馬は菊花賞に出走するセオリーから無理矢理に長距離を走らせ負担させるリスクよりも天皇賞・秋といった中距離路線で活路を見出す戦い方。また、競走馬の消耗を考え大レースに直行させる戦い方。

海外競馬で基礎を学び馬優先主義の名伯楽だからこそ、現代の日本競馬では珍しくないG1の綱渡りローテーションも師が先駆けて作り上げたものとなったのである。

連覇で魅せた強さ

年内残り4戦と決まったシンボリクリスエスが年明け初戦となった宝塚記念。

ここでは半年振りとなったレース勘が響いたのか、これまで通りの戦法で最後の直線で抜き差しにかかろうとするも早め仕掛けがとなってしまう。

結果、勝った菊花賞馬ヒシミラクルが天皇賞・春(G1)に続きG1を連勝。早仕掛けで脚を使ってしまったシンボリクリスエスは、最終的に生涯最低着順となった5着に敗れてしまう。

周囲の批判もある中、それでも当初の計画通り次走は連覇の懸かる天皇賞・秋に直行。
東京競馬場に施工が戻った、この年の天皇賞・秋では大外枠だったにも関わらず1番人気に支持された。
レースでは、大逃げを計った2頭を尻目にいつもの中団待機でレースを運び最後の長い直線ではツルマルボーイの追撃もあったが、これを1馬身半差振り切る格好でゴール。

史上初の連覇達成(のちに天皇賞・秋の連覇はアーモンドアイが達成しているが、今日まで僅かこの2頭しか達成されていないことを考えると偉業である)でG1・3勝目を勝ち取った。

鬼門ジャパンC

次走は予定通り、昨年1番人気で敗れたジャパンC。ここでは単勝1倍台と圧倒的支持を受けるもシンボリクリスエスには鬼門なのだろうか。

重馬場の中で大逃げを計ったタップダンスシチーに追いつこうとするも追いつけず、結果的には菊花賞馬ザッツザプレンティにまで抜かれての3着。
なお、勝ったタップダンスシチーが2着に付けた差は何と9馬身。これは1984年のグレード制導入後、中央競馬G1における最大着差となった。

1番人気として不甲斐ない敗北を喫したシンボリクリスエス。次走は現役ラストランとなる有馬記念。ここも連覇の懸かる1戦であり最後のレースでもあった。

ジャパンCの雪辱に燃える陣営と鞍上のペリエ騎手。
その前走ジャパンCでは、捕まえ切るどころか最大着差を付けられたタップダンスシチーに対して今度は、直線が短い中山競馬場。

3コーナーで早めに仕掛けて逃げるタップダンスシチーを捕まえるとシンボリクリスエスは怒りを顕にしたのか一気に加速し、最終的には、2着馬リンカーン9馬身差(中央G1最大着差タイ)をつけレースレコードの圧勝劇でG1・4勝目を挙げた。

現役最後となったレースで後世に残る衝撃的な走りを魅せた漆黒の帝王は惜しまれつつもターフに別れを告げた。

そして、天皇賞・秋、有馬記念ともに連覇したことが評価され、2年連続の年度代表馬に選出された。なお、2年連続の選出はシンボリルドルフ以来、18年振りの快挙であった。

父として、祖父として

予定通りの運びで種牡馬入りとなった漆黒の帝王シンボリクリスエス。初年度から200頭を超える種付けを行い、一躍人気種牡馬の仲間入りを果たした。

しかし、人気となっても産駒が走らなければ直ぐに価値が下がる厳しい世界。そのような環境下においてもシンボリクリスエスは父として結果を残し続けた。

初年度からデビューのダート戦で2着馬に3秒差を付けフェブラリーS(G1)などダートG1を3勝したサクセスブロッケン。2年目の産駒からは安田記念(G1)を制したストロングリターン。5年目には2歳王者に輝いたアルフレード。晩年には、2018年のチャンピオンズC(G1)他ダートG1・4勝馬のルヴァンスレーヴ

そして、代表産駒となったのが、現役時はG1・2勝を挙げて現在、後継種牡馬として最も活躍を見せているのが名牝シーザリオとの間に生まれたエピファネイアである。

息子エピファネイアは父シンボリクリスエスが、2度も敗れたジャパンCにおいて父の雪辱を晴らしたことも有名であり、そのエピファネイアは既に代表産駒として牝馬三冠馬デアリングタクトやG1・3勝を挙げ2021年の年度代表馬に輝いたエフフォーリアなどを輩出している。

エフフォーリアは祖父シンボリクリスエスと同様、天皇賞・秋からの有馬記念制覇と奇しくも同じ道を辿ったことも話題になった。そんな孫たちの大活躍により祖父としても漆黒の帝王は名を大いに広めている。

幼駒時代は主取りとなった競走馬が今や日本の血統史に大きく馬名が刻まれる存在となった。改めて競馬の浪漫と素晴らしさを感じた感慨深い1頭であることは間違いない。

Kris S. Roberto Hail to Reason
Bramalea
Sharp Queen Princequillo
Bridgework
Tee Kay Gold Meridian Seattle Slew
Queen Louie
Tri Argo Tri Jet
Hail Proudly

生涯戦績 15戦 8勝(8-2-4-1)
主な勝鞍 天皇賞・秋(2回)、有馬記念(2回)


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